ジェロニモ(Geronimo、本名:Goyathlay、1829年6月16日-1909年2月17日)はアメリカインディアン、アパッチ族のシャーマン、対白人抵抗戦である「アパッチ戦争」に身を投じた戦士。なお、部族の酋長と誤解されている例も多いが、酋長ではない。
メキシコ軍に家族が虐殺されたのを機に、アパッチ族の戦士たちとともに対白人のゲリラ戦に従事した。ちなみに戦士集団だったアパッチ族には「酋長に戦士が服従する」という義務も風習もない。戦士は結束はしてもすべて個人行動で動くものであって、戦士たちはジェロニモ個人を慕って抵抗戦をともにしたのである。ジェロニモが軍事的な指導をしたこともない。
メキシコは1837年から、アパッチ族の頭の皮一枚に対し、男で100ペソ、女なら50ペソ、子供なら25ペソの賞金を懸けていた。
ジェロニモはアパッチの各支族から戦士を募る役目を引き受け、彼はチリカワ・アパッチ族のコチーズ酋長の元を訪ねた。このとき、チリカワ族に対して以下のように演説を行った。
「同胞諸君、メキシコ人の不当な行為に関しては既にお聞き及びのことと思う。我々もメキシコ人も同じ人間のはずだ。だから今度は、彼らがしたことを我々がやり返してもいいはずだ。さあ行こう、奴らの住処を襲うのだ。来てもらえるだろうか? よろしい、さあ、どうかみんな参加してもらいたい」
メキシコがアパッチにかけた懸賞のお返しに、彼らの頭の皮を剥いだ。こうしてのちのち長きに渡るアパッチとメキシコの戦争が、このとき始まった。ジェロニモは銃弾の雨の中をものともせずにナイフを片手に戦場で暴れ狂い、その様を見て畏敬に駆られた一人のメキシコ人が、守護聖人の「ジェロニモ!」の名を叫んだ。これに呼応して、人々が口々に「ジェロニモ!」と叫んだ。こうして、この日このときを境に、彼の名は「ジェロニモ」となった。
- 『ヒトデはクモよりなぜ強い 21世紀はリーダーなき組織が勝つ』オリ・ブラフマン、ロッド・A・ベックストローム