精神が代用品になれて事柄そのものの忘却に陥るのを防ぎ、すでに他人の踏み固めた道になれきって、その思索のあとを追うあまり、自らの思索の道からとおざかるのを防ぐためには、多読を慎むべきである。かりにも読書のために、現実の世界に対する注視を避けるようなことがあってはならない。というのは真に物事をながめるならば読書の場合とは比較にならぬほど、思索する多くの機会に恵まれ、自分で考えようという気分になるからである。すなわち具体的な事物は本来のいきいきとした力で迫ってくるため、思索する精神にとって恰好の対象となり、精神に深い感動をもっとも容易に与えることができるのである。
増刷されたようだ。朗報である。