書籍哲学者

 自ら思索する者は自説をまず立て、後に初めてそれを保証する他人の権威ある説を学び、自説の強化に役立てるにすぎない。ところが書籍哲学者は他人の権威ある説から出発し、他人の諸説を本の中から読み拾って一つの体系をつくる。その結果この思想体系は他人からえた寄せ集めの材料からできた自動人形のようなものとなるが、それに比べると自分の思索でつくった体系は、いわば産みおとされた生きた人間に似ている。その成立のしかたが生きた人間に近いからである。すなわちそれは外界の刺激をうけてみごもった思索する精神から月満ちて生まれたのである。
 他人から学んだだけにすぎない真理は、我々に付着しているだけで、義手義足、入れ歯や蝋の鼻か、あるいはせいぜい他の肉を利用して整形手術がつくった鼻のようなものにすぎないが、自分で考えた結果獲得した真理は生きた手足のようなもので、それだけが真に我々のものなのである。思想家と単なる学者との相違もこのような事情に由来する。したがって自ら思索する者の精神的作品は1枚の生き生きとした絵画、光りと影の配合も正しく、色調も穏やかで、色彩のハーモニーもみごとな生き生きとした出色の絵画のおもむきを呈する。これに反して単なる学者の著作は、色彩もとりどりに豊かでくまなくととのってはいるが、ハーモニーを欠いた無意味な1枚の絵画板に近い。


【『読書について』ショウペンハウエル/斎藤忍随〈さいとう・にんずい〉訳(岩波文庫、1960年)】


読書について 他二篇 (岩波文庫)