思想のパラドックス

 思想は一面で単純化されることを嫌う。思想のいのちは、概念をモザイクのように組み換える点にあるのでなく、思想家が彼の生の中でそれを組み換えることを促された、そのプロセスにあるからだ。しかし、思想はもう一面で、概念的な単純化の作業をこうむらないでは決してひとりひとりの人間に【受け取られない】という性質を持っている。つまり思想は、最終的には一般化(誰にも明敏な意味として受けとられる形をとること)され得ない部分を持つのだが、しかし思想がそういう固有のニュアンスを伝え得るのは、それが一般化されるような場面を【通して】なのである。


【『現代思想の冒険』竹田青嗣〈たけだ・せいじ〉(毎日新聞社、1987年/ちくま学芸文庫、1992年)】


 先日ツイートした以下の内容とダブる──


 先を歩む人が行為→理論という方向性であるのに対し、後に続く人は理論→行為となる。ここに話し手と聞き手の関係性が成り立つ原因がある。送り手と受け手の役割が階級を生む。受け取った情報をどう開き、蘇らせるかが問われる。


現代思想の冒険 (ちくま学芸文庫)