結局は人間であることを忘れていた時だけが愉しかった

 いや彼等には生活は一定の方式に従って歯車のように廻転しているのだろう。欲望の小さな愉しみが無数に重なり合って、過ぎて行った時間の空しさに気がついた時には、もうすべてが遅すぎて結局は人間であることを忘れていた時だけが愉しかったと、最後に、意識の溷濁(こんだく)した境にあって、思い出すことになるのだろう。しかし思い出したからといってどうなるものか。彼等が幸福なのは思い出さないことにあったし、その瞬間まで忘れていられればこそそれだけ幸福だったというものだ。私も亦(また)、人間であることを自分に問い続けることの無意味さを知っているから、自らに記憶を禁じて、自分を機械に仕立てて来たつもりだ。しかし人は生きながら、意識の中に溷濁を持つこともある。彼はそういうふうに生れついている。


【『忘却の河』福永武彦(新潮社、1964年/新潮文庫、1969年)】


忘却の河 (新潮文庫)