公教育は災いである

質問者●国の(公)教育は災いではないでしょうか? もしそうなら、政府によって管理されない学校の建設資金をどのようにして調達したらよいのでしょうか?


クリシュナムルティ●明らかに、公教育は災いです――政府は納得しないでしょうが。彼らは人々が考えることを望みません。彼らは人々が自動人形であることを望んでいるのです。なぜならそのときには、人々にどうすべきかを教えこむことができるからです。そのように現代の教育、就中政府の手中にあるそれは、ますます「どのように」考えるかではなく、「何を」考えるかを教えこむ手段になりつつあります。なぜなら、もしあなたが制度から独立して考えるようになったら、あなたは危険な存在になるからです。ですから、世界中で見受けられるように、どの政府も教育に介入しつつあるのです。皆さんが商品や弾丸を生産している完璧なマシーンであるかぎり、左寄りの政府だろうと右寄りの政府だろうと、左うちわでいられるのです。(中略)
 そしてこれは皆さん――市民であり、政府に責任がある皆さん――が、自由を欲していないことを意味しているのです。皆さんは、新しいあり方、新しい文化、新しい社会構造を欲していないのです。もし皆さんが何か新しいものをお持ちなら、それは革命的かもしれませんし、現状破壊的かもしれません。そして皆さんは物事をそのままにしておくことを望むので、こう言うのです。「そうだ、教育を統制してくれる政府を支持しよう」。皆さんはあちらこちらで小さな修正は望むのですが、考え方そのものの革命は望まないのです。そして皆さんが考え方そのものの革命を欲するやいなや、政府が口をはさみ、皆さんを投獄するか、あるいはすみやかに屋外に追放し、そして皆さんは忘れ去られるのです。皆さん、人間自身が何の内なるビジョン、内なる光、理解も持っていないとき、一国はますます組織化され、そしてますます権威と外部的強制が強まるのです。そのとき個人は、全体主義国家においてだろうと、あるいはいわゆる民主主義国家においてだろうと、権力者たちの単なる道具になり下がるのです。なぜなら危機の瞬間には、いわゆる民主主義国家も民主主義を忘れ、民衆を一定の行動様式にあてはめさせることによって、全体主義国家のようになるからです。
 さて、質問の後半は、「政府によって管理されない学校の建設資金を調達するにはどうしたらいいか」です。皆さん、もちろんこれは問題ではありません。違いますか? 資金を確保するやいなや、皆さんは堕落するのです。最も理想的な仕方で始まるすべての学校を見渡してごらんなさい。その校長を見てごらんなさい。彼らは、その上にあぐらをかいて肥え太るのです。しかし皆さんは、自分の住居のすぐ近所に小さな学校を始められるのです。私はそのようにして始められた学校を知っていますが、それらはいまもなお続いています。なぜならそれらは用意の上でできたからであり、情熱と思いがこめられているからです。われわれの困難のひとつは、われわれが人類全部を一朝一夕で変容させようと望む――あるいは皆さんのいわゆる大衆を感化させようと望む――ことです。大衆、あわれな人類とは誰でしょう? あなたであり私です。ですから、もしあなたが深く感ずるところがあれば、もしあなたが、午後の数時間だけ表面的にではなく、本当にこれらの問題を熟考するなら、そのときには正しい学校をどこか、すぐ先の横町かあるいは自宅の中で始められることがわかるでしょう。なぜならそのときには、皆さんは自分の子供、ひいては周囲の子供たちに興味があるからです。


【『クリシュナムルティの教育・人生論 心理的アウトサイダーとしての新しい人間の可能性』大野純一著編訳(コスモス・ライブラリー、2000年)】



クリシュナムルティの教育・人生論―心理的アウトサイダーとしての新しい人間の可能性