ヨルダン川西岸のジェニンでは、国連パレスチナ難民救済事業機関(UNRWA)が運営する女子小学校を訪ねました。3月4日からの5日間におよぶ侵攻で、戦車によって爆撃を受け、校庭も校舎も銃弾の跡で穴だらけでした。
ある女の子が、私にノートを見せてくれました。
彼女のノートは、銃弾を受け、ビリビリに切り裂かれていました。そしてその裂け目の間には、まだ弾丸がくいこんだままでした。
彼らは、授業中の小学校を銃撃したのです。たくさんの子どもたちがケガをしましたが、病院に運ぶこともイスラエル兵は阻み、助けに入ろうとする者を次々に撃っていきました。
この日、UNRWAのジェネラルディレクターが駆けつけてキャンプに入ろうとしましたが、イスラエル兵はそれも拒みました。