古本屋の覚え書き

古い書評&今週の一曲

すべての戦争に対する責任は、われわれ一人一人が負わなければならない/『自己変革の方法 経験を生かして自由を得る法』クリシュナムーティ

『大師のみ足のもとに/道の光』J・クリシュナムルティ、メイベル・コリンズ

 ・すべての戦争に対する責任は、われわれ一人一人が負わなければならない

『自由への道 空かける鳳のように』クリシュナムーテイ


 2年前、レヴェリアン・ルラングァの『ルワンダ大虐殺 世界で一番悲しい光景を見た青年の手記』を読んだ。ページを繰りながら身体中の血管を怒りという怒りが駆け巡った。


 隣人のフツ族に略奪され、レイプされ、多数の釘が打ち込まれた棍棒で殴られ、幼い子供は手足を切り取られたまま放置された。少しでもツチ族が長く苦しむようにとマチェーテ(山刀)で切り刻まれた。3ヶ月間で殺された数は100万人に及んだ。


 ルワンダはイギリスとフランスに蹂躙(じゅうりん)されていた。大虐殺が始まってからもフランスはフツ族に加担した。国連は無視した。そしてアメリカがルワンダ救援を阻止した。


 アフリカ大陸は憎悪に包まれている。先祖は奴隷にされ、今もなお貧困に喘いでいる。資源という資源はヨーロッパに奪い尽くされ、あとは野となれ山となれってわけだ。ゴミステーション以下の扱いといっていいだろう。


 人間は憎悪に駆り立てられると、いくらでも残虐な真似ができる。ルワンダがそれを教えてくれた。


 大虐殺に至る憎悪は、情報によって操作されているのが常だ。それは親から子へ、教師から生徒へ、老人から若者へと伝えられる。しかも客観的な事実ではなく切り取られた感情が増幅して伝えられる。不慮のアクシデントに見舞われれば、全部「あいつらのせい」となる。憎しみの種は、芽を出し、やがて太い幹へと成長する。


 傷つけられたプライド、へし折られた鼻はいつだって報復の機会を窺っている。それが100年前の話だろうとも。


 こうやって人間は互いに殺戮(さつりく)を重ねてきた。世界は混乱したままだ。何ひとつ変わっていない。忘れた頃に再び殺し合いが始まることだろう。


 この悪しき連鎖に終止符を打つことは可能なのか? 世界を変えることはできるのか?

 外部の社会構造は内部の心理的構造の生みだした結果である。というのは、個人そのものが人間の経験と知識ならびに行為の全体を集約したものの結果だからである。われわれ一人一人がすべての過去を貯蔵した倉庫である。個人は、その一人一人がみな人類の一員たる人間なのである。人間の歴史のすべてがわれわれ自身の中に記録されているのである。


【『自己変革の方法 経験を生かして自由を得る法』クリシュナムーティ著、メリー・ルーチェンス編/十菱珠樹〈じゅうびし・たまき〉訳(霞ケ関書房、1970年)以下同】


 確かにルワンダ大虐殺は私の心に記録された。刻み込まれて消えることはない。胸の中にはフツ族への憎悪が脈打っている。そしてイギリス、フランス、アメリカ、国連に対しても。


 だがそれでは、結局同じことの繰り返しにしかならない。私がフツ族を殺し、フツ族の家族が私の家族を殺し、暴力の輪は無限に拡散してゆく。

 すべての戦争に対する責任は、われわれ一人一人が負わなければならない。それは、われわれの内部にある攻撃性、国家主義、利己主義、もろもろの神々、偏見そして理想が、多くの分裂の原因となっているからである。われわれは日常生活の中で世界各地で起こっている悲惨な事件に関与しており、戦争や分裂、そしてまた、醜悪さと残虐性と貪欲にみちみちたこの恐ろしい社会の一部を形づくる存在であり、それゆえにこそあなたと私が現代のさまざまな混沌のすべてに対する責任を有することを知的にではなく、われわれが空腹や苦痛に対して抱くのとまったく同じ現実感をもって理解するときにはじめてわれわれは行動を起すのである。


 日常に潜む私の小さな蔑(さげす)み、嘲笑、無責任、嘘、インチキ、デタラメ、不親切、心ない言葉……これがルワンダにまでつながっていたのだ。もちろん、パレスチナにも通じている。


 つまり、私と私の周囲にしか世界は存在しないのだ。六次の隔たりがそれを証明している。世界の実態はスモールワールドなのだ。


 争いの絶えない世界で、平和に生きることは実に困難だ。それは意志でもなく、声高な主張でもない。自らの内部に完全な静謐(せいひつ)を湛(たた)えることだ。クリシュナムルティが示したように。私が変われば、即座に世界も変わるのだ。


暴力と欲望に安住する世界/『既知からの自由』J・クリシュナムルティ