古本屋の覚え書き

古い書評&今週の一曲

「観察」のヒント/『生と覚醒(めざめ)のコメンタリー 3 クリシュナムルティの手帖より』J・クリシュナムルティ

・『生と覚醒(めざめ)のコメンタリー 1 クリシュナムルティの手帖より』J・クリシュナムルティ
・『生と覚醒(めざめ)のコメンタリー 2 クリシュナムルティの手帖より』J・クリシュナムルティ

 ・「観察」のヒント

・『生と覚醒(めざめ)のコメンタリー 4 クリシュナムルティの手帖より』J・クリシュナムルティ


 原書は3冊でそれぞれ1956年、1959年、1961年に刊行されている(日本語版は全4冊)。オルダス・ハクスレーが「なぜあなたは何か書こうとしないのですか?」とクリシュナムルティに言ったのが1942年のこと(メアリー・ルティエンス著『クリシュナムルティ・実践の時代』)。つまり、執筆は第二次世界大戦中に開始されたのだ。


 事実に基づいて書かれており、創作箇所はないようだ。相談者との対話がコンパクトに描かれている。冒頭に配された風景描写が詩的で神々しい。それに対して風景の中以外で描かれる人物には冷徹な眼差しが注がれている。双方が絶妙なアクセントとなって対話に彩りを添えている。


 紹介するのは珍しい描写で、多分講話に向かう途上で擦れ違った人々だと思われる。風景描写で描かれる人物の多くは点景といった感じが多いのだが、距離が近いせいか妙に生々しく描かれている――

 婦人が二人、頭に薪を乗せてその小道を下りてきた。一方は年をとっていたが、他方はごく若かった。そしてかれらが運んでいる荷物は、かなり重そうだった。どちらも、一枚の布で保護された頭の上で、緑色の蔓でくくられた、乾いた枝の長い束の釣り合いを保たせるように、片手できちんと押えていた。かれらの体は、軽い、流れるような足取りで丘を下りながら、自在に揺れた。道はでこぼこしていたが、二人は足に何も着けていなかった。足はそれら自体の道を見出しているようだった。なぜなら二人とも決して下を見ずにいたからである。かれらの頭は垂直に保たれ、目は充血し、そしてよそよそしかった。かれらはとてもやせており、あばら骨が浮き出ていた。そして年とった婦人の方は髪の毛がもじゃもじゃで、洗っていなかった。少女の髪は、かつては櫛ですかれ、油を塗られていたに違いない。なぜならまだきれいな、きらめく房があったからである。しかし彼女もまた疲れきり、疲労感が漂っていた。さほど遠からぬ昔、彼女は他の子供たちと一緒に歌い、遊んでいたに違いないが、しかしそれはすべて終わった。今は、このあたりの丘に入って薪を集めることが彼女の人生だった。そして死ぬまでそうであることだろう。時々子供が生まれることで一休みはするだろうが。


【『生と覚醒のコメンタリー 3 クリシュナムルティの手帖より』J・クリシュナムルティ/大野純一訳(春秋社、1984年)】


 女性二人を「かれら」と翻訳しているのが気になる。クリシュナムルティが描く光景は時間の経過を感じさせない。本当に絵画さながらの静謐(せいひつ)を湛(たた)えている。切り取られた瞬間は、刻々の生=現在を生きている証拠なのだろう。


 見るからに貧しい二人は健康を維持することもかなわず、清潔さを保つこともできなかった。人は運命に支配される。人は社会の枠組みに従う。そして人は生の片隅しか生きられずに死んでゆく。六道輪廻(ろくどうりんね)。


 女性二人の話し声が聞こえるほど近づく。クリシュナムルティの瞳は、常々彼が説く「観察」を示す。世界の内外が瞬時に入れ替わる――

 その小道をわれわれは皆下りていった。小さないなか町は数マイル先だった。そしてそこで二人は、その重荷をはした金で売り、明日また初めから繰り返すことだろう。かれらは、長い沈黙の間を入れながら、おしゃべりしていた。突然、若い方が、母親に、おなかがすいたと言った。すると母親は答えた。自分たちは飢えとともに生まれ、飢えとともに生き、そして飢えとともに死ぬのだ、と。それがかれらの宿命だった。それは、一個の事実の表明だった。彼女の声には、何の非難も、何の怒りも、何の希望も込められていなかった。われわれは、その石の多い小道を下り続けた。かれらの後で聞き、同情し、そして歩いている観察者はいなかった。彼は、愛と同情からかれらの一部だったのではなかった。彼は【即】かれらだった。彼はやみ、そしてかれらだけがいた。かれらは、丘で出会った見知らぬ他人ではなく、かれらは彼のものだった。束を押えていたのは彼の手だった。そして、汗、疲労困憊、におい、飢えは、分かたれ、そして気の毒に思われるべきかれらのものではなかった。時間と空間はやんだ。われわれの頭の中には何の思考も湧かなかった。疲れきって考えられなかった。そしてもしわれわれに考えることがあるとしたら、それは薪を売り、食べ、休息し、そしてまた始めることだけだった。石の多い小道の上の足は、決して痛まなかった。頭上の太陽もまた苦痛ではなかった。その通い慣れた小道を下り、いつものようにわれわれが水を飲む井戸を通り過ぎ、そして以前あった流れの乾いた床の上を渡っていたのは、われわれのうちの二人だけだった。


「観察者」「彼」とはクリシュナムルティ自身のことである。相手の刻々と流れ通う生を観察した途端、観察者と観察されるものの分離は消え去る。クリシュナムルティは観察することで、彼女達と完全に同化したのだ。


 これをスピリチュアル・パワーと受け止めるべきではない。生命の広がりが他者を包み込む要素をスケッチしているのだ。仏教では「感応」(かんのう)とも「同苦」(どうく)とも表現している。


 観る者は観られる対象である。これまた仏教の「境智冥合」(きょうちみょうごう)と全く同じ思想である。境智の二法とは、境は対境で世界を、智は自分の智慧を意味する。境智が冥合するところに妙なる法が貫く寂滅の世界が出現する。広がった生命は包み込み、溶け合う。「我」(が)の大地は叩き破られ、生の流れが噴出する。これこそ諸法無我の境地であろう。


 ここでクリシュナムルティは「私」が「あなた」であることを教えている。世界は「私」と「あなた」の関係性の中にしか存在しないからだ。これまた、完全に縁起の思想となっている。世界の実相は「縁(よ)りて起こる」ところにあるのだ。


 そして「観察」とは、日蓮が説いた「観心」(かんじん)である。

 涅槃経(ねはんぎょう)に云く「一切衆生異の苦を受くるは悉(ことごと)く是如来一人の苦なり」等云云、日蓮云く一切衆生の同一苦は悉く是日蓮一人の苦と申すべし(「諌暁八幡抄」)


 覚者(かくしゃ)とは一切衆生の苦しみを引き受ける人物であった。そして覚者は終生にわたって対話に徹した人でもあった。悟りに安住する者が真の覚者であった例(ためし)はない。


生と覚醒のコメンタリー―クリシュナムルティの手帖より〈1〉生と覚醒のコメンタリー―クリシュナムルティの手帖より〈2〉生と覚醒のコメンタリー〈3〉クリシュナムルティの手帖より生と覚醒のコメンタリー〈4〉クリシュナムルティの手帖より


・『生と覚醒のコメンタリー
比類なき言葉のセンス/『すばらしい新世界』オルダス・ハクスリー:黒原敏行訳
メタフィクションが表す真実/『シッダルタ』ヘルマン・ヘッセ
『「見る」とはどういうことか 脳と心の関係をさぐる』藤田一郎