1冊挫折、2冊読了。
挫折17『逸脱とコントロールの社会学 社会病理学を超えて』宝月誠〈ほうげつ・まこと〉(有斐閣アルマ、2004年)/横書きだった。横書きというだけで読む気が失せてしまった。
33冊目『ものぐさ精神分析』岸田秀〈きしだ・しゅう〉(青土社、1977年/中公文庫、1996年)/今月の課題図書。10年ぶりの再読。面白い。脳科学が発展した現在でも十分に通用する論理だ。二枚腰、三枚腰といったところ。性に関する部分が肛門のオンパレードでいささか鼻白(はなじろ)むが、それは私の幻想が強いためなのだろう。後半で心理学者をこき下ろしているが内部告発というよりも完全な反逆。やはり冒頭の国家と歴史について書かれたテキストが圧巻。あと2〜3回は読む必要がありそうだ。
34冊目『たった一人の30年戦争』小野田寛郎〈おのだ・ひろお〉(東京新聞出版局、1995年)/一気読み。いやはや凄い。何がこれほどまでに涙を誘うのか? 小野田さんが上官の命令によって「投降」したのは昭和49年(1974年)3月9日のことであった。実に終戦後から29年を経ていた。私は当時小学4年生だった。幼心に「凄い人がいるな」とは思ったものの、まさかこれほど凄い人だとは知らなかった。表紙になっている写真は投降前のもので、眼光の鋭さはまさに軍人のものである。当初は4人で行動していたが一人が昭和29年に死亡。一人は逃走。そして生死を共にしてきた小塚一等兵が昭和47年に射殺された。陸軍中野学校二俣分校で学んだ小野田さんは、中野学校そのものと化していた。中野学校で学んだ技術によって小野田さんは生き延びることができた。そして中野学校で叩き込まれた諜報活動の習性によって小野田さんは終戦を信じることができなかった。日本政府が幾度となく動き、家族による呼び掛けも行われたものの、小野田さんは「いまだ任務を解かれていない」という一点で諜報活動を続けた。本当にたった一人で30年間にわたって戦争を続けていたのだ。まず驚かされるのは、その冷静さである。飲み水に留意し、毎日大便の状態を検(あらた)めて健康をチェックする。口論となった際にも合理的な姿勢は変わらない。捜索隊が置いていった手紙は「秘密開緘」(ひみつかいかん)という方法で開封した痕跡が残らないようにした。こうしてフィリピンのルバング島で「残置諜者」(ざんちちょうじゃ)として戦い、じっと日本軍を待ち続けていた。30年ぶりに帰ってきた祖国は金まみれになっていた。当時の田中内閣からの見舞金100万円を、小野田さんは靖国神社に奉納した。苛酷な30年間は勘違いといえば勘違いである。だが我々が生きている物語も大なり小なり「心のルバング島」に囚われていることだろう。小野田さんは清廉に生きた。その事実が読者の心を打たずにおかない。傑作である。