ナイフで切り裂いたような足の裏/『戦場から生きのびて ぼくは少年兵士だった』イシメール・ベア

 戦争はいつだって男達が始め、女と子供が被害者となる。シエラレオネの内戦で家族と離れ離れになった少年達は逃げ惑う。靴を奪われ、裸足でアフリカの大地を歩き続ける――

 熱い砂の上を、夕暮れまで歩いた。あの日ほど、一日の終わりが待ち遠しかったことはない。日が沈めば痛みも治まると思った。ところが、熱が引くとともに、感覚の麻痺も消えていく。足をもち上げるたびに血管が締まって、血のにじむ足の裏に砂粒が食いこむのを感じた。それからの数キロはひどく長かったので、とうてい歩ききれないと思った。汗が流れ、痛みで身体がぶるぶる震えた。ようやく、砂地にぽつんとある小屋に行き当たった。だれひとり口がきけなかった。みんなでなかに入り、炉端の丸太に腰をおろした。ぼくの目には涙があふれていたけれど、泣けなかった。喉がかわききって、声が出せないのだ。ぼくは周囲を見回し、旅の道連れたちの顔を見た。彼らもやはり、声を出さずに泣いている。おそるおそる、自分の足の裏をのぞきこんだ。赤剥(む)けた肉が垂れさがり、血の塊(かたまり)と砂粒が、ぶらさがった皮という皮にへばりついている。まるで、だれかが本当にナイフを使って、ぼくの足の裏の肉を、かかとからつま先にかけて切り裂いたようだった。


【『戦場から生きのびて ぼくは少年兵士だった』イシメール・ベア/忠平美幸訳(河出書房新社、2008年)以下同】


 戦争は子供達をここまで追い詰める。いかなる大義や正義があろうとも、戦争は無辜(むこ)の人々を苦しめる。戦争をコントロールする人物から見れば、殺す者も殺される者も使い捨ての駒のようなものだ。他国民を虫けらのように殺害し、自国民を兵士として犠牲にする罪を考えると、「戦争を始めた者」は死刑に処されてしかるべきだろう。

 2〜3時間が過ぎてから、サイドゥはとても深い声で、まるでだれかが乗り移ったみたいに、こう言ったのだ。「あと何回ぐらい死を受け入れれば、安全な場所が見つかるんだろう?」


 壮絶な諦観(ていかん)は「地獄の中の悟り」であった。そして彼等は、“生きるために少年兵”となり、今度は他人を殺す側に回るのだ。憎悪の連鎖。憎しみはスパイラルを描いて、更なる地獄を目指す。


戦場から生きのびて ぼくは少年兵士だった