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仏教の変遷 インド〜中国〜日本/『最澄と空海 日本仏教思想の誕生』立川武蔵

 鎌倉仏教に多大な影響を与えた最澄伝教大師)と空海弘法大師)。同時代を生き、共に唐の国で学んだ二人は、仏教界に革命を起こす。空海はともかく、最澄がこれほど密教の影響を受けていた事実を私は知らなかった。


 また、インド、中国、日本を経て、仏教思想がどのように変遷してきたかも、よく理解できる。結局のところ、思想は文化でしか受け止めることができないのかも知れない。安易に「変質」と斥けることは難しい。

 平安時代になると、「諸法実相」の考え方が発展して「本覚(ほんがく)思想」が生れた。これは人間はむろんのこと、山川草木(さんせんそうもく)を含むすべてのものが成仏するという考え方であるが、インドの仏教からすればかなりの変質といわざるを得ない。ネパールやチベットの仏教も「山川草木が成仏する」とはいわない。しかし中国仏教にはこのような考え方の芽がある。そのかぎりでは、中国仏教と日本仏教は近いといえよう。というよりもも日本仏教は、そのような中国仏教の思想を、日本の文化的風土の合わせて導入したといった方が正確であろう。
 平安後期から末期にかけて勢力を得た「本覚思想」に対して、二つの方向からの批判が生れた。一方は法然(1133-1212)や親鸞(1173-1262)の浄土教であり、もう一方は道元(1200-53)を中心とする禅仏教であった。鎌倉仏教の主役であったこの二種の仏教伝統は、本覚思想が安易な現実肯定におち、悟りを求める実践の重要性を軽視していると批判した。


【『最澄空海 日本仏教思想の誕生』立川武蔵〈たちかわ・むさし〉(講談社選書メチエ、1998年)】


 批判された本覚思想というのは、“行き過ぎた肯定論”ともいうべき代物で、元々は悟っている存在なんだから修行も戒律も不要であるという主張と思われる。ただ、本覚思想の是非はともかく、インドでは人間を見つめた仏教が、中国では精神世界を、日本では人間を取り巻く大自然をも視野に入れたような印象を受けた。


 平安仏教の思想的退歩から、鎌倉仏教が台頭したという事実も興味深い話だ。律令制から武家政治へという社会の変化を踏まえると、思想と政治は時代の根っこでつながっているのだろう。


 武家政治とは、現代でいえば軍事を重んじる政治体制といえよう。軍事を無視した外交が考えられないのであれば、我々が置かれているのは鎌倉時代と似た世界なのかも知れない。とすると、明治期に輸入された西洋の思想を鋭く批判し、止揚する新たな思想・哲学・宗教を生むことが、世界の現状打開となる。