田川建三の威勢のよさは好きなんだが、論理の飛躍があるため、どうしても説教臭い印象を受けてしまう。また、同じ主張の繰り返しが目立ち、小うるせえ年寄りみたいだ。
古代人が、心をふるわせて、一つ一つの収穫のたびに、この自然をたまわったことについて感謝していたことを、今、我々は思い出してみる必要があろう。彼らは、その自然を与えて下さった神様に感謝した。我々も、同様にその神に感謝しようではないか。神なんぞ存在しなくてもかまわないから。
こういう感謝を最も素直に表現していたのは、イエスという男である。
クリスチャンでありながら、あっけらかんと「神なんぞ存在しなくてもかまわないから」という物言いに思わず笑い声を上げてしまった。ただ、どうなんだろうね? クリスチャンってえのあ、やたらめったら「神への感謝」を強いられているので、どうも他人に対する感謝の念が乏しいように感じる。神様の方ばっかりじゃなくて、周囲の人々をよく見るべきだろう。
キリスト教に対する疑問は以下の通り――