古本屋の覚え書き

古い書評&今週の一曲

とんだ肩透かしを食わされた話題作/『ブエノスアイレス午前零時』藤沢周

 今月、河出書房より文庫化されることを知り、面白かったら人に薦めてみようと思って読んでみた。ご存じ、昨年の芥川賞受賞作品。いまだにハードカバーを平積みにしている本屋があるところを見ると、結構売れているのだろう。本書にはタイトル作品と「屋上」の2編が収められている。


 芥川賞も地に墜ちたものだ。所詮、文藝春秋という一出版社が施す賞に過ぎないことが大変よくわかった。受賞が発表されたその日には、きっとあの世で流した芥川の涙が、冷たい雨となって降り注いだことだろう。


 それほど大した作品ではない。この本を薦められるのは20代の純文学愛好青年のみだ。あるいは純文学入門としてはそれなりの効果を発揮できるかも知れない。とんだ肩すかしをくわされてしまった。引間徹によく似ているが、引間の『19分25秒』(集英社)の方が面白い。


 雪国にある「ホテルみのや」。田舎ホテルではあったが110坪のコンベンション・ホールが目玉で、社交ダンスをパックにしたツアー客で何とかしのいでいた。主人公のカザマは、東京での暮らしに見切りをつけUターンして来た孤独な青年だ。ホテルの従業員として働くカザマと、ダンス・パックで訪れた老嬢ミツコの一瞬の出会いを、独特のタッチでスケッチした物語である。


 筋運びはそれほど悪くはないのだが、文章の腰が弱く、ちょっとボーッと読んでいると何が何だかわからなくなっている。更にレトリックが一様なのも気に掛かるところだ。そのために、どうしてもリズムが平板になってしまいがち。だが、科白は上手い。時に方言を交える工夫が施され、老若男女の息遣いを巧みに科白に配している。主人公の神経質なまでの感覚描写もなかなか技巧を凝らしている。但しこちらは著者の性癖かも知れない。汚れたものへの過剰な感性が悪意とは少し異質な退廃感を生み出している。物憂い嫌悪を抱く閉鎖的な青年心理をカッターで切り取ったように記す。

 いきなりナチュラル・スピン・ターンで派手にドレスの裾を回したのは、女将だった。もちろん、相手は竹村だ。昨日とは違って、ブルーに金のスパンコールが散っているドレスを着ている。竹村のどす黒い顔がずっと笑い続けていて、串刺しされた生首のようだ。それを女将が持って踊っているのだ。(73p)


 些細な醜悪を殊更誇大に表現する藤沢のペンは邪な力を込めて走る。


 カザマ(どうしてカタカナなのだろう?)は呆け老人ミツコにダンスを申し出る。神経質でペシミズムに取り憑かれた青年を動かしたのは何だったのだろう。元娼婦にして、盲目の老女。ホテルを徘徊し、記憶は過去に呪縛され、ブエノスアイレスが頭を占めている。そんなミツコにカザマが手を差し延べ、躊躇しながらもステップを踏み出したその瞬間、魂がシンクロするようなドラマが生まれる。数日前にはには閉ざされていたピアスの穴にサファイアが揺れて光っていた。そして、ダンスという行為がミツコの心に風穴を空けた。踊りながら過去と現在を行き来するミツコ。フラッシュ・バックするミツコに不思議な同調を覚えるカザマ。渾然一体となった過去と現在を挟んでミツコとカザマは向き合う。


 クルクルと回り続ける2人が踊る様(さま)に輪廻が垣間見える。ブエノスアイレスの記憶は、昨日と今日を分け、過去と現在が溶け合う「午前零時」で二人のステップに合わせて揺れている。