・命の炎はしっかりと燃えている
花の写真集である。丸山健二が一人で作った自宅の庭に咲き乱れる花々だ。庭の写真集ではないので注意が必要だ。言葉は「ついで程度」に記されている。
昔ながらの丸山ファンから不評を買ってから久しい年月が経つ。庭造りに傾倒するようになってからは、更なる不評を買う始末だ。
丸山の最大の弱点は「人間を知らない」ところにある。それゆえ、物語の完成度が低くなっているのだ。エッセイ風の小説『さらば、山のカモメよ』(集英社、1981年)を除けば、「不安を拡張」することに重きが置かれているために、どうしてもカタルシスが得られないのだ。カタルシスと言っても、別に「めでたしめでたし」という結末を望んでいるわけではない。
その意味で丸山は「文体でもっていた」作家であった。古いエッセイは今読んでも十分面白い。ところが、初老に差し掛かった頃から、アナーキズムを礼賛するようになり、それ以降独善に拍車がかかった。ここに「自立」の落とし穴がある。
人間というのは社会との関わりなしでは生きてゆけない。だから齢(よわい)を重ねると、政治・経済・思想・宗教といった方向に思考が向かう。だが丸山は庭に向かった。次はきっと石になると俺は読んでるよ。そう、宝石だ(笑)。各世代の嗜好というのがあって、異性→食→花・植木→石と老いに伴って変化するのが一般的だ。
見たこともない美しい花々が次から次と出てくる。「過剰なまでの審美的演出」――これが丸山の美学か。花ではなく、子を育てれば丸山作品もぐっと変わったかも知れない。
それでも60代半ばとなった丸山は気を吐いてみせる――
魂までが凍てついたとしても、
その先にあるのは破滅ではない。
命の炎はしっかりと燃えている。
窓辺に置いたローソクの写真が配されている。花々も命の炎を燃やしながら、じっと冬を忍んでいる。