小野不一
なら、小野さんはあの実話に基づいた映画 『暁の七人』の若者二人の死、自殺をどう見たの? やはり、生きて拷問にも耐えるべきだったんだろうか。
嫌だなー、好きな映画を出されると困っちまう。あのクライマックスは、高校生の時に見て以来、忘れようにも忘れられないシーンだ。彼等は拷問によって仲間を売ることが許せなかったのかも知れない。あるいは、敵の手によって殺されることを潔しとしなかったのかも知れない。実話を元とした映画であるが、彼等の行動が逃避とは到底思えない。
小野不一
私の読みは、小野さんは「生きようとする意志」の一点を強調をされているのではないか、というものです。
気をつかって頂きまして、ありがとござんす。
私が主張するのは、生命を最高最大に尊厳とする価値観のみが、20世紀の闇を払うことができるのでは、という確信に基づいたものなのです。
等価物を持たないことを尊厳とするならば、いかなる苦痛よりも、命を尊厳とする価値観でなければ、人を犠牲にして平気な社会が変化することは望めないと思うのです。
小野不一
自殺のハナシをしているのですか? 自殺と安楽死は全く別。
全く別じゃありません。安楽死が抱える微妙な問題は、自殺と他殺が絡んでいることであり、それを正当化できるような視点が成立するところにあるのではないでしょうか。
小野不一
「仏家一大事の因縁」ですから仏教者となるにいたった根本の、もっとも大切な因と縁、つまり目的ということになります。生死の真理を自身から明らかにする(=サトリ)ということが根本であると……。
最後の「であると……」が気になりますなあ。するってえと「悟り」ってえのあ何なんでしょうかね?
yamabiko
自殺には、他殺はからまんでしょうが。他殺、と、幇助、のところが問題だ、といっとるんですよ。
ま−
反省しました。また元気に頑張ります。
僕はyamabikoさんの感覚に近いと思います。あくまで自殺は個人の自由。安楽死も自殺の中の一種であり、他殺の一種でもある。だから、問題がある。
「真実」として、安楽死が行われる事には抵抗を感じませんが、公然と行われる事に問題を感じるのです。死を法律として、積極的に公認するのはどうかと……。
そういう意味では、どちらかというと、自殺と比べた議論より、死刑と比べたご意見が聞きたいです。
yamabiko
死を積極的に、でなく、やむなく公認、だとおもいますよ。こんなに厳しい条件でも、死を望むような情況が存在する、ということでしょう。コレは、考えても無駄なことで(哲学の問題ではなく、経験、の問題)実際どのような情況であるか、を知る必要がある、とおもいます。(NHK ETVでやっていたのは オレゴン州、の例)安楽死法、など、頭でこね上げるのは不可能です。
本人が望む、というのだから 死刑とも全く異なると思うが。
山野健一郎
小野さんの趣旨ようやくわかってきました。しかし、人間以外の生命をどのように考えればよいのか。牛、豚、鶏など大量生産ベルトコンベアー式に物として扱っているように思える。現代社会においては、それら動物の死に対する尊厳など無いように思える。だから、平気で生ゴミとしても廃棄もする。オノレが殺生しなくても、口に出来るため、それら動物の尊厳など意識しなくてもよいからだ。人間の尊厳を究極まで求める一方、牛などはまるで物扱い。人間だけが特別待遇でよいのか。牛などの生死をコントロールするならば、オノレ自身の生死も多少はコントロールする余地があっても良いのではないか。
セイ・オールド男
小生いつも感ずること。動物に対してフェアじゃない。狩りは認める。食うために狩る。必死に追い、仕留める。反撃されて、傷つけられるリスクも負う。これは自然が許す。しかし、飼育場は肉生産工場で、動物に対してはなにをしてもよい、それは経済動物なのであって、経済の論理で扱ってよいという考え方は、動物に対しての非道というに留まらないで、人間のこころ、魂をどこか深いところで損なう形で返ってくる。肉を食べるときにただ美味い、と思えないところがある。小生動物と関わり、「情」に関しては人間と殆ど変わらないのをみる。飼育場の牛、豚の「情」を考えると、辛いものがある。
小野不一
動物に関しては、手を合わせながら押し戴くしかない。個人的には、動物の「栽培」のような気もする。キリスト教の連中などは、菜食主義でござい〜、なんてぬかしやがるが、そう言われると、わたしなんぞは「じゃあ、植物は生き物じゃねえってえのかよ」と反論したくなる。生の影に他者の死、必然なり。故にタダメシ食らいは罰当たりな存在だ。
yamabiko
はは、オモロイ事言うね。じゃ、生き物である、ということはなんなんだ? くさいフイツサンのカラダを、グシャっと潰したとする。生きている、死んでいる、状態で、分子原子量はまったく同じだ。生きている、つのは、死んでいる、のとどうちがうんかいの?不一原子は永遠に不滅じゃよ。心肺すんな。フイツサン。心配すんな。森羅万象さまたち。安心して、諸行無常、してつかあさい。
ま−
すいません。死刑の話に戻りますが・・・
確かに本人が望んでいないという点で大きく異なりますね。死刑には犯罪抑止効果は無いという意見もあります。実際どうなのかは分かりませんが被害者の遺族が望む事はあるでしょう。それが経験上、という事なのでしょうか……。
動物と人間に関しては良く分かりません。人間より動物が弱いから食べられてしまうのでしょう。価値の話はわかりません。価値観はそれぞれですので……。でも弱いからと言って食べて良いのかどうかもわかりません。弱い人間は食べてはいけないんですよね?「フェアじゃない」というのは弱い物イジメをするなという事でしょうか。最近、何故人を殺してはいけないのですか?が流行ってるようですが、何故動物を殺して良いのですか?は流行ってませんね。
yamabiko
フェア、でないというようなのは全く文化の主観、であり考慮するのに足りないとおもう。生物を、宇宙に発生させたのがフェアなことなのか?と問うだろうか? 生きることはフェアなことか?欲望を持つことがよいことか?死刑、についてはいろいろな考察が為されているのでそれを先に読んだほうが効率がよい。しかし、死刑を支持する学者もいるわけだから結論は出るわけはない。いまだに戦争、という名目で殺すのは認められているし。殺すこと、自体はすくなくとも犯罪ではないということになっている。
セイ・オールド男
宇宙人は強いから人間を食べる。人間的なもの(人間の側から感じる)一切をを奪い取られ、ただ宇宙人に食べられるために存在する、という場合を想像してみればよく分かる。
人間:宇宙人様、もう少しどうにかなりませんか?
というはず。言語的な伝達は不可能として、悲しい目で宇宙人を見る。
宇宙人→人間、人間→牛・豚、としてみれば分かる。
想像力の働かないところ、残酷は残酷ではなくなる。
セイ・オールド男
9対1の野球。審判は9の側。それで、負けたら裸踊り1万回。拳銃を頭に突き付けられ、「1」はこの試合条件を呑まされる。契約書には署名、捺印。すなわち双方合意の上。契約は成立。法律はこのような契約も契約として認める。野球場。観客は試合をみつめる。ただ強者と弱者の関係がそこにある。フェアとはなにか?
フェアとはある基準を認めることから生ずる価値である。
コロセウムで剣闘士がローマ兵に刃向かうことは、その歴史のローマでは、フェアではなかったのだろう。現在の「デモクラシー」ではフェアだ。抵抗権というようなものが存在するとする。自然法的な権利としての抵抗権を認めて無理がない。或いは、正当防衛。
山野健一郎
意味のない宇宙。目的のない宇宙。意味のない人間。目的のない人間。
意味のない、目的のない人間の命に、意味と目的を持たせることは、無理なのか?
意味も目的もなければ、オノレの意志が全てのように思われるが。
yamabiko
意味、も、目的、も、意思、も、すべて作り物(わたしは幻想といっている)であるとおもう。犬猫に意思があるだろうか?
人間は無目的に、無意味に、無意思でうまれ、たがゆえに、ではなく、にもかかわらず、でもなく、ただ 偶然に 意思をもつようになった。
で、どうかな?
アルキメデス
最後の「であると……」が気になりますなあ。するってえと「悟り」ってえのあ何なんでしょうかね?
釈迦仏教の基本は一切皆苦(生、老、病、死)からの解脱だったわけです。道元という人は、禅者というよりは、全一的仏教体系を超真面目に考えた人なので、こういう言葉がでてくるのだと、私は思っています。土台、宗教はドグマですから解釈は何とでもできると思いますが。サトリ(悟り、覚り、菩提)は宗派によってかなり違います。
山野健一郎
yamabikoさん、素晴らしい。
しかし、各人の生活、人間関係においては、意味も目的も造ることは可能だと思う。そういう意味と目的を見つけたなら、それでいいではないか。
yamabiko
もちろん、宇宙戦艦地球号、の艦内の舞台では 意味も目的もルールも造って生きているわけです。大部分の人が。
しかし、あるひ、これがいやになって、地球号いやになった、舞台おりたいのお、アノ世に行きたい、別のうちうに行きたい、ゆうひとがいるのを、防ぐことは論理的にはできません。強圧的には出来ます。今日、暑い?。。さぶ。い。
yamabiko
釈迦仏教の基本は一切皆苦(生、老、病、死)からの解脱だったわけです。
解脱してはイケマセン。苦にまみれていきましょう。でないと、アサハラ焼香になります。道元という人は、禅者というよりは、全一的仏教体系を超真面目に考えた人なので、こういう言葉がでてくるのだと、私は思っています。
詩人ではないでしょうか。体系より、個別に拘った人。空海は……体系派。親鸞は……知るらん。
土台、宗教はドグマですから解釈は何とでもできると思いますが。
マグマだとおもいます。宗教は、爆発だ!
マグマ大使、読んだ?
小野不一
失礼、見逃していた。
じゃ、生き物である、ということはなんなんだ? くさいフイツサンのカラダを、グシャっと潰したとする。
臭かないッスよー。ムンムン男の香り。あふれるフェロモン、漲る逞しさ。
生きている、死んでいる、状態で、分子原子量はまったく同じだ。生きている、つのは、死んでいる、のとどうちがうんかいの?
さすがですねー、好いことを言ってくれますなー。30年前の私と現在の私とでは、肉体的には全く別のものですよね。しかし、私は私として一貫している。心だって別のものといって差し支えないと思う。この肉体や精神を根本で支えるところに、我が生命を司る私がいる。
不一原子は永遠に不滅じゃよ。
エネルギー不滅の法則からいっても、死んだら、それでおしまいとは思えないなー。
yamabiko
30年前の私と現在の私とでは、肉体的には全く別のものですよね。
しかし、私は私として一貫している。心だって別のものといって差し支えないと思う。??心は、同じではないの?(というか、同じデアル、と思うのを心、という)肉体を構成する分子は3年位で入れ替わる、という(脳は同一らしい)。でも、30年前の俺、と、今の俺は、同じyamabikoである、と思うサムシングがあるから、俺、なんだろ?オーレイ!
この肉体や精神を根本で支えるところに、我が生命を司る私がいる。
ほれ、フイツ節。オカルト節。ひとつ出たホイのよさほのホイホイ!
不一原子は永遠に不滅じゃよ。
エネルギー不滅の法則からいっても、死んだら、それでおしまいとは思えないなー。
だからあ……心とは、カタチ=構造、なんですよ。。重さ、は死んでも、生きていても同じ。車をグシャ、とやったのは車(原子分子量は同じでも)。チャンと、デザイン通りに配置すると……ブルるンぶるん……と動き出す。人間も 同じじゃ……。ブルルッ、ブルっ。何?タタン? 南無阿弥陀仏。
小野不一
死刑には犯罪抑止効果は無いという意見もあります。実際どうなのかは分かりませんが被害者の遺族が望む事はあるでしょう。それが経験上、という事なのでしょうか……。
統計によると被害者の遺族が望むという事実はない。犯行直後はあるんでしょうがね。
動物と人間に関しては良く分かりません。人間より動物が弱いから食べられてしまうのでしょう。
これは邪推になるが、動物の種を見ると、食べる側の方が、より大きな価値を還元できる気がする。
価値の話はわかりません。価値観はそれぞれですので……。
私は価値観には高低があると思う。具体的にいうならば、何で悩んでいるかに、その人の価値観が現れていると思う。仕事もしないでパチンコに負けて悩んでいる人と、マザー・テレサの悩みは、やっぱり違うでしょう。
でも弱いからと言って食べて良いのかどうかもわかりません。
食べなければ死ぬ、というのが自然の摂理。これは厳しいよね。
弱い人間は食べてはいけないんですよね?
そこまで言っていない。食べる資格がないってえこと。
「フェアじゃない」というのは弱い物イジメをするなという事でしょうか。
フェアとは、裸になって相撲をとる精神である。
最近、何故人を殺してはいけないのですか? が流行ってるようですが、何故動物を殺して良いのですか? は流行ってませんね。
動物は苦情を申し立てられないからね。
小野不一
だからあ……心とは、カタチ=構造、なんですよ……
そりゃ違いますぜ。例えば目の前に水があったとする。この水は氷点下になると氷になる。また、沸騰すれば水蒸気となる。物を塗らしたり、人間を浮かせたり、空から降ってきたりする。こうした可能性を統合しているのが、水の性質。目に見えるものと見えないものの相違。なんだか当たり前過ぎることを書いちまったな。
yamabiko
グシャ、と潰したフイツサン。グシャ、と潰した、車。
↑これを、フィルムにとって、逆回転させて映写してみよう。するってえと、同じ分子原子、であっても、ある、一定の組み合わせ構造になった次点で、アラマフシギ、永久運動(動いたり、考えたり)するようになる……
コレ即ち、生命、これすなわち、心がある! とひと、の、いへり。
山野健一郎
無→ビッグバン・物質誕生→生命誕生→精神誕生→精神消滅→生命消滅→リトルバン・物質消滅→無
という永久運動の繰り返しなのか。人間は、無、物質、生命、精神の複合体である。そして、また、人間は、拡大・進化過程の宇宙の一部であり、縮小・消滅過程の宇宙の一部ではない。だから、人間の脳にも、拡大・進化という現在の宇宙の方向性が具備されているように思う。と、考えるなら、精神を持つ唯一の生命体である人間が、人間そのものが縮小・消滅の方向性を持つことは不可能なように思える。
yamabiko
事実、としてそうである、というのは経験でしかわからない。つまり、歴史的、一時的なモノ、と理解するほか無い。それ以上のことを推測してグランドセオリー、をつくるからおかしくなるのだ。
宇宙の方向性、を逆に辿る、思考もユルされる。
不可逆、は、可逆の一部、と考えるベシ。 ド・ニーチェ
アルキメデス
無→ビッグバン・物質誕生→生命誕生→精神誕生→精神消滅→生命消滅→リトルバン・物質消滅→無
これも一説にすぎません。宇宙のごく一部に過ぎない人間の脳に、宇宙を思惟することが可能なんでしょうか。夢のようなものでしょう。せめてよい夢を見ましょう。快楽の夢。不道徳の夢。地上のあらゆる不道徳を体験する夢。叫びましょう。「初めに行いありき」
あの〜、犬にも精神はあるでしょうか?
yamabiko
あの〜、人間たちも、ものを、考えてる、ってこと、あるのかな? そんなことニャ〜、の、かな。 振り〜ドリッヒ、ニャーチャ。
山野健一郎
喰って出して、SEXして、子を育て、眠る。この基本を、どのようなスタイルでやるか。正解はない。基本を大切にしたいと思う。なんだか疲れた。眠い。
山野健一郎
昨日、NHK教育で太宰治に関してやっていたけど、何度も繰り返した自殺は、狂言的なものであったらしいとのこと。玉川上水でのものもその可能性ありのような雰囲気だった。ということは、それだけが失敗したということ。その程度の男だったのかと思うとなんだかなー。という感じ。
ナジ
山野健一郎さん、お疲れになったらおやすみになる事よ太宰は最後は本当に死にたかったんだと思います。そのほかについては狂言で、相手が死んでしまって悲しんでいる自分にうっとりしているところが見られます、複雑な性格の人だったと思います。猪瀬さんはよく調べあげたと思いました。でも、本当の事はだれもしりませんよね本人だってなんだかわからないから亡くなったんじゃないですか?あの程度の男で充分愛せます。大好きだもの。
yamabiko
それより、おとといと、その前の、吉本隆明、の番組がえかったね。吉本の声もフィルムも初めてみた。三好十郎、という劇作家を非常に高く評価している。たしかに番組の通りだとすると、吉本の言う、チシキジンとか、転向とか、関係の絶対性、などは全部、三好から、出てくる。
小野不一
死刑、についてはいろいろな考察が為されているのでそれを先に読んだほうが効率がよい。しかし、死刑を支持する学者もいるわけだから結論は出るわけはない。いまだに戦争、という名目で殺すのは認められているし。殺すこと、自体はすくなくとも犯罪ではないということになっている。
人が人を殺すこと、それ自体をどう考えるかってことでしょうな。それを、理由によっては認めるのか、如何なる理由があっても認めないのか。
小野不一
意味、も、目的、も、意思、も、すべて作り物(わたしは幻想といっている)であるとおもう。犬猫に意思があるだろうか?
人間は無目的に、無意味に、無意思でうまれ、たがゆえに、ではなく、にもかかわらず、でもなく、ただ 偶然に 意思をもつようになった。
で、どうかな?
山健さんはもろ手を挙げて賛同されているようですが、私は全く反対です。
犬猫にも当然、意思はあるでしょう。それは本能に基づいた意思であり、向上心や成長とは無関係なことでしょう。動物は生まれ落ちた時から、敷かれたレールの上を歩む他ない。
私は大将とは、全く正反対の意見ですな。
万物が意味を持ち、あるべき場所に収まっている。
人間とは意味を生きる動物である。
小野不一
無→ビッグバン・物質誕生→生命誕生→精神誕生→精神消滅→生命消滅→リトルバン・物質消滅→無
という永久運動の繰り返しなのか。
そうでしょうね。生老病死(しょうろうびょうし)、成住壊空(じょうじゅうえくう)というのが、大宇宙が奏でるリズムでしょうね。
小野不一
宇宙のごく一部に過ぎない人間の脳に、宇宙を思惟することが可能なんでしょうか。
海よりも大きなものがある。
それは大空である。
空よりも広大なものがある。
それは人間の精神である。
小野不一
喰って出して、SEXして、子を育て、眠る。この基本を、どのようなスタイルでやるか。
これは動物としての基本ですね。人間の基本は歴史をつくることだと私は考える。
小野不一
その程度の男だったのかと思うとなんだかなー。
亡くなった方には、それだけの理由があると思う。実存的な疑問を追及すれば、自殺したくなるのが当然だとも思う。本源的な不安に目をつぶって我々は生きることができるのではないか。
ま−
いろいろ皆さんの意見とかみて考えてるうちになんだか安楽死法はあっても良い様な気がしてきました。少なくとも何か権利を奪う法律ではなくて権利を与える法律ですもんね。ルールってのは最小限の方が良いと思いますし……。人を殺しちゃいけないよ。っていうルールは絶対ではなく既にその中にいくつか例外が認められているわけで、そこに新しく1項目増えるだけだなと。自分で言っといて何ですが、病床に臥してる方が生きにくくなるというのは法律の問題じゃなくて世の中の問題ですよね。それはやはり終末医療の設備や意識の遅れの問題かなーと思いました。私の父も最期はホスピスで息絶えましたがもう少し早く入れたら良かったなと思いました。設備が少ないんですよね。
山野健一郎
喰って出して、SEXして、子を育て、眠る。この基本を、どのようなスタイルでやるか。
これは動物としての基本ですね。人間の基本は歴史をつくることだと私は考える。
各人がこの基本を真正面から取り組まないでおろそかにしたとしたなら、オノレを知ることが出来るのでしょうか。オノレを知らずに他者や社会を知ることができるのでしょうか。オノレも他者も社会も知らずにつくりあげる歴史とは、いったいどんな歴史なんでしょう。
yamabiko
オノレを知らずに他者や社会を知ることができるのでしょうか。
知らざるを知る、これ、知るナリ、つうわね。何時自身を知れ、というけど、これができれば、カミさんじゃわ。おのれをしらず(ましてや他人もしらず)とも、生きられる、のが人間。犬猫でも、おのれとはなにか?など考えても人間よりまともな生き方してる、わな。自殺に追い込んだり、恋い煩い、で死ぬ犬猫あまりおらん、らしいぞ。
オノレも他者も社会も知らずにつくりあげる歴史とは、いったいどんな歴史なんでしょう。
これまでの人類の歴史、じゃろ?