【※便宜上、論旨と関係ない箇所は割愛した】
yamabiko
国家レベルではオランダが初めて安楽死を合法化した。以下がその条件。
1.患者本人の自発的かつ十分に考慮された要請がある
2.苦痛が耐え難く治癒の見込みがない
3.医療措置など合理的な対処方法が他にない
4.医師が事前に第三者の医師に相談した
対象となる患者は、16歳以上だが12歳以上でも親権者の同意の下で安楽死を選択できる。以上。時事ニュースから。
安楽死におれは賛成だ。
小野不一
他の人、どうッスか? このスレッドで久々に盛り上げますぜ。
ナジ
死ねるもんなら、しなせて欲しい。痛いもんは痛いの。でも、父が切り刻まれても生きたかったときに、痛いのだけは取り除いて欲しいといったのが、痛みをとる為の安楽死ならいいかとも思う。必ず死ぬとわかっていたことだったからね。その後で、後の患者さんの為に解剖させてくれてといわれてもお母ちゃんは泣いて反対した。もうこれ以上痛い思いをさせないでくれといった。痛いはずないのにね。結局は回りにいる人と医者の天国だ。死んだらみんな安楽だ。
寝よ。大した話はできないな。ごべんださいで。
せいやん
賛成。
yamabiko
国が、認めるかどうか、関係ないワイ。
ヒトを平気で路頭に迷わせるような、国(ひとの、あつまり)が個人の生き死に、に、口出すな。
つーこと。
アルキメデス
家族が、さっさと死んで欲しい老人をブスリとやってしまうのは、あまりに非人道的だとて、アヤシイ医者に頼んで安楽死させる。ということもあるかもしれません。くわばら、くわばら。この、アヤシイ医者を「安楽師」と呼ぶ、とか……。
やはり『ソイレントグリーン』みたいに、安楽死センターが必要。国でなく、葬儀社が経営する民間のセンターがよい。アヤシくないことを示すため、ISO9001-2000認証取得するなど、条件整備が必要でしょう。
もちろん、臓器を移植に使ってはダメ。
gavo-22
おかげさまで30分以内に、このことについて書き物を仕上げさせていただきました。喜んでおります。ありがとうございました。(マネージャー一同)
yamabiko
フイツさんが反対なのは、何に反対なんだ? 立法化に反対なのか?
生きているだけ(植物人間)、苦しくて生きているのが辛いというヒトが、事前に尊厳死(安楽死)の道を取ることを家族に話して了承を得ている場合(+複数の医者)、であっても、そいういうヒトを生かしておけ、ということ?
生きている(呼吸している)といことにどういう、価値と意味があるのか? 誰が、ある個人の生き死にを、左右して良いのか悪いのか?
ということだ。
小野不一
人間が意図的に死を選ぶこと、それ自体に反対。
yamabiko
もう、議論の余地なし、ってやつだな。別室にお引き取り願おうか。
ヒトがヒトの行動を束縛する、ことには賛成? 反対?
小野不一
自説を正しいものとして、対話を拒否する姿勢には賛成? それとも反対? 議論を単純化して結論を急いではならない。大将はどうせ、自殺もオッケーなんでしょ? 全ては脳味噌のなせる業(わざ)。
他の方、どうッスかー?
ナジ
最後の悪あがきです。
仏教徒なら反対するでしょう。なぜなら灰になっても人は人仏になるからです。
神道も一緒でしょう自然に逆らって死ぬのをよしとしないでしょう。
だら、キリスト教はどうでしょう? 体はただの器に過ぎないから臓器はくれて当然だし、安楽死だっ……だめだろう! 魂の救済をするのが目的だからだ。痛みなんか関係ない。だから、死刑囚だって殺さないでくれというんだろう。日本は特に被害者の気持ちの救済よりも死刑囚を大事にしてるじゃないでーすか。
新興宗教だったら別かもシラン。自殺する集団が後をたたん。
だから、わしは痛みに耐えられなくなったら病院では死なん。太宰はんする。龍之介はんする。一人でする。家族もなんも関係ないところで像さんのようにネコのようにそれをする。痛みに耐えられなくなるまで、うんとこさがまんしてそれをする。
セイ・オールドマンさんが、「逆もまた真なり」とおっしゃった。どう思いますか?
他の方はどうやって死にたいですか。宗教も国も身内も救いにはならん。神なんかいないんだ。
身内の目を落とすときに、きっとわかるんだとおもう。だから病院では死なん。死なせたくないんだな。
せめて病院なら好きな人に手をとってもらえるならさようならがいえるのならがまんしていられるだろうか? それどころじゃない気もするけどね。
この国では臓器をいじくれても簡単に死なせてはくれないよ。死は科学が邪魔をするんだと思う。再生できるという神話がまだあるらしいからな。
ああああああああああああああ! あったまわるいのにくるんじゃかかったわい。
寝る。
ノリ太
小野殿、「自殺」と「安楽死」は違うんじゃないかなー? もちろん、安楽死は自殺の中に含まれるわけだけど。「尊厳死」というべきかな。 安楽な死を選ぶ権利があってもいい。もう目前に苦痛と死しかない。その時にどうするかを自分が決める、それくらいの意思は持つべきだ。
yamabiko
自殺もOK? それよりも、原理的な問題として、1+2=? という問題を今論じているわけではない、ということだ。
私は死ぬのがイヤだ、というヒトを、殺そうとしているのではない。死にたい、というのを外部からとどめる論理はない、ということだ。
宗教で何を言っているかは一切関係ない。宗教とは人間が造ったモノだ。新しい宗教を個人個人でつくつべきだろう。オノレの考えと、外部(国、社会、家族)の考えが違う、ということがある。そのときどうするか? じぶんできめればよい。オランダやオレゴン州でどういうことが実際に行われているか? をみればよい。あるいは自分の家族でおなじ問題が起こったらどうか?ヲ考えるべきだろう。そうでないと、空論になる。
ナジ
なんだか、yamabikoさん、ちょっといってることが、いっつも南無阿弥陀仏の方じゃアないですか?
まあええ。
ノリ太さん、おはようございます。確かにね、自殺を尊厳死としてもいいとおもう。でも安楽死ではないね。苦しいはずだからね。
やられたほうは悔いしか残らないかもしれないけどね。死なれたときはそうおもったよ。おれもなにいってんだかわかんね。
山野健一郎
皆さんのを読んでいると、両者ともナルホドと思う。まだ、はっきり自分の考えが整理出来ていないが、とりあえず書きます。
良し悪しは別として、また、法整備の瑕疵は別として、安楽死の基本概念(様々なパターンあると思う)は、病苦や激痛などに耐えられない場合、自らの意志で死を選択することが出来るか否か、ということだと思う。
- 安楽死認める
- 死を選択出来る
- 死ぬ自由=己の死に対する自己責任あり
- 死ぬ権利あり=死に対する義務あり(どんな義務なのか?)
- 安楽死認めぬ
- 死を選択出来ない
- 死ぬ自由なし=己の死に対する自己責任なし
- 死ぬ権利なし=死に対する義務なし
選択できない社会より、選択できる社会の方が、過ごし易いようにも思われる。安楽死を認めない人は、己が病苦・激痛でも安楽死を選択しなければ良い。選択出来ない社会は、やはり、息苦しいと思う。
山野健一郎
安楽死を認めない人は、己が病苦・激痛でも安楽死を選択しなければ良い。安楽死を認める人は、安楽死を選択しない自由を認めるはず。
自分が安楽死を選択しないからといって、他者にもそれを強制する権利あるのか? もし、強制する権利を認めた場合、それに対する義務を履行できるのか? そして、その義務とは何なのか?
yamabiko
内臓をくり抜きたいセンセたちが、死にたい人をまっている。もちろん、若くてピチピチ、している人がよい。
死にたくなる人は、DNAでその傾向がつかめるそうだ。そらそうだわな。DNAを調べなくても、顔に書いてある。
山野健一郎
1.自由がなく責任もない社会を目指すなら……
己の死に対しても自由でなく自己責任もないことにすべきであろう。自由にさせない見返りとして、社会が死に責任を持たなければいけない。
2.自由と責任の社会を目指すなら……
己の死に対しても自由で自己責任とすべきであろう。社会は死に責任を持たなくてもよい。
3.自由があり責任のない社会を目指すなら……
原始時代か? 社会が成り立たないと思う。
4.自由がなく責任のある社会を目指すなら……
封建時代か? 息苦しいと思う。
yamabiko
かなり息苦しいね。なぜ息苦しいかと言えば、
- 自由がある社会、ない社会
- 責任ある社会、ない社会
……これはどんな社会だ? んで、今はどうなんだ? 誰も答えられんからだ。したがって、↑の文は意味がない。客観的な基準がないとイケンね。日本国憲法をもっている国は、自由かつ責任ある社会であ〜〜る、かな?
山野健一郎
yamabikoさんの23のことは考えずに、とりあえず、パターンだけ組み合わせてみました。
1.個人に死ぬ選択を与える → 死の選択は自己責任で、社会も責任を負う
1-1.苦痛の生は自己責任で、社会も責任を負う
1-2.苦痛の生は自己責任で、社会は責任を負わない
1-3.苦痛の生は自己責任でなく、社会は責任を負う
1-4.苦痛の生は自己責任でなく、社会も責任を負わない
2.個人に死ぬ選択を与える → 死の選択は自己責任で、社会は責任を負わない
2-1.苦痛の生は自己責任で、社会も責任を負う
2-2.苦痛の生は自己責任で、社会は責任を負わない
2-3.苦痛の生は自己責任でなく、社会は責任を負う
2-4.苦痛の生は自己責任でなく、社会も責任を負わない
3.個人に死ぬ選択を与える → 死の選択は自己責任でなく、社会は責任を負う
3-1.苦痛の生は自己責任で、社会も責任を負う
3-2.苦痛の生は自己責任で、社会は責任を負わない
3-3.苦痛の生は自己責任でなく、社会は責任を負う
3-4.苦痛の生は自己責任でなく、社会も責任を負わない
4.個人に死ぬ選択を与える → 死の選択は自己責任でなく、社会も責任を負わない
4-1.苦痛の生は自己責任で、社会も責任を負う
4-2.苦痛の生は自己責任で、社会は責任を負わない
4-3.苦痛の生は自己責任でなく、社会は責任を負う
4-4.苦痛の生は自己責任でなく、社会も責任を負わない
5.個人に死ぬ選択を与えぬ→苦痛の生は自己責任で、社会も責任を負う
6.個人に死ぬ選択を与えぬ→苦痛の生は自己責任で、社会は責任を負わない
7.個人に死ぬ選択を与えぬ→苦痛の生は自己責任でなく、社会は責任を負う
8.個人に死ぬ選択を与えぬ→苦痛の生は自己責任でなく、社会も責任を負わない
山野健一郎
まだ、はっきりしないが、上記24のパターンでは、1の3(システムが可能かどうか別にして)が、私にとっては良いように思える。
「苦痛の生はお前が選択したんだろ、苦痛が嫌だったら、死ねばいいじゃないか。」と言わることなく、苦痛の生を選択した者も生き易い社会を理想としたい。
小野不一
「死ぬ権利」「死ぬ自由」は論理的な帰結として当然ある。私はそれを否定はしない。
ノリ太がこう書いている。
「自殺」と「安楽死」は違うんじゃないかなー? もちろん、安楽死は自殺の中に含まれるわけだけど。「尊厳死」というべきかな。安楽な死を選ぶ権利があってもいい。もう目前に苦痛と死しかない。その時にどうするかを自分が決める、それくらいの意思は持つべきだ。
こうした意見の背景にあるのは「苦痛にのたうちまわりながら、糞尿まみれになっても尚、生きてゆく意味があるのか?」という疑問だろう。
では、例えば、才能ある作家が突然、病気のために失明した。作家生命を絶たれた彼は自殺をした。実際にヨーロッパであった話し。こういうケースについてはいかがででしょうか? 何を尊厳なるものとするのか。それによって安楽死の内容はガラリと変わるのではないか?
ちなみに私は、治る見込みのない植物状態の方に対して、延命治療を施すことには反対である。
のり
わたしの母は、気付いた時にはカラダ中、癌だらけでした。手の施しようが無くなった時、自宅で死ぬコトを選び、痛み止めだけを服用していました。激しい痛みは箇所によって違うらしく、たくさんの種類のクスリを、自分で管理して飲んでいました。亡くなる数日前についに意識不明になり、痛みにあったクスリが、家族ではわからなかったため、とうとう入院しましたが。
最後に母を見舞った兄は「死を待つだけの家で、静かに生きていた」と話していました。
ナジ
のりさん こんばんわ私の父も家で死にたかったみたいでね。医者の大反対を押し切って、家に帰って書類やらなんやら全部整理して、身の回りの物を片付けて、近所のいける人のところまで歩いて挨拶にいって、それから、病院に戻って、死んだわ。最後をみとったのは母だった。病院で死なせた事だけが悔やまれます。
yamabiko
自分の死は地球より重い。
他人の死は、犬の死より軽い。 風太郎
いろいろあったが、死んでみりゃあ、なんてこった、
はじめから居なかったのとおんなじじゃないか、皆の衆。 風太郎
図々しくもテメエのメイゲンを仰々しく載せて、快調、フータロー先生の奇書人間臨終図巻 が文庫本になった。徳間文庫。よんでやってつかーさい。
ぐんない。
のり
ナジさん、こんばんわ。初めまして。よろしくおねがいします。
母は死ぬまで生きていた。抑え切れない痛みを抑え、死の恐怖に目を瞑りながら生きた毎日は、わたしのためだと思ったんです。
ナジ
そうですね。そうだとおもいます。おやだったらこの子を残して……とおもうでしょうね。母親だからそうだと思います。
私も父を抱いて生きているの。ね、あれ以上愛してくれる男はいない。と信じてるのね。かわれるもんなら変わってあげたかった。でも父がいうには「病気で死ぬんじゃない、寿命で死ぬんだよ」とのことだから、私は彼の愛した馬と煙草はやめないの。がんばって寿命を達成いたしましょー!
だら、健康の為に寝ます。おやすみなさい。明日は飲み会。がはははは酒も好きだったわん。
せいやん
のりさん、おこんばんは。
私の母も21年前に癌でガーンと死にました。私の前では、最期まで弱音は吐きませんでした。激痛に耐えられずに荒い呼吸をしていたとき、医者がうった注射で、眠るように逝きました。そんな安楽死、誰かに迷惑かかりますか?
小野不一
皆さん、貴重な体験を記して下さり、ありがとう。私の両親は、父が61歳で、母が60歳。まだまだ元気です。実際に家族でなければ理解できないことも多いでしょう。本人が苦しんでいるにもかかわらず、自分は何もできないという無力感。介護や付き添いなどが必要になると、並大抵の負担で済まないことは容易に察しがつきます。介護疲れによる殺人なども多く見受けられ、何らかの制度が必要であることは痛感します。
快復の目途が立たなければ「家族の負担になりたくない」という当人の希望もあるかも知れない。
すると、苦しみから解放するために「安楽死」があると位置づけることができるか?
それ以外に考えられることはあるでしょうか?
ノリ太
小野殿、お若いのー、ご両親。
ところで、病院での死は、自然死じゃーないと思うぜ。「ターミナル・ケア」とは何? かだね。
山野健一郎
のりさんもナジさんも安楽死、反対?
ナジ
やまけんさん、おはようございます
根本的には反対ですが、植物人間になったらどうだろうか?家で看取った人がいるから、その印象をしっかり抱いてるからできれば自然に死なせてあげたい。でも、苦しむなら安楽死でも、、。たとえばせいやんさんのようにね、思う事もできる。苦しんでいる人が、選択できる余裕があるならさせてあげたい。でも、できない人に対して使うことばでしょう? 議論するだけ暇なんだと思う。ごめんなさい答になってませんね。だって、わしたんなる太宰派だもの、自殺したいの。それだけ安楽死とは別の次元の問題だ。
yamabiko
自分が死のうとどうしようと、勝手だろ? それを、禁ずることなど出来る根拠があるわけはない。それより、生むのはかってなん?堕胎するのも、勝手か? 死刑も勝手か? あ、生まれてしもた。。あ〜あ、またできてしもた……。しょうないわねえ、できちゃったの、あたい。それで、おのれが勝手に死ぬ、というのに、外部からガタガタいうなど、ちゃんちゃらおかしい、ってこってす。
山野健一郎
地球で一人ぼっち。耐えられない苦痛・激痛。目の前に安楽死できる薬あったら、たぶん、私は飲む。
yamabiko
いつでも、どこでも、死んでいいのだよ……と言ってやれば、救われるひとの何と多かったこと、だろうとおもふ。けふ、このごろ。
長生きはいいことだ、強く生きろ、自立しろ!まるで、脅迫社会じゃ、けんね。
gavo-22
あついねぃ。yamabikoさん
毎日のように発作が出る。車にのってても寝てても子供と遊んでてもいきなり止めれない痛みがくる。長い時も短い時もアル。薬も効かない。寝てもおさまらない。ただ、痛みがさっていってくれるのをまつ。
だから死を意識する。残す子供を意識する。世話のいる年寄りを意識する。自分の事の為に看病で迷惑をかけるくらいならと思う。
自分が死ぬのが勝手な、あんたにいわれんでもわかっとおよ。だれもそんないいたかったわけじゃねえ。あんたもがたがたいわんこった。がたきとんのはいっしょやないですか。らぶり〜なちゅらるぼーんきらーやまびこほえとるね。ほれるわ! ぶひっ
yamabiko
行きたい人は行けばいい。生きたい人は、生けばいい。逝きたいひとは、逝けばいい、イクイク、ゆうひとは、いってください。わたしゃ、遺憾です。
けふは、さぶい。
小野不一
原理的な問題として、1+2=?という問題を今論じているわけではない、ということだ。
この場で単純な結論を導き出して、それでよしとする心算(つもり)は毛頭ない。=(イコール)ではなく、<や≦ぐらいは模索したい。どちらに含まれるのか、どちらを優先的な価値とするのか。
大将の考え方はそれなりに理解できる。大変、整理されていて、わかりやすいのだが、他の人がそういう生き方をできるかどうかは別問題。自分に対して、何らかの自信を持っている人にのみ通用するのではないか?
ニヒリズムは手軽で簡単。レトルト的な印象を受けてしまう。
まあ、お孫さんができたら、そのように教えるといいでしょう。
議論するだけ暇なんだと思う。
これは聞き捨てならない。書き込みしてくれた人、全員を愚弄しているのか? そうやって、周囲の人間を小馬鹿にして、自分は一体、何様の心算なのだ? 高見から見下すような発言はよしてもらいたい。胸糞悪くなってくる。こうした大人の無気力・無関心が子供達に強く影響を与えているのではないか?
ちょっと話題を変えて「殺人」についてはどうでしょうか? 理由次第では、これを認める場合があるのかどうか、など。
yamabiko
他の人がそういう生き方をできるかどうかは別問題。
それは当然のことだ。さいしょからそいううている。別問題、ということは、ひとはひと、ということだ。オランダの法律だって、死にたくない、と本人がいっているのに 死なそう、というものでは、まったくない。また、他人の臓器をもらってまで生きよう、というのでもない。(<−−これを自己決定権と読んでいるバカがいる)
自分に対して、何らかの自信を持っている人にのみ通用するのではないか?
けっこうなことではないか? なんにも自信のないひとを、ふくめ、ヒトに説教するものではない。干渉を排除する、と言う権利は認めてくれ、といっているのだ。
まあ、お孫さんができたら、そのように教えるといいでしょう。
教えるんじゃないよ。オレの考え方を示すだけだ。どのように教えるのだ? 干渉するな、ということか?
議論するだけ暇なんだと思う。
これは聞き捨てならない。書き込みしてくれた人、全員を愚弄しているのか?
??いま検索して分かったが↑はナジさんが40でいっている。こんな一文をひっぱりだしてどうするのだ? 40の文脈で読んでくれ。文脈を無視してこんなのを引っぱり出すほうが、愚弄しているのだ、などと硬いことをいうてもしょうがないな、フイツサンには。好きにしてくれ。
殺人? 死刑、では認めていることになってるな、すくなくとも。
ナジ
小野さん、おれ、誰もバカにしたことないし、高いところから見た事なんかないよ。あんたも直ぐ熱くなる、ああいったのはね、そんな事討論してるよりも実際に体験すればわかるといいたかったのだ。
実際に問題のまっただ中にいるものは、誰かと討論しようとする余裕もないはずなんだ。むしろあんたも子供を作って親見てから私に干渉したらどうだね。
アルキメデス
山岡鉄舟の死
晩年、胃癌を患って自ら死期を悟った鉄舟は自ら準備をします。次第に病状が悪くなっていき、あるとき便所に立ってきたあと「今の痛みは今までと違う」といって風呂場に行って湯浴みをし、白装束に着替えます。そして、布団を背に正座して死を待ちます。鉄舟の具合が悪いと聞いた勝海舟が見舞いに訪れ、「先生、いよいよ御臨終か?」鉄舟、にっこり微笑んで「お先にごめん被る」海舟「それでは」といって帰宅します。いよいよ死が近づくと、鉄舟は皇居に向かって結跏趺坐をします。
ふと、周囲の人が気づくと鉄舟は生きを引きとっていました。その間、少しも身体を崩さなかったそうです。海舟が家に帰りついたとき、鉄舟逝去の知らせが届いたところでした。海舟は「そうか」といったきり部屋に戻りました。
これは、角川ソフィア文庫の『山岡鉄舟の武士道』にあります。鉄舟の講義の口述筆記と、後の海舟の口述評を収録した本で、非常に面白いものです。
ナジ
ぜひ読んでみたい本ですね。ありがとうございました。
山野健一郎
高齢寝たきり老人が注射をキッカケにして安らかに死んだ旨の話よく聞くけど、これって何なんだろう? さらに、家族は医者を問いたださないし、責めないらしい。
家族の様子を察して医者が気を利かせて安楽死させているのか?