「安楽死」を問う! 2

山野健一郎


 高齢寝たきり老人が注射をキッカケにして安らかに死んだ旨の話よく聞くけど、これって何なんだろう? さらに、家族は医者を問いたださないし、責めないらしい。


 家族の様子を察して医者が気を利かせて安楽死させているのか?

小野不一


 そりゃ「暗黙(の了解)死」。


 アルキメデスさんが紹介してくれた鉄舟の死に際は芸術的ですね。本能がどんどん退化し、身体能力をさほど発揮することもなく生きている私達が、果たして、迫り来る死を自覚することが出来得るのでしょうか?


 為すべきことを果たし切った満足感が無ければ、それは無理に思える。その意味で私は、中途半端な死(生)、生きながらの死が一番恐ろしい。


 産業革命はオートメーション化に拍車をかけて公害を生み出した。安楽死問題は、西洋医学が生んだ公害に端を発しているのではないか?

のり


 母はノルウェイに住んでいました。手の施しようのない癌で、即告知だったそうです。手術もできない状態で、その検査のためわずかな入院をして、その後は家がホスピスでした。痛みの箇所に合わせて複数のクスリを、それと胃のクスリ。痛みが増すにつれ、モルヒネの含有量が増えていきます。「クスリが無いとたいへんなのよ」と話していました。そうして、ついにはモルヒネ100%になってゆくのですが、母はその手前で意識を無くしたんです。それで入院したのですが、3日後に亡くなるまで鎮痛剤でした。


 病院は自宅からクルマで10分程の所。週2回、癌の専門医とナースがボランティアで訪問してくれます。更には24時間態勢で、ヘリコプターが母のために待機させられていました。


 日本での癌治療は延命? 抗癌剤放射線治療、副作用の苦しみ。患者の痛みは無視されているのですか?


 ホスピスの充実、痛みをとる治療を、まず確立させるべきではないでしょうか。

のり


 わたしも安楽死は反対。必要なのは安楽死ではなくて、痛みを除く終末医療


 壮絶な痛みなら、できる限り取り除いてほしい。取り巻く家族の負担や苦しみも考える。同時に、安楽死を受け入れるサインを大切なひとにさせたこと、その人が抱えていく深い悲しみと後悔にも想像を及ばせる。植物状態になって、自殺するための手足が動かなくてもそれを受け入れる。それが運命ではないの? それが寿命ではないの?

小野不一


 死を恐怖の対象と捉え、延命に価値があるという錯覚に取りつかれた結果といえるのじゃないか? 挙げ句の果ては、管だらけの身体で生かされてしまう羽目となる。今まで人類が行ってきたことのツケが様々な形で現れていると思えてならない。


 我が国では終末看護も満足できる状況ではない。


 私は人為的な死は一切認めないスタンスなので、当然、死刑にも反対である。

yamabiko


 生死は個人のコトであり、他人がとやかく言うべきコトではない。

小野不一


 じゃあ、チト、大将の話しを具体的にお聞かせ願おうか。まず、自殺は認めているんですよね?


 では、それが如何なる理由に基づいたものであったとしても、その判断、及び行為は尊厳なものとする考え方なのでしょうか?


 例えば受験を苦に自殺しようとする高校生がいたとする。これに他人は口を出すべきではないというのでしょうか?


 また、イジメで悩む小学生が実際に数多く自殺しているわけですが、これもよしとするのか?


 それとも年齢に制限があるのか?


 あるいは鬱病の方の自殺についてはどうか?


 自殺とは異なるが、若者が暴走行為を働いて事故死するケースなどはどうか?


 中小企業の社長が業績不振に苦しんだ挙げ句、自殺することも多い。自分が死ぬことによって家族等に新たな苦しみを与える点については、どのような考えを持っているのか


 過去には狂信的な宗教団体が集団自殺を行っているが、これに関しては如何(いかん)?


 あるいは名誉の戦死は、どうなのか?

小野不一


「干渉」という言葉は、関わり合い、触発、共感、啓発、切磋琢磨、等々、こうしたことを否定する響きがある。便利な言葉だが、私が生活の中で使用することは、まず、ない。


 よく受け止めれば、自立を前提としているようにも思えるが、その本質には、人間と人間とのつながりを否定する、無慙な精神が覗いている。

小野不一


「干渉するな」という思考から生まれるのは、「我関せず」という姿勢であろう。無関心がナチスを育んだことはご存じの通り。

yamabiko


 さっそくお得意の文脈無視が始まったな。安楽死と、尊厳死に関するオランダの記事読んだ? オランダで↑を認めているか? 医者が認めるか?


 いかなる判断行為も尊厳、と誰がいったか? それこそ、なんのスレッドかをチェックして欲しい。

せいや


 祖母92歳。老人ホーム歴6年くらい。8年くらい前からボケてる。


 家族共倒れなんて他人事だと思っていた。家で介護してた頃は、死んでくれと思ったことは、何度もある。


 90まで生きれば、いや、生かしてもらえれば、もういいでしょ、って感じ。


 私、冷たい?

小野不一

 自分が死のうとどうしようと、勝手だろ?

 いつでも、どこでも、死んでいいのだよ。
 と言ってやれば、救われるひとの何と多かったこと、だろうとおもふ。
 けふ、このごろ。

 逝きたいひとは、逝けばいい。

 生死は個人のコトであり、他人がとやかく言うべきコトではない。


 などなど。


 そうした発言は、生命それ自体よりも「本人の判断」を尊厳視するからではないのか?

 原理的な問題として、1+2=?という問題を今論じているわけではない


 というが、共通原理を模索すべきではないのか?


 安楽死問題によって価値観の根底があぶり出されていると私は考える。

小野不一


「私は、自分がだれなのか分からなくなってまで生きていたくない。我が子も分からず、排泄や、人の世話になっていることさえ分からなくなったら、生きていると言えるでしょうか。私はそういう状態になったら安楽死させてほしい。それが保証される制度を作ってほしいと思います」


 これは東京の主婦(65歳)の投書。


 安楽死に賛成する人の多くはこうした思いが根っこにある。「生き恥をさらすよりも死を!」そんなスローガンが聞こえてきそう。私は賛成できないな。

yamabiko


 ↑で、ズラズラ、私が言った、逝く人は逝けばいい、と言った例を並べている。


 自殺について言えば、そのとおりである。


 だから、コレはナチ、につながるとかいうのはちゃんちゃらおかしいぜ。いまだって、アフリカでは多数の人間が餓死している、というし、非文化的な生活をしている。それにたいして、手も足も出ないのだろう? エーコぶるのは やめんさい。

yamabiko


 ひとは、自分の意思で生まれたわけではない。だから一定年齢に達したら、生まれてくるべきであったかどうかを判断してそうでない、とおもうひとは命を絶つ、というせいどはどうか?これが、何でもかんでも生き抜く、という一本道を歩む、猿、とそうでない人間の差だ。


 ↑で、生き恥、とかいっているが、そんなもんではないだろう。何でもかんでも生きる、というのは、内臓移植してでも生きる、という根性とおなじ。みっともないことである。 生、とはそれほどのもんか?

小野不一


 せいやんが冷たいとは思わない。ただ、その場合は安楽死云々というよりは、介護の問題ではないでしょうか? 現実に御苦労されている方々の心労は大変なものがあると察します。

小野不一


 覚醒剤や暴走行為など、快楽のために死ぬことは、皆さん、どう思いますか?


 はじめまして。ここに書き込んでる人達は、まあ少なからず頭使って生きてる人達だと思うから実際法律がどうなろうとそんなに自分を見失わずにいられるんじゃないかな?と思います。


 でも、ジャパン人って一般的にはとても世間の目とかのプレッシャーに弱いでしょ?もしくはそれを逆に糧としてる人達も居ますよね。個人的には安楽死なんてどうでも良くて、他人がどう死のうがその人の勝手だと思うんだけど、安楽死を立法化すると、なんか死ななきゃいけないような気がする人がいると思うのね。


 お母さん、安楽死って知ってる?ココにサインすればいつでも死ねるのよ。あらいけない、治療費の請求書落としちゃった。気にしないでね。なんて事を嫁に毎日言われたらどうでしょう。


 治る見込みがなくても死にたくない人はたくさん居ると思う。僕もそうだし。安楽死が定着すると、安楽死を選ばなければならない様な風潮が出てくる様な気がして恐い。別に安楽死なんて法律をわざわざ作らんでも本当に死にたい奴は病院の窓から飛び降りて死ねば良い。きれいに死にたいなら睡眠薬ガブ飲みすれば良い。覚醒剤、暴走行為しかり、死のうと思えば簡単に死ねるんだしね。

ナジ


 ちなみによけいなことですが、睡眠薬がばがばのんでもいまはしねません。飲んだ後に、風呂で溺れるとか、手首を切ってもそんなに簡単にはしねませんね。ためしたことありますよ。


 死ぬのも大変なんだと思います。だいたい↑どんなに憎んでもわしはこんな嫁にはならないね。実の息子、娘に言われる母親父親の方が多いかもしれんとは思います。


 安楽死とは関係ない話ですけどね。

yamabiko

 お母さん、安楽死って知ってる? ココにサインすればいつでも死ねるのよ。あらいけない、治療費の請求書落としちゃった。気にしないでね。なんて事を嫁に毎日言われたらどうでしょう。


 さまよへるオランダ人、に きいてみよ〜!

セイ・オールド男


 オランダ人は彷徨って港に着いたのか? ようやく、死を死ぬオランダ人は死ねるのか、など、朝から哲学的じゃで。

ナジ


 ついたはついたので、彼等の魂のためにある女の人が殉教するんでしょ。そこらへんの演出がかなり問題になるらしいのだけれどはたして私の記憶が正しいのかそうなって欲しくてそう思ってるのか今はもうわからない。本をすべてそうこにしまってしまったからしまったなあ。。寝起きに哲学も音楽もないなあ

小野不一


「ま」さん、ようこそ! もうチョット長いハンドルにしてくれないッスかねー。大事なことを書いてくれました。議論が盛り上がったところで、私もそのことを書こうと思っていたんスよー。


 施すものが少なく、施されることが多くなった人々が、非常に生きにくい社会となってしまうでしょうね。

のり


 91歳の祖母は、新年を迎えると年賀状のかわりに友達に電話をします。毎年、去年もお迎えが来なかった、と言っています。お迎え、なんて言葉いつか無くなっちゃいそうな。みんな積極的になっちゃうのかな。

ナジ


 家のアルツのハハは毎日毎日この何週間か兄と兄嫁のいない時間帯に、電話魔になってしまうらしい、その度に相手は何度初めてかけられたような事を言われて昨日だったか「迷惑かけてますでしょう?」ときいたら「はい、いい迷惑かけられてます。おかげさまで電話ノイローゼになりました。」とはっきりまじめにいわれまして、、それでも娘の嫁ぎ先にはかけても無駄だと言う気持ちが残っているのでしょう。まだ、1週間一度くらいです。私が先に逝って迎えに来てあげたいくらいです。

ま−


 小野さん、と愉快な仲間達さん。勝手におじゃましました。どうぞよろぴく。ご要望にお答えして名前に「−」をつけました。


 睡眠薬じゃ死ねないんですか……ショックですね。良かったらキレイにラクに死ねるもの紹介してください。誰でも手に入るものでね。バファリンとかじゃ駄目?


 アルツのお母さんの相手って大変でしょうね・・アル中のお母さんの相手するだけでもかったるいもの。


 アルツって安楽死の対象じゃないですよね?

小野不一


 ま−さん、ようこそ!


 安楽死が社会的合意を得れば、アルツハイマー患者は殺されかねない。家族のための安楽死。「生前から申しておりました」などと口を揃えて言い出すに違いない。


 安楽死は新時代の姥捨て山か?

セイ・オールド男


 法律では「安楽死」の要件はかなり厳しいものとなるはずです。要件を満たさなければ、殺人罪。小野さんの恐れは広げると臓器移植にも繋がります。主観的、客観的な要件を満たした、苦痛からの解放が目的。多分。


 それでも、社会的コスト考からの現代版楢山節考がどこか響くのが不気味だ。

ナジ


 かったるいだと?

ナジ


 どんなかたちになっても親は親なんだと思う。それをおかったるいといわれたらおこります。


 教えてあげましょう。そんなに死にたいのならはさみでけいどうみゃくぶっちぎってください。


 ただし後片付けしてくれる人がかなり かったるい でしょうね。どこに鎮痛剤のばっふぁりんでしのうとかんがえるやつがほんきでしのうとかんがえてるとはおもえんなめられてんだろうか小野さんと仲良くしててください。

のり


 亡くなった母方の祖母は、早いうちからアルツです。兄がみています。プライドの高い、気の強い祖母で、世話はとても大変だそうです。几帳面な兄嫁は、誰かに頼ることを潔しとしなかったため、家中でひとりで抱え込んでノイローゼになりかけました。今はホームに入っています。が、重症の人が優先なので、体力的には元気な祖母は、いつ退院させられるかわからないといいます。特養ホームの入院資格審査では、その性格が災いしていつも却下されています。


 兄は気にするなと言いますが、義姉の気持ちを思うといたたまれなくなります。

yamabiko


 誤解がありますね。殺人、とするかどうかを、議論しているのに、現行で 殺人である! と騒ぐのは、議論として間違っている。現行法はすべてリセットして、議論すべきです。殺人でない、普通の行為なんだよ、といえば(あたかも道を歩くこととおなじ)、良いわけです。予断、で 悪いこと! と決めてかかる人とは、議論しにくいですね。(世間体、を気にしているだけでしょ?)イノチを停止すること、悪!、長生きすること、善!とする 常識がいかに、われわれに巣くっているか、これを まずぎろんしたほうがよいようです。

セイ・オールド男


 正確には殺人は殺人だが、違法性が阻却される、殺人罪には問われない。ボクサーがリング上で相手方を殴って、その結果殺しても、殺人罪には問われない。ボートで漂流している三人。二人分の水・食料しかない。一人は海を泳いでもらわなければならない。で、そうする。無事、陸にたどり着いた二人は一生その行為を悔い、お金も払わなければならないだろうが、少なくとも殺人罪を問われることはない。緊急避難の理。それと同じ。「生前から申しておりました」では、「それじゃあ、足りませんね」と言われて、追求されるでしょう。恐いのは、仮に安楽死が認められたとして、要件云々が曖昧にされること。天網恢々ではないとしても、疎にして漏らす、このこと。

yamabiko


 つまり、殺人、という事実ではなく、ツミ(世間体)をもんだいにしてるってことです。世間(違法性)を、阻却しましょう。

yamabiko


 緊急避難、と、ボクシングは、ちがいますよ。ボクシングは、公認殺人ゲーム。酔っぱい運転で誤ってコドモをひき殺すとごーごーたる非難を浴びるけど、憎い相手をリング場で殴り殺してもなんにもいわれない。その程度のもんですよ、世間の 死 の認識は。(ボクシングは非人間的として反対しているグループもある)安楽死反対、を叫んでいる人間が、ボクシングをまさか正視しているとは、おもいたくありませが。

山野健一郎


 日本で2番目に重い神輿担ぎから帰って来ました。余りにも重過ぎて死ぬような思いをしました。


 ところで、話が進んでますね。安楽死については、他者の安楽死に関することや法技術の問題があると思いますが、それを細部まで検討していると、キリがないように思えます。そこで、まず、第一に検討した方が良いと思うことは、正常な意志能力・判断能力を持っている自分が、耐え難い苦痛に直面した場合、安楽死を選択するか否かということです。自分自身の安楽死を検討しなければ、他者の安楽死の方向も見えて来ないように思えます。


 細部は法技術、医療技術、科学技術……により検討し、改良を積み重ねながら、より良いものを創りあげていくしかないと思います。


 最低でも、正常な意志能力・判断能力を持っている者が、耐え難い苦痛に直面し、安楽死を選択したいと希望した場合には、その希望がかなえられる仕組みが、良いように私は思います。

セイ・オールド男


 あの、ボクシングの場合はもちろん緊急避難じゃないです。正当業務行為。法令による行為として、「正当業務行為」、「正当防衛」、「緊急避難」を違法性阻却事由としています。


 行為、違法、責任で言えば、違法性が抜ける。だから、犯罪にはならない。

小野不一


 結局は、「耐え難い苦痛」への恐怖が「死」の恐怖を上回るということか。治癒の見込みがあれば耐えることができ、それがなければ死んでもらうということなのか。


 苦痛の対極にあるのは「快楽」だ。モルヒネの投与などに見られるように、補完し合う関係である。


 苦痛のために死ぬことが許されるのであれば、快楽のために身を滅ぼすことも許されてしかるべきではないか。

ノリ太


 お久しぶり! 週末はイースター(復活祭)でお休みだったんもんで。(あっ、おいらは海外に住んでるんだ)盛り上がってますなー。ところでさー、オランダの「安楽死法」って死にたい人は死なせてあげましょうって言ってるのかー? そもそも「安楽死」ってなんだい?

ノリ太


 小野殿、身近な人の死に直面したことがないんじゃないか? 自分は1回しか死ねないから、そん時になってみないとわかんないだろーけどさ。例えばだ、小野さんが余命6ヶ月しかないとする。死ぬ前にタバコが死ぬほど吸いたい。でも皆が反対するんだ「寿命が縮まる」ってね。「あと3ヶ月の命になったらどーするんだ」って。吸わずに我慢して6ヶ月生きるのか、思う存分吸って、3ヶ月満足して生きるのかってことじゃないか? 安楽な死というのは。「安楽死法」を論じるか、「安楽な死」を論じるか。

山野健一郎

 苦痛のために死ぬことが許されるのであれば、快楽のために身を滅ぼすことも許されてしかるべきではないか。


 上記の身を滅ぼすこと=死ぬこと とし、苦痛、快楽、死ぬ、生きる を組み合わせてみます。(安楽死とは少し離れるかもしれませんが)


(1) 苦痛のために死ぬ
(2) 苦痛だけど生きる
(3) 快楽のために生きる
(4) 快楽だけど死ぬ


 4パターンが考えられるが、どれも善悪は無いように思える。


 基本的には自主性を尊重したいところ。しかし、肉体の耐え難い苦痛以外は、死を選ぶ必要はないと、私は考えている。精神の耐え難い苦痛は、なんとかなるし、なんとかしなければいけないと、私は考えている。

yamabiko


 山健さんがいうように まず 自分の問題、を議論すべきなのですよ。それを、これをみとめると、どうなる、という大所高所、からぎろんするからおかしくなる。治療法もない、家族に多大の苦痛を賭ける、自分も苦しい(苦しくなく、家族に負担をかけない、なら話は違う)というときに、死と言うオプションを残すのは当然のことだと、おもう。これは人に適用するのではなく自分がそれを選び、その旨を、表明するのだ。人に強制するのではない。これを認めると、社会がどうこうなる、というのは堕胎を認めると社会が乱れる、というのに等しい。もちろん、安楽死とか尊厳死ヲ認めないヒトは、堕胎も認めていない、と、考えたい。堕胎を認めて安楽死とか尊厳死を認めないのは、論理的におかしい。つまり受胎(当人の意思無く、生まれさせられる)以後、生命はある、というのは事実であり、これを親の自由でツブスのは犯罪、という立場は宗教を離れてあり得る。また、本人の意思とは関連なくこの世に生まれさせられるのは人生最大の矛盾である。したがって、一定年齢に達したら、生まれたのは間違い、生きたくない、という選択させるのはどうか?とさえ私は考える。

yamabiko


 カリに 安楽死法、が日本で認められたとしても、これを適用して死を選んだひとの家族は、冷たい目で見られるのではないか、と私は予想している。それほど ドウしようもない国なのである。アレフ(もとオウム)の信者家族は、とうにんになんの罪もないのに、いまやさまよえる人間ではないか? 住民票を受け付けません、と市役所などが、ドードーと宣言しているのだから。 憲法など、あってなきがごとし。安楽死法、など あってなきがとごし、となるだろう。


 まあ 安楽死法を適用しても 引っ越せば住民票を受け付けない、ということはあるまいが。


 米国の堕胎は大変だ。これを行う医師はコロされ、その病院にでむくひとは狂信的な信者にずっと、つきまとわれる。

小野不一

 小野殿、身近な人の死に直面したことがないんじゃないか?


 今までに20人ぐらいの死を間近に見てきた。下は14歳から上は80代。その内、半数は40歳に満たない方々だった。


 ノリ太よ、のん気な議論をしている心算はないぜ。

小野不一


 私は安楽死は大所高所から論ずべき問題だと思う。それは、昨今の社会問題が生命を軽視する風潮から生まれていると考えるからだ。


 人間は生まれるべくして生まれてきたのだ。受精は単なる偶然ではあるまい。


 生きるに値しない世の中だから、死ぬ自由を認めるというのも頂けない。それは主体性を尊重しているようでありながら、結局は、環境に支配された不自由な選択ではないだろうか。


 人のいのちがそれほど軽いものであるとするならば、他の何に価値の重きをおくというのか?

yamabiko


 大所高所から論じるから、軽視されとるんだよ。


 オカルト派とつきあっているつもりはないぜ。

アルキメデス


 これは宗教観の問題ですね。自分は無宗教である、という人でさえも、そのように信じている限り、信仰となんら変るところはありません。大所高所は、その人の宗教観によってポジションが違うわけです。

道元の言葉】
生を明らめ 死を明らむるは 仏家一大事の因縁なり、生死の中に 仏あれば 生死なし、但生死即ち 涅槃と 心得て、生死として 厭うべきもなく、涅槃として 欣うべきもなし、是時初めて 生死を 離るる分あり、唯一大事 因縁と究尽すべし。


 これは、道元の『正法眼蔵』から抜粋して編纂した、曹洞宗の『修証義』の冒頭にあり、僧侶・信徒はお勤めに使っています。(私の宗旨は違いますが……)

yamabiko


 無宗教、という宗教に、どのような教義、があるのでしょうか?

アルキメデス

 無宗教、という宗教に、どのような教義、があるのでしょうか?


 私は、無宗教は信仰と変るところがない、と書いています。無宗教は、宗教のたぐいである、とは書いておりません。無宗教の人とは、程度の差はあれ、「私は聖なる事物を信じないし、拠り所ともしない」という立場の人だと信じております。こういう、自分の行動理論(教義)に、何らの疑いを持たない人ということです。この「何らの疑いを持たない」ということを「信仰」というのです。なにも、読経したり、踊ったりすることが宗教なのではありません。

ノリ太

 ノリ太よ、のん気な議論をしている心算はないぜ。


 のん気なつもりじゃないけどねー。

yamabiko


 アルキメデスさんのいうのが宗教なら人間はみな宗教をもっているということになります。私のコトバでは、文化であり、幻想。しかし、これは 日常言う、宗教、ではないとおもいます。


 現実、オランダとか米国で、安楽死や堕胎する自由をまもっているヒトビトに対して イヤガラセをおこなっているのは、宗教団体、である、というときの宗教とは 異なります。こういう宗教団体は教団の教義、を根拠にして反対しています。 これが私の当面の敵。つぎに、教団の教義とは関係なくオノレの信条として反対しているひともある。こういう人に対しては、オノレの行動はオノレの自由だろ?といいたい。 安楽死などを、人に勧めるのは、犯罪です。オノレが意思表明する自由を与えろ、といっているだけ。

ま−


 ナジ様、この度は私の配慮に欠けた書き込みで不愉快にさせてしまい大変申し訳ございませんでした。ご指摘の通りバファリンを飲んでというのは冗談であり、本気で死のうとは考えておりません。かったるいというのは私のアル中の母親に対しての率直な感想でありナジ様のお母様への言葉ではありません。アルツとアル中をかけたかっただけでありまして他意はありませんが並べて書いた事に配慮が欠けていたと反省いたします。その他の方でも不快な思いをされた方がいらっしゃいましたらお詫び申し上げます。申し訳ございませんでした。

ナジ


 おはようございます。まー様


 どういうわけか、気がついたら何もつけないで寝ていると言うお間抜けな朝でございます。


 え? っそおんんな、、悪い事なんかしてません……。昨日きっと暑かったのですわ。こちらは異常気象なんですのよ。4月と言うのに初夏の陽気です。変ですわ。


 ところで、冗談はさておいて……


 これでも、わたくし、こころやさ、ごほっごほっ貞淑な人妻でございますの。(なれない事をいおうとするから持病のしゃくが、ちがう気管支炎が……)私もつい言い過ぎましたね。感情に走りやすいのは


 その時に飲んでいたからです。


 こういってしまえばとってもずるいのかもしれませんが、てめえで自殺したいと言ってるわりには、まったく関係ない赤の他人が、死にたいと言うのは何としても阻止したいと言う矛盾した感情があります。だから、優しい言葉を作る前に、先にどうしたらいいんだよーーというどうしようもない、悲しい怒りが前に出て、文字だけ見たらものすごく捨て鉢のような、いやらしい表現になってしまいます。


 あのね、まーさん


 私は関わった人がどんな意味でも自分より大切になる時がある。


 それが、たかがネットだと言っている人たちには理解できない事だとしてもそんな思いもあると言う事で、自分ではかまわないとおもっている。だからこうして文字であなたに謝られるとものすごくつらい。


 だってね自分で死にたいと言った時点で多分いろんな意味であかの他人のあなたのどこかを不快に刺激してしまったと思うからです。


 ほんとに死にたいのなら何も言わないで死んでるはずだものね。死ぬのは個人の自由なのですものね。それをいちいち公の場所に持ち出すのが言葉をいたづらに使っているとしか自分でも反省の余地がありませんね。本来言葉には魂があるはずなのに、どうもそれを忘れてしまっているようだな。


 だから、私も配慮にかけていた事になるから、あやまります。ごめんなさいね。てれくさいから、少し オフ 酒 して話してます。


 個人メールでこのような事を話さなければならないのでしょうが、あなたがどこのだれだかわからないので、ここでこうして、ふんどしさせていただきました。


 真夜中まで起きてないといけないの? 今朝こっちはものすごっくいい天気です。4時と言う時間帯に朝日は見られたんだろうか? 少しは体が休まってるんだろうか?まあ、私も皆様に謝ります。もうしわけございませんでした。


 で、気がついたんですけどね、たしかわたし ナジという名前とgavo-22というのとかいちゃった気がしてるんですが、よくど(う)いつだかわかりましたね。それがちょっと不思議。もしかして知ってる方?まさかね。なじ てだろう?


 では、今日もはりきってはたらきます。まーさんも元気でね。