伝統的なユダヤ・キリスト的世界観では、自由意志はありません。神が世界のすべてを支配しているからです。
交通事故に子どもが遭うと「それは神が決めたことだから、神の計画だから」ということになります。そうして慰められるわけです。
子どもを轢(ひ)いた運転手が角を右に曲がるか左に曲がるか、どちらかを選んだかさえも、神が宇宙のはじまりに決めていたということになります。
神の支配は、物理空間だけのものではありません。精神空間をも支配しています。だからこそ神なのです。
ということは、交通事故に遭って死んだのも神の思し召しだけれども、今「こうしよう」と思ったのも神の思し召しなのです。
喫茶店に行って「コーヒーにしようかな? 紅茶にしようかな?……」と迷う。それで「紅茶!」と決めたとしたら、それは神が世界を創造したときに「あなたは今紅茶を選びます」と決めた結果だというわけです。
そういう世界観のもとでは、人類に自由意志はないのです。人類はサーモスタットなのです。
ですから、二つ目の自由意志による発想とは、この神の創造した世界から飛びだす、ということなのです。
“不完全性定理”というものがあります。ゲーデルという人が証明したものです。
どういうものかといえば、「ある理論体系は、自分自身に矛盾がないことを、その理論体系のなかでは証明できない」というものです。つまり、この世界の正しさは、この世界のなかから証明できない、ということです。
【『心の操縦術 真実のリーダーとマインドオペレーション』苫米地英人〈とまべち・ひでと〉(PHP研究所、2007年/PHP文庫、2009年)】
- 人間に自由意思はない/『脳はなにかと言い訳する 人は幸せになるようにできていた!?』池谷裕二
- 嘘つきのパラドックスとゲーデルの不完全性定理/『ユーザーイリュージョン 意識という幻想』トール・ノーレットランダーシュ
- 苫米地英人
(※左が単行本、右が文庫本)