神は頭の中にいる

 脳がある体験をすることと、外界にその対応物が存在することは、別なことである。宗教では、ときどきこれを一緒にするから困る。科学と喧嘩になる。こう考えてみよう。数学で世界を解釈すれば、できないことはない。しかし、それでは世界の大部分はこぼれ落ちてしまう。数学に色はあるか、恋はあるか。では数学とはなにか。それは要するに脳の機能である。つまり脳内の過程である。
 では神秘的体験とはなにか。それも脳の機能である。テンカンの患者さんに、しばしば神秘的体験、法悦状態を感じる人がある。だからといって、数学者をとくに馬鹿にしないのと同様、こうした体験を馬鹿にする必要もない。それが「人間」だからである。あるものは、そこにあるものとして認めるしかない。しかし、頭の中にあるものを外にあると言い張るつもりは、私にはない。外にあるものなら自然科学で扱うことができる。頭の中はそうはいかない。こればかりは、それぞれの人に固有のものである。だから個人が生きている。それが個人の価値観である。


【『カミとヒトの解剖学』養老孟司法蔵館、1992年/ちくま学芸文庫、2002年)】


カミとヒトの解剖学 カミとヒトの解剖学 (ちくま学芸文庫)
(※左が単行本、右が文庫本)