・若き斎藤秀三郎
・超一流の価値観は常識を飛び越える
・「学校へ出たら斃(たお)れるまでは決して休むな」
・戦後の焼け野原から生まれた「子供のための音楽教室」
・果断即決が斎藤秀三郎の信条
・斎藤秀雄の厳しさ
・『齋藤秀雄・音楽と生涯 心で歌え、心で歌え!!』民主音楽協会編
父・斎藤秀三郎は“勉強の鬼”だった。学生時代にはジェイムス・メイン・ディクソン(※後に夏目漱石を教えた)に師事して、学校の英書はすべて読み尽くした。それどころか、『大英百科字典』を二度も読んだという。もはや、学問が格闘技の領域に達している。
それは、正則英語学校を創設した後も変わらなかった。超一流の人物の価値観(優先順位)は常識を軽々と飛び越える。勉強が一切のことに優先された――
秀三郎は分秒を惜しんで仕事をした。便所の中にすら見台が備えつけられ、百科辞典が置かれていた。自分には7人の子があるから、その結婚式のために一生の間に7日間だけ勉強時間を犠牲にせねばならないといっていたほどであり、家族と共に食事をすることすらなくなっていた。
【『嬉遊曲、鳴りやまず 斎藤秀雄の生涯』中丸美繪〈なかまる・よしえ〉(新潮社、1996年)】
人間にはたくさんの立場がある。その中で何を重んじ、優先するかでその人の「使命」が決まる。使命とは“命を使う”と書く。所詮、何に“命を使った”かで人生は決まる。
例えば池田高校野球部の元監督・蔦文也(つた・ふみや/故人)は、練習試合を優先して4人の子供の結婚式の全てを欠席した。
“何かを犠牲にする”というのではあるまい。多分、一つの仕事に集中するあまり、他のものが目に入らなくなるのだろう。何となくわかるような気がする。
いかなる道であろうとも、その道に生き切った人生は崇高で眩(まぶ)しい。