古本屋の覚え書き

古い書評&今週の一曲

『ALWAYS 三丁目の夕日』


 ストーリー性ゼロ。全くつまらん映画だった。それでも泣けるのが不思議。


 昭和33年だから、私が生まれる5年前の時代だ。ということは、定年間近の団塊の世代にターゲットを絞ったのだろう。


 最大の失敗は、リアリティの追及が「視覚」に頼り過ぎている点だ。そのため欠けているものが目立ってしまう。例えば、埃(ほこり)っぽい空気とか、自動車が少なかった時代の静けさなど。こうしたことによって、セットの見事さが“あざとく”感じてしまうのだ。


 一旦そこに気づいてしまうと、次から次に見えてくるものがある。


 少年達の坊ちゃん刈りは、前髪を横一文字に切ってないし、「お前、気持ち悪いな」という堤真一の科白(せりふ)は、「薄気味悪い」とすべきだ。こんな調子で、どうしても「ダメ出し」を強いられる。


 それでも、見終えることができたのは、「健全な母系社会」が描かれていたためだろう。助けたり助けてもらったり、貸したり貸してもらったり、頼んだり頼まれたり……。


 私が幼かった頃も、近所のオバサンが醤油や米を借りに来たことがあった。電話がない家も多く、小学校の連絡名簿には「呼び出し」という文字があった。電話のある家から呼び出してもらうのだ。私も近所の家に「電話かかってきてますよー」と伝えに行った記憶がある。


 文明の発達に人々が驚いた時代は、高度成長期をもって終焉を告げた。ものの大切さは、バブル経済によって失った。多くの人々が『捨てる技術』という書籍を手にとった。


 映画作品としては最低だ。それでも、「昭和のスケッチ」としては一見の価値がある。