古本屋の覚え書き

古い書評&今週の一曲

ワンセグという欲望

 ワンセグチューナーが内臓されていると携帯電話でテレビを観ることができる。そこまでしてテレビを観たいのか? お前等はテレビからしか刺激を受けることが出来ないのか? と言いたくなる。


 ハッキリ書いておくが、みのもんたのような人物が活躍する世界は絶対におかしい。あの人相の悪さ、独善性、短絡的で、その上物事を単純に決めつける姿勢が異様だ。周囲のスタッフは「みのさん、みのさん」と持ち上げ、尻尾を振る。


 私に言わせれば通販会社の社長の営業トークと何ら変わりがない。彼は演技をしているだけで、何の信念も持ち合わせていないことは一目瞭然だ。


 外に出た時ぐらいは耳を澄ませたらどうなんだ? 風の音や鳥の声、川のせせらぎや木々が発するざわめきは耳に心地いい。


 ヘッドフォンをしながら歩いている若者を見ると「こいつは何の危機感もないな」と思ってしまう。人が近づいても自転車が通りかかっても彼等が気づくことはないのだ。「耳を塞(ふさ)ぐ」という行為は文字通り「世界を拒絶している姿」だ。


 テレビは観る人を受け身にして成り立つメディアである。確実に判断力を奪われ、感覚の一部だけが尖鋭(せんえい)になってゆく。


 テレビを消して本を読めと言いたい。テレビ番組は始めに意図があり、喜怒哀楽を強要する。感覚を一つの方向に束縛する。そして政府やスポンサーの意向に沿った番組制作をしているのだ。本来であればテレビは映像で勝負するべきだが、実際は科白(せりふ)やナレーションが多過ぎる。受け手が思索する余地も残してくれない。


 読書は脳を活性化する。時に立ち止まり、読み返しながら、書き手との対話が可能となる。読むスピードをコントロールするのも自分である。本はうるさくない。


 本を読まない青年が増えたと聞くたびに、信じ難い思いに駆られる。読書せずしてどうやって自分の世界を広げようというのか?


 テレビも携帯もウォークマンも捨てて本を読もう。それだけで人生は輝きを増す。