豆腐に目覚めた人生

 これら(自分に伴うあらゆる責任)の要素を完全に自分のものにするには、常にプロフェッショナルとしての意識を研ぎ澄ましておかねばならない。それは口に入れるものひとつとっても、細心の注意を払うことから始まる。


【『狼たちへの伝言 3 21世紀への出撃落合信彦集英社文庫)】


 こう語ったのは夭折(ようせつ)した天才ドライバー、アイルトン・セナだった。


 何を隠そう私も口の中に入れるものには細心の注意を怠ることがない。特に、買ったまま忘れていたヨーグルトを食べる時なんぞは、注意のメーターがレッドゾーンの域まで達する。私の家には冷蔵庫がないのだ。丸一日以上、真夏の部屋に放置されたヨーグルトを食べるという行為が、どれほどの冒険かお察し願いたい。


 とか何とか言いながら、実際の私の食生活は実に杜撰(ずさん)なもので、血となり肉となれば何でもよしとするのが特徴である。随分と前の話になるが、何も食べるものがないので、非難訓練の際に消防署からもらった“乾パンセット”を食べて過ごしたことがあった。普通の人であれば、こうした時に感じるのは、やるせなさ・切なさ・物悲しさなどであろう。しかし、私の場合、「お、乾パンも、たまーに食べると、なかなかオツなもんだな。粗食という感じが何とも言えナイス!」などと、ふざけた駄洒落を考えた記憶がある。


 経費節減のためとあれば、どんな食材でも使う外食産業やコンビニ弁当によって私の胃袋は痛めつけられている。一昨年、十二指腸潰瘍が3つあることが判明した。私は医師に「ストレスですよね?」と何度も訊ねたのだが、医師からは「違います。随分、以前からあったもので、刺激物の取り過ぎですね」と告げられた。


 この頃から食べ物に対して多少は考えるようになった。唐辛子・胡椒などの香辛料も少なめにするよう心掛けた。ヨーグルトを毎日食べるようにしたのは、ビフィズス菌を飼い慣らし、潰瘍を攻撃する指令を与えようと考えたからだ。不思議なもので、こうなってくると今まで気にならなかったものが、どんどん気になるようになってきた。意味もなく「タウリン1000mg」という言葉なんぞに反応してしまうのである。


 私の周囲から夏が立ち去ろうとしていたある日、豆腐を買った。コンビニの中でウロウロしていたところ、突然、豆腐に目を吸い寄せられた。一瞬にして私は先輩が語っていた話をまざまざと思い出した。「小野君、豆腐は身体にいいんだよ。1日1丁ぐらいは食べるべきだな」と、運送屋で豆腐を配達してる先輩がよく語っていたのだ。38年の人生で生まれて初めて豆腐を買った。


 信じられない美味さだった。こんなモノが世の中にあったのか! と叫びたい気持ちを押さえるのに一苦労した。冷ややかにして滑らかな口当たり、咀嚼することを要さずして胃袋に溶け込んでゆく。更に、十二指腸潰瘍の上を涼しげに撫で去ってゆくのだ。“畑の肉”なんていう形容は弱過ぎると思わず悲憤慷慨したほどだ。


 それからというもの、毎日、豆腐を食べている。1日で3丁食べることも珍しくない。私は既に豆腐さえあれば、この先、生き続けてゆくことができる。


 豆腐三昧の日々が開始されて1週間後のこと。「そうだ!」と妙案を思いついた。削り節をまぶせば、もっと美味くなることだろう。併せて、辛口の中華ドレッシングも買ってきた。高鳴る鼓動を押さえつつ私は手を合わせてから豆腐を試食した。豆腐の上には場外乱闘になるほど大量の削り節がかけられていた。削り節の香りが鼻をくすぐり、豆腐が口に入った瞬間、私は気絶しそうになったね。削り節がかもし出す磯の香りと、豆腐が織り成す土の匂い。海と大地の絶妙なハーモニーが、まったりと溶け合い、その間を、ドレッシングによって中国大陸の風が吹き抜ける。「オウ! トレビア〜ン! デリシャス! ナマステ! スパシーバ! アンニョンハシムニカ! ツァイチェン!」とワケのわからん外国語を並べ立て、私はエクスタシーに達していた。


 ふと思ったのだが、ひょっとすると豆腐依存症候群になったのかも知れぬ。遠からぬ内に、ケツから豆腐が出てくる日が訪れることだろう。