心を響かせて発せられたものが言葉だとすれば、声に心根が現れると言って良いだろう。この間読んだ藤原伊織著『てのひらの闇』(文藝春秋)には、会長秘書の言葉を称して「ステンレスの定規みたいに事務的な声」なんてのがあったが、巧いもんだね。生の言葉は、書き言葉とは違って、言葉遣いよりも息遣いに人間が出る。「ステンレスの定規」ってのがピンと来るのは、冷たさと硬さ、そして隙(すき)のなさであろう。我が国では人と人とが会った時は、時候の挨拶から始まる。「随分と寒くなって来ましたね」「全く鬱陶しい雨が続きますな」「生憎(あいにく)の天気ですね」など、万人がわかり切った内容の確認から会話が始まる。四季の移り変わりがハッキリとしてるが故に、気温に敏感なのだろうか。
声の響きもそうだ。自分に対して親近感を抱いているか、打ち解けようとしているか、そんな温もりを人は素早く察知する。
私は北海道出身で、ゆったりした言葉の中で育ったせいだろうか、江戸っ子言葉に弱い。何とも言い難い威勢の好さに魅了されるのだ。寅さんやマムシが放つ言葉は、生き生きとしたリズムを奏で躍動する。乱暴な言葉遣いをガッチリと人情が支えている。
私が初めてマムシのラジオ放送を聴いたのは10年程前だったろうか。ウルトラマンのアラシ隊員でお馴染みだったマムシが、ぽんぽんと毒気の強い言葉を放っているのを耳にした時は度肝を抜かれた。
「いやァ、キレイな店だね。汚いのは客だけ。まったく、きょうもあの世から早く来いって呼ばれてるようなジジイ、ババアばかりだ」
「湿気取り置いとくと、年寄りはみんなカサカサにひからびちまう」
「こんなくたばりぞこないに何かあげても、冥土まではもってけないよ」
「アンタの時代は女学校なんてねーよな、寺子屋だよな」
「素直じゃないよ。女房に無理矢理保険に入れられるタイプだよ、お前は」
大体こんな感じで「ジジイ、ババア」のオンパレードだ。
私は耳を疑った。だが、更に驚いたのはマムシとやりとりする老人達の明るい笑い声だった。大事にしなきゃならない存在だからという理由だけで、配慮され、体よくあしらわれて来た年寄り連中が、本音で語るマムシに大らかな笑い声を上げていた。その番組を聴き終えた時、ああ、これは小学校の同窓会みたいなものかも知れないと、ふと思った。
当初はやはり苦情が殺到したそうだ。しかし、マムシの人となりをよく知るスタッフは、これで行こうと支持した。更に、マムシ自身が、自分の言葉をたぐり寄せるために毎晩、メイン・パーソナリティの近石真介とその日の仕事を振り返り、入念な反省が行われていた。この電話は短くて1時間、長いと数時間も続いたという。
本書はコンパクトながら、毒蝮三太夫の生涯をなぞり、番組の舞台裏が垣間見え、軽めの読み物として一気に読める。
ゴリラそっくりで近所のオバアサンをつかまえては、「よう、しばらく見ねえから、くたばっちまったかと思った」などと言う、口の悪い父親。目が不自由な近所のオバアサンの手を引いて15年の長きに渡って、毎日、銭湯に連れていった母親。マムシの芸は父と母から受け継がれたものだった。
マムシは下町のオヤジ宜しく人情で掛け合いを締め括る。
「そうか、10年もクニに帰ってないのか。クニのオフクロに、ラジオ通して元気でやってるって言ってやれ」
「お前がここまでやれたのも近所の皆さんのお陰なんだぞ。近所の皆さんにどうもありがとうございますって言いなよ」
「一人娘が結婚するんじゃ、オヤジも寂しいなァ。結婚する娘に、ユミコ幸せになれよって言ってやれ」
懐かしき父性と言ったら言い過ぎであろうか。実の父親が我が子に遠慮する昨今である。妙なものわかりの好さが子供達を増長させてやしないだろうか。厚底のサンダルやブーツ越しに少女達は大人を見下している。
マムシはこんなことを言っている。
「心地いい本音じゃないとね。お互いに昂揚しないと。そこに知的な作業がなきゃだめなんだよ、毒がないとね。豆腐だって、にがりがないと固まんない。でも、にがりそのものは食えない。僕はにがりみたいなもんだと思うよ」
一見、何気ない話術は、熱心な研究と彼の優しさがつくり上げたものだった。そこに誰もが真似しようのない独創性が磨かれていったのだ。
ラジオとはまたひと味違うマムシの魅力に触れることができた。