忘れ難い本がある。いたく感動した作品なんぞもそうなんだが、探し続けた挙げ句にやっと見つけた本の方が生々しい記憶となって脳味噌に刻み込まれている。私の場合だと、丸山健二の『メッセージ 告白的青春論』(文藝春秋)や、ハリソン・E・ソールズベリーの『攻防900日』(早川書房)、P・マルヴェッツィ、G・ピレッリ編の『イタリア抵抗運動の遺書』(冨山房百科文庫)など。
見つけた瞬間の動きといったら、そりゃもう、フェンシングの“突き”さながらで、一閃の光芒を放つほどである。そして、今回、紹介するこの本もその一つ。永六輔の『タレントその世界』(文藝春秋、1973年)。向井敏が書評で持ち上げているのを読んでから、ずうっと探していた。タレントの発言やエピソードなどが収録されており、いずれも寸鉄人を刺すような余韻をはらんでいる。
永六輔という人物はあんまり好きじゃないんだが、こうした情報収集になると右に出る者は、まずいないだろう。
福沢諭吉は杵屋弥十郎を贔屓(ひいき)にした。
ある時に弥十郎を呼ぶと「三味線がこわれているので」と断ってきた。
福沢が弥十郎の家の近所の質屋を調べると案の定、弥十郎の三味線が入っている。
それを受けだしておいて、芸はしなくていいからと弥十郎を呼び「私の三味線で弾いてくれ」と例の三味線を出した。
これが弥十郎を大成させるキッカケになった。
こんなエピソードを知ると、1万円札の顔も優しく見えてくるから不思議だ。願わくは、その優しいお顔をもっとたくさん見させておくれ。
高度経済成長前の聞き書きは、貧・病・争を思わせるものが多く、それだけに“生”の実感と息遣いに満ちている。例えばこう――
ジョセフィン・ベーカーが踊り出したキッカケは寒かったからなのだ。
かと思えば、こんなのもある。
かつての横綱常陸(ひたち)山は眼力をきたえるのに堂々と道でウンコをした。
当然だが道を行く人は好奇の目でウンコをしている常陸山を見る。
その目をにらみ返すのである。
自分を鍛えようと思えば、いかような知恵も出るという手本である。ただし、真似はしないよーに(笑)。