波多野誼余夫、稲垣佳世子 の検索結果:
人間は、直立し、二本足で歩行するという基本的な特徴を持っている。これは、樹上生活にくらべ、ずいぶんと危険の多い生活様式である。とくに力が強いわけでもない人間の祖先がこうした生活様式を採用しえたのは、やはり社会的協同のたまものであろう。つまり、人間の赤ちゃんが無力なのは、母親ばかりでなく、複数のおとなの保護を前提にしているのだ、と考えてよいように思われる。 【『知的好奇心』波多野誼余夫〈はたの・ぎよお〉、稲垣佳世子(中公新書、1973年)】 波多野誼余夫、稲垣佳世子
…実験の被験者たちは、まさに「情報に飢えて」しまったのだ。だからこそ、通常は見むきもしない情報にも接しようとするのだろう。くだらない情報でもないよりはましだ。幻覚だって、一種の「内的」な情報のあらわれと解釈できよう。人間においては、「情報への飢え」は、まさに食物へのそれに匹敵するといえそうだ。人間は退屈を嫌い、知的好奇心をみたすべく常に情報を求めている存在なのである。 【『知的好奇心』波多野誼余夫〈はたの・ぎよお〉、稲垣佳世子(中公新書、1973年)】 波多野誼余夫、稲垣佳世子
…からすれば共産主義は一つの理想だったのだろう。しかし、それも幻想に過ぎなかった。 資本主義の原理が、資本の奪い合いである以上、貧富の差が生れるのは必然である。弱い者、貧しい者から収奪することが成功への鍵となる。ソ連が崩壊してからは、これがグローバルな規模で進行している。「ノー」と拒否することは国家レベルでも困難だろう。金融マーケットが崩壊しつつある今、資本主義を見つめ直す視点が求められているように思う。 ・生産性の追及が小さな犠牲を生む/『知的好奇心』波多野誼余夫、稲垣佳世子
・波多野誼余夫、稲垣佳世子 資本主義という運動会では、皆が皆走り回っている。いや違うな。ともすると、競争原理という言葉が合理を象徴しているように見えるが、実際はもっと残酷だ。足の遅い者が落伍する仕組みなのだから。つまり、資本主義は鬼ごっこなのだ。 鬼となった連中には、漏れなく貧しい生活と苛酷な労働が与えられる。労働の対価は正当に評価されることなく、余剰価値は誰かがかっさらってゆく。多分、高額納税者の奴等だ。あいつらは、国家予算を割り当てられる恩恵に浴しながらも、労働者から平然…
初版が刊行されたのが1973年というのだから、既に35年の長きにわたって読み継がれている名著。私は20代で一度読んでいる。 「人間はナマケモノなのか?」というテーマで、旧来の「アメとムチ」スタイルを脱却する狙いがある。様々な心理実験のデータを引っ張り出し、自発的に労働や勉強と取り組める方途を探っている。その核となるのが知的好奇心だ。 そのサルたちにとっては、パズル解きは電気ショックなどによって強制されたものではなかった。さらに、その熱中ぶりからみて、サルがパズル解きを楽しんで…
…話だ。時を同じくして波多野誼余夫、稲垣佳世子著『知的好奇心』(中公新書、1973年)を読んだ。これで決まりだった。遊びとは正反対の概念と思われる仕事・勉強に対して、遊ぶような姿勢でできないだろうかといったことを心理学的に模索した労作。私のテーマが「遊び」になった瞬間だった。そんなこんなで、この本を神田古書街で見つけた時はなんのためらいもなく買った。ついでに一緒に並んでいた同シリーズの『争う』(岸田秀・責任編集)も買ったのだった。 失敗だった。コン畜生め! 『争う』の方が遙かに…