短く、巧みに、簡潔に……。
英語を知らなければ英文の履歴書はかけないし、まして『リア王』を著わせるわけはないが、無論、英語を知っているだけでシェークスピア劇を書ける訳もない。ラマヌジャンのノ『ノート』についても同じことが言える。ページを躍動する彼の数式は数学の専門家ならば理解できないものではなかった。『リア王』の英語のように、その著作の根底にある凄味はその意味内容なのである。
数学的な存在について表現すること、それに基づいて演算し、特殊な場合についても検討すること、既存の定理を新しい領域へ応用すること――これがラマヌジャンの『ノート』の本質的な部分だった。しかし、そのなかには単純な数値計算もある。彼にとっては「あらゆる整数が竹馬の友だった」。彼は大好きな数字との付き合いを楽しんだのである。