古本屋の覚え書き

古い書評&今週の一曲

世界中でもっとも成功した社会は「原始的な社会」/『人間の境界はどこにあるのだろう?』フェリペ・フェルナンデス=アルメスト

「成功の要素」を考えてみよう。スピード、技術革新(※イノベーションだよ)、富(=食料やエネルギーなどの余剰)の獲得といったところか。異論は出さないでくれ給え(笑)。

 これらに共通するキーワードは「変化」である。スピードと技術革新は、社会の変化に対応するものであり、富の獲得は、社会の激変に備える蓄積であると考えられる。

 実のところ我々は「変化」を恐れている。だからこそ、機先を制すべく身構えているのだろう。

 共産主義は崩壊した(ことにしておく)。ソ連が崩壊した時点で、人類は計画経済よりも自由競争を選んだ。出てきたモグラの頭を先に叩けば勝者だ。資本主義は早い者勝ちである。バーゲンセールに群がる主婦を見れば一目瞭然だ。あれこそ帝国主義の縮図だ(笑)。

 1972年、世界に一石が投じられた。ローマクラブの第一報告書『成長の限界』が発表されたのだ。日本が高度経済成長の最終コーナーからゴール直線に差し掛かった頃だ。その一方でベトナム戦争はまだ終結していなかった。

 環境意識が高まったのは、1997年の京都議定書以降のこと。で、アル・ゴアドキュメンタリー映画不都合な真実』で花を開かせた感がある。ゴアは2007年のノーベル平和賞を授与された。満開。あとは散るのみか……。

 どうも、きな臭い。ローマクラブの指摘は早すぎる。しかも、環境に負荷を与え続けているのは先進国なのだ。先進国には応分の責任がある。

 これに対して、梅崎義人〈うめざき・よしと〉は「環境ファッショ」であり、「環境帝国主義」であると糾弾している(『動物保護運動の虚像 その源流と真の狙い』成山堂書店、1999年)。つまり、エネルギーと食糧には限りがあり、これ以上先進国を増やすわけにいかなくなったために、環境保護という美しいテーマを掲げて、自分達だけ椅子に座ろうという魂胆なのだ。資本主義の実態は椅子取りゲームだ。

 本来であれば、まず先進国から脱石油社会を目指すべきであり、電気を消して太陽と寝起きを共にすべきであろう。

 結局のところ、スピード・技術革新・富の獲得といった価値観が環境を破壊することに、人類はようやく気づいたのだ。“真の成功”とは「持続可能」という永続性にあった――

 もしも、「世界中でもっとも成功した社会はどれか?」という質問を発するならば、私たちは、変化することこそが成功の証という、浅はかな自己満足的仮定に飛びついて、劇的に進歩し、拡大し、環境を改変してきた社会を「偉大な文明」と賛美し、まねるべきモデルとみなすのだ。たとえ、それが活力を失ったり、廃墟となってしまったりしても、である。しかし、存続が目的であるとすれば、もっとも成功した社会とは、もっとも変化しなかった社会、彼らの伝統とアイデンティティとを保持してきた社会、または、環境の搾取を合理的に制限することで、存続をはかってきた社会なのだ。これまでもっとも長く続いてきた社会、変化の恐れにうまく抗してきた社会とは、今でも狩猟採集生活をしている社会である。南アフリカクン・サン、またはブッシュマンと呼ばれる人々、オーストラリアの先住民、森の奥深く、めったに出会わない人々などだ。

【『人間の境界はどこにあるのだろう?』フェリペ・フェルナンデス=アルメスト/長谷川眞理子訳(岩波書店、2008年)】

「もっとも成功した社会とは、もっとも変化しなかった社会」という指摘が凄い。我々は、スピードを捨て、技術革新を放り投げ、富の獲得を否定する必要に迫られている。一気に作ったものは、一瞬で崩壊する可能性があるからだ。

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