古本屋の覚え書き

古い書評&今週の一曲

9.11テロは物質文明の幻想を破壊した/『パレスチナ 新版』広河隆一

 ・9.11テロは物質文明の幻想を破壊した
 ・ロスチャイルド家がユダヤ人をパレスチナへ送り込んだ
 ・ユダヤ人移民は分割統治の道具
 ・アラファト前議長、毒殺された可能性 遺骨からポロニウム検出

『「パレスチナが見たい」』森沢典子

必読書リスト その二


 先進国という立場にあぐらをかき、欧米発信のニュースや情報を鵜呑みにする我々の背骨に、鞭(むち)を入れるような一冊だ。パレスチナ人がなぜ自爆テロをせざるを得なくなったのか、が理解できる。それ以上に、我々が世界の現状をわかっていないことを思い知らされる。


 旧版は1987年に刊行されており、その後イスラエルは激しく揺れた。フォト・ジャーナリストである広河隆一は、虐げられる人々と同じ大地に立って、歴史を観察し記録する。文章に熱い思いが込められているのは、第三者(彼と私という関係)と第二者(あなたと私という関係)の間を揺れているためだ。広河は静かにパレスチナ人に寄り添う。その営みは死を覚悟しなければできないものだ。


 著者は、新版の冒頭でこう記している――

 2001年9月11日に崩れ落ちた巨大なビルは、未来がその本性を現したと感じた人も多かっただろう。心臓を掴まれたようなこの不安感はどこから来るのだろうかと、私も何度も自問した。それはテロリストや、彼らをかくまう者を爆撃して殲滅することで済むものではない。このとき私たちの世界は、もっと深い何ものかの虜囚になったのだ。
 それはこれから人間はどこに行くのかという問題と絡み合っている。事件後イスラエルに飛んで、占領下のパレスチナを歩き回った。そのあとアフガニスタンに行き、難民キャンプで考えた。
 私たちがどこに向かっているのか知るためには、どこに立っているのか知らなければならないのは当然だ。そして今歩いている道がどこにつながっているのか知らなければならない。しかし私たちは、フロントガラスが泥だらけで全く前が見えないのに、運転を続けているようなものなのだ。ワイパーがないのだ。そうした役割を果たしてきた歴史家も、哲学者も思想家も役割を放棄している。革命家もいなくなってしまった。
 そしてどのような未来が人間を幸せにするのか、教える人間は存在しなくなってしまった。
 かつては預言者たちが、そして後には社会主義者たちが未来を指し示した。この方向に歩めば平和や平等や幸福があると。しかし社会主義の転落によって、羅針盤もなくなった。そしてその役割は、資本主義と物質文明がとって代わった。


【『パレスチナ 新版』広河隆一岩波新書、2002年)以下同】


 この文章で私は一気に引き込まれた。9.11テロを国防やセキュリティの次元で論じる人は掃いて捨てるほどいる。少し頭を働かせればわかることだが、9.11テロによって最も得をしたのはアメリ国防省に決まっている。セキュリティ会社も利益にありついたことだろう。これは日本においても同様で、北朝鮮テポドンを発射すれば、防衛省の予算は増え、世論は右側に傾く。そして街中(まちなか)では至るところに監視カメラが設置されるという寸法だ。


 文明論から9.11テロを論じる著者の視点は高い。そしてこう続ける――

 私はベルリンの壁崩壊のとき、現地にいた。あのとき壁が崩壊したのは、決して東側の人々の自由を求める動きではなかった。テレビに映し出される西側の物質の氾濫、きらびやかなショーウィンドウが、壁を壊したのだ。それは社会主義が未来の幸福を保証できなく、代わりに資本主義による物質の氾濫が豊かさと幸福の象徴になった瞬間だった。
 その象徴が、世界に君臨するアメリカと、ツインタワーだった。それが一日で瓦解した。崩壊の喪失感はこうしたことに根ざしていたと思う。
 犯行に及んだ者たちは、こうした物質文明が人間の幸福をもたらすという思想に対し、真っ向から対立するイスラムの「原理主義者」だったのである。
 こうして世界がこのまま発展し続けるという幻想が崩れた。今日の続きが明日であるという確信さえ、幻想であることを思い知らされることになった。西側先進国が動揺したのは、3000人余の死者のせいではない。資本主義が幸福をもたらすという指針が脅威にさらされ、消失しかけているという気持からだったのではないだろうか。


「物の豊かさ」が社会主義を崩壊させ、今度はその「物の豊かさ」が崩壊の憂き目にあっているというのだ。


 確かにそうだ。国家対国家であれば、どうしたって大国が有利である。だが、国家対民族、あるいは国家対個人となった場合、国家に勝ち目はなくなる。なぜなら、個人のテロ行為を国家が事前に防ぐことはできないからだ。


 帝国主義は形を変えて厳然と存在する。大国は国際ルールを自由に書き換え、自分達に有利なゲームを展開するのだ(梅崎義人著『動物保護運動の虚像 その源流と真の狙い成山堂書店、1999年)。エネルギーや食料・水には限りがある。世界全体が豊かになることなどあり得ない。つまり“先進国”というのは、200人で7つか8つの椅子を奪い合うゲームであり、ゲームであるにもかかわらず指定席となってしまっているのだ。


 で、椅子に座れない連中は指をくわえて黙っているのかというとそうではない。殆どの国が椅子の下敷きになっているのだ。本書は、その呻(うめ)き声をすくい取って、我々の耳に届けてくれる。


 私の率直な感想を一言でいおう。「四の五の言わず黙って読め。先を争って読め」――以上だ。