古本屋の覚え書き

古い書評&今週の一曲

森達也インタビュー 1

森達也】1956年広島県呉市生まれ。1980年立教大学卒業、在学中から俳優活動を始め、自主製作映画などに出演。1989年、不動産、広告会社などの様々な職種を経て、テレビ番組制作会社に入社。以降、報道系ドキュメンタリーの番組等、40本以上の作品を手がけ、殊に小人プロレスラーや超能力者、放送禁止歌などマージナルな素材をテーマに、数々のドキュメンタリー番組の演出を手がけた。1997年3月、『A2』の撮影を終了(撮影開始は96年3月)、98年2月に完成。2001年8月、『A』の続編である『A2』を完成。現在は「下山事件」のドキュメンタリーを製作中。著書・共著に『「A」撮影日誌』(現代書館:2000-05)、『放送禁止歌』(解放出版:2000-07)、『スプーン 超能力者の日常と憂鬱』(飛鳥新社:2001-03)、『A2』(現代書館:2002-03 )などがある。


 


【インタビュアー:竹山徹朗】

取材前記


 まず、映画『A2』の試写会(2001-09-21、徳間ホール)で配布された資料の末尾に載っていた、森達也氏の文章を紹介したい。

「人はもっと優しい。」森達也

 今この原稿を書いている9月17日の深夜、アメリカの同時多発テロに対しての報復の行く末が気になって、僕は傍らのテレビを横目で眺めながら何も手につかない状態だ。
 もちろんその理由は、数日以内に多国籍軍の侵攻が始まれば、21日(9月、註は竹山)の試写に来る予定のメディア関係者が大幅に減ってしまうというエゴイスティックな動機が要因だけど、でもそれだけじゃない。
 昨夜のテレビでは、報復に対しての賛否を問うニューヨーク市民への街頭インタビューが放送された。被害者でありながら彼らの半分以上は、「これ以上アメリカや他国の市民を犠牲にすべきではない。報復は何も解決しない」と断言した。もちろん街頭インタビューがある程度は作為的に操作できることは明らかだし、報復を主張する人の方が絶対多数だろう。でもそれを差し引いても、かなりの数のアメリカ人たちが、単純な報復を望んでいないことは間違いないと思う。
 異なる見解や内なる煩悶を個人が表明することによって、短絡的な二元論や刹那的な懲罰論ではなく、より深い洞察と熟考が可能となる。
 ひるがえって日本はどうなのだろう?
 テロ多発翌日、テレビではどのチャンネルを回しても、例によっての危機管理評論家や大学教授たちが、「テロに対しては、少なくともその被害の3倍以上の報復を果たさなければ意味がない」と拳を握り締め、首相は早速「アメリカの報復についてはこれを全面的に支持する」と発言し、大多数の世論もこれに同調した。
 報復は何も解決しない。新たな憎悪と遺恨を生むだけだ。たぶんこの程度は小学校低学年のクラス会でも、当然の前提となる論理のはずだ。ビンラディン氏が実行犯の黒幕であるという確かな証拠がない限り、引渡しには応じられないというタリバーンの姿勢は、極めて正当な判断だ。
 しかし現段階では僕の見るところ、大多数の日本人は、当事者であるアメリカ人よりも報復に対して無条件に賛同している。葛藤や煩悶などほとんどない。「やられたのだからやり返す」という発想が、いつからこの国の市民社会におけるマジョリティになってしまったのだろう?
 前作『A』がクランクアップした97年以降、日本社会はまるで歯止めが外れたように急激に変質した。残虐で理解不能な犯罪が勃発し、ガイドライン法案や国旗国家法案、通信傍受法に住民基本台帳法案などの法案があっさりと成立し、一旦は破却された破防法は団体規制法案(オウム新法)として復活し、タカ派的言動の政治家が支持されて、遂には太平洋戦争における日本のスタンスは正しかったと主張する勢力まで現れた。
 全ては地下鉄サリン事件以降なのだ。
 思い出して欲しい。僕らは事件直後、もっと煩悶していたはずだ。「なぜ宗教組織がこんな事件を起こしたのか?」という根本的な命題に、必死に葛藤をしていた時期が確かにあったはずだ。6年が経過した現在、オウムの側では今も葛藤は続いている。
 でも社会の側の思考は停止したかにみえる。「正と悪」との二元論ばかりが幅を利かせ、ひとつの刺激に対して全員が一律の反応を無自覚にくりかえしている。(僕らの父や祖父の世代は、そうして取り返しのつかない過ちを犯してしまったはずじゃなかったのか?)
 葛藤を続けなくてはならない。煩悶を取り戻さなければならない。僕らはオウムの事件からまだ何も獲得できていない。剥きだしになっただけだ。だからこそオウムをこんな形で風化させてはいけない。日本をこんな形で収束させてはいけない。
 でも一年余りの撮影と数ヶ月の編集作業を終えて、よりによって初めての試写と宗教が関与した悲惨な事件が同時期に重なった今、つくづく思う。切ないくらいに思う。
「世界はもっと豊かだし、人はもっと優しい」
 結局は外したけど、『A2』のサブタイトル候補だったこのフレーズの意味を、一人でも多くの人に伝えたい。僕らが今、後戻りのできない地点にまで無自覚に近づきつつあることを、一人でも多くの人に知って欲しい。難しいことじゃない。立ち止まり、これまでとは少しだけ違う視点で、ゆっくりと周囲を見渡してみればよい。
 その瞬間、きっと誰もが気づくはずだ。


 テープ起こしをしながら、あらら、と思った。「なんだ、ここに全部書いてあるじゃん」。これ以上の事柄を引き出すことのできなかった非力を悔やんだ。


「世界はもっと豊かだし、人はもっと優しい」。


 以下は、この一言に与えるべき註釈である。




――『A』『A2』の両方とも、リアルタイムで見させていただきました。間違いなく見る者の価値観を揺さぶる作品なのに、マスメディアではいまだに紹介しづらいというか、抑制が働いてしまうのですね。


森●そうですねえ。建て前とかあんまり気にしない雑誌の方が、活発に取材をしてくれるし、記事も出してくれますねえ。


――朝日新聞は紹介してくれたんですね。


森●あと、共同も取り上げてくれますね。読売、産経、毎日は今のところ来ないですね。


――マスメディアって一般的に、異質な存在である、と決めつけられたものに対しては、どんどん突っ込んでくる。そうじゃない、曖昧な存在に対してしっかり取材しようとする動きは少ないですねえ。


森●共同の場合は、けっこう一枚岩じゃないし、朝日は腐っても朝日なのかなあ(笑)。あと、やっぱり何かではずみがつく場合がありますね。朝日の場合も、最初は山形支局が取材してくれて記事にしてくれて、そうすると社内的にもお墨付きがつくみたいな、そういうこともあるんでしょうね。


――ははー、なるほど。


森●誰が最初に首に鈴をつけるか(笑)。
 あるテレビ局が、年末から年始にかけて何回か取材してくれて、でも途中でさっぱり音信不通になった。このパターンが多いんですけど、先日そのディレクターから携帯電話に連絡があって、「実は、うちの局は以前オウム関係で不祥事を起こしていまして、オウム幹部は扱わない、という規約があるみたいで」って言うんだよね。でも、「おれはオウムの幹部じゃないよ」って言ったんだよ。そしたら彼が、「いや、うちの偉いさんからすると、幹部みたいなもんだって」(笑)。


――わはは、笑い事じゃないですね。


森●「オウム」を擁護する反社会的存在なんだ、と。テレビ局の制作の、部長クラスがその認識なんですね。


【※こうした無認識ぶりは、べつに驚くにあたらない。森氏の『「A」撮影日誌』には、オウムを巡る彼我の認識の違いが、ユーモラスなまでに描かれている(以下、引用は断りのない場合はすべて『「A」撮影日誌 オウム施設で過ごした13カ月』から】

「……おっしゃることがわかりません。(テーマとして)オウムの何が問題なのですか?」
「TBSの件は君はどう考えているんだ?」
「話が違います」
「オウムは殺人集団なんだ。そのドキュメントを撮るのなら、それなりの理論武装と方法論が必要なんだ。そこまで説明しないとわからないのか?」
「ですから、彼らが殺人集団だという既成の概念を捨てて対峙したとき、そこから何が見えるのか? というのが、この企画のテーマです」
「そんなテーマはありえない。殺人者の集団はどう見ようと殺人集団なんだ。その組織のドキュメントを撮るのなら、それなりの方法論があるはずだ。君が思いつかないのなら私から呈示する、まず一つは、例えば江川詔子や有田芳生など、反オウムのジャーナリストを積極的に起用することだ。レポーターとして起用することがいちばん望ましい」
「レポーター?」
「次に、信者の日常を撮るのなら、被害者の遺族や信者の家族は必ず取材して、社会通念とのバランスをとることを目指して欲しい。信者に言わせっぱなしは絶対に駄目だ。そして三つめの条件は、番組放送前に、素材を見せることを要求しないことを約束した念書を荒木に書かせることだ。これが条件だ。これを一つでもクリアできないのなら、このドキュメントは会社の制作としては認めることはできない」
「一つも呑めません」
即座に答えていた。
(中略)
「相手はオウムだ。信用できるわけないだろう。(念書は)念のため書いてもらうだけだ」
「念書によって維持される関係性ではドキュメンタリーは作れません」
「オウムは例外だ。とにかくこの企画書は意味不明だ。日本人のメンタリティを探るってこれは何だ?」
「……文字どおりですよ。英語はわかりますよね?」
「日本人のメンタリティなんで、テレビを見る誰も知りたいとは思わない」
「僕は知りたいんです」(36〜37p)


「オウム」、小人プロレス、超能力者、放送禁止歌……。森が取り上げてきたテーマは、メディア内外の通念を突き破るようなものばかりだ。ぼくには意図的にそういうテーマを選んだとしか思えなかったのだが、「自然にそうなった」と森氏は言う。


 彼の言葉遣いにぼくは、言うところの“自然さ”を、自然なままに維持しようとする意志を感じた。というよりも、人間としての自然な感じ方を保護せざるをえない困難を経てきた、慎重さと率直さを感じた。自然な感情を維持できない類の困難が、メディアの中にはあるのだろう。それは、メディアの中にだけあるのではない。どのようなかたちで、この困難は表出するのか。その典型的な例を、ぼくは『A』『A2』の成立過程に見る。


【「Publicity」より転載】


森達也インタビュー 2