古本屋の覚え書き

古い書評&今週の一曲

鬼気にあらず、茶目っ気迫る古書蒐集(しゅうしゅう)癖/『子供より古書が大事と思いたい』鹿島茂

 痛快な本である。おまけに愉快ときたら読む他あるまい。以前からタイトルが気になってしようがなかった本書をやっと読んだ。著者は現在、共立女子大学の文学部教授。『ユリイカ』の連載が編まれたもの。19世紀フランス小説を専門とする著者が、フランス語の稀覯(きこう)本コレクターとして、破滅すれすれの人生を歩む様子が描かれている。

 愛書趣味というのは、ことほどさように、だれからも理解されず、健全な世間の常識からは疎(うと)まれ蔑(さげす)まれ、家族からは強い迫害を受ける病なのだが、この病の特徴は病人がいささかも治りたがっていないというところに特徴がある。治りたがらない病人ほど始末に悪いものはない。さらに、この病は、財政的に完全にお手上げになって、もうこれ以上は1冊も買えないというところまで行き着かないと、治癒の見通しがつかないという点で、麻薬中毒やアル中などの依存症にも一脈通じるところがある。


 著者は本書を執筆する15年前に神田のとある書店で、19世紀フランスのロマンチック本というジャンルの挿絵本と出会い、木口木版の魅力に取りつかれる。この時、出会った本のタイトルが『パリの悪魔』と、まさしく著者のその後の人生を象徴するかのような本。しかし、月給が18万円だった当時、さすがに15万円の本を購入することはかなわなかった。


 後日、図書館からその本を借り出した。だが、それを手にした著者は言いようのない悲しみに襲われる。

 たしかに、手にもっているのは『パリの悪魔』そのものである。だが、扉に図書館の公印がべったりと押されたその本は、あきらかに何物かを失っていた。1845年の誕生から、130年以上の長い年月を、様々な人の手に渡りながら生き抜いてきた本としての人生に突然終止符を打たれたとでもいうような感じだった。図書館に入れられた本は、同じ本でも生きた本ではない。本は個人に所有されることによってのみ生命を保ち続ける。稀覯本を図書館に入れてしまうことは、せっかく生きながらえてきた古代生物を剥製にして博物館に入れるに等しいことなのだ。新刊本の場合には、いささかも意識にのぼらなかった本の生命というこの真実が突如天啓のようにひらめいた。そして、その日から私はピブリオマーヌとしての人生を生きることを決意した。私が本を集めるのではない。絶滅の危機に瀕している本が私に集められるのを待っているのだ。とするならば、私は古書のエコロジストであり、できるかぎり多くのロマンチック本を救い出し保護してやらなければならない。これほど重大な使命を天から授けられた以上は、家族の生活が多少犠牲になるのもやむをえまい。


 と、まあ土屋賢二氏顔負けの見事な論法である。ここで弾みをつけてあとは一気読みである。私は稀覯本には全く興味がないが、奥深い世界は端(はた)から眺めているだけでも楽しいものである。


 一様に稀覯本といっても様々な種類があり、皮革の装丁や挿絵の種類も実に豊富。超Aランク級の古書店ともなると、本の状態が完璧な上に「なにか特別のプレミアム、つまり、献辞、直筆原稿、デッサンなどの『この世でただひとつのもの』が添えられて差別化された稀覯本のみを売るという姿勢が必要とされる(69p)」というのだから、さすが文化の宗主国と沈黙するしかない。著者がフランスに滞在して時には、オークションでドラクロアの献辞をもつ『悪の華』などは、3900万円で落札されたというから凄い。


 著者は日本に帰国してからも蒐集の手を止めることはない。ファクシミリで入札するのである。具体的には記されていないが、結構な借財があるらしい。自宅を抵当に入れ、融資を受けてまで本を漁る姿が、滑稽で憎めない。まるで水晶を思わせる物欲である。


 あとがきがまた奮っている――

 コレクションというものは、およそ客観性を欠いた、きわめて主観的な趣味の表現だ。

 むしろある種の創造性、あるいは一つの『思想』と呼んだほうがいい。なぜかといえば、コレクションというのは、この世にまだ存在しない『なにもの』を作り出す作業なのだから。

 コレクションには、コレクション特有の自動律のようなものが存在していて、これが、コレクションが拡大するにしたがって次第に「意志」を持つようになり、最後には、コレクターを思いのままに動かし、自らを完成させていくことになるからである。

 コレクターとは、常に「党」を開いていくことを運命づけられた永久革命者の別名にほかならない。


 これほどの理屈をこねさせる力が稀覯本にはあるという見事な証拠だ。「狂」や「馬鹿」がつくような人間ほど面白いのは確かだ。


 尚、本書は文藝春秋社より文庫化されたので、求めやすくなったことを付記しておく。講談社エッセイ賞受賞作品。