古本屋の覚え書き

古い書評&今週の一曲

日米両政府:裁判権放棄 密約の議事録存在

 日本に駐留する米兵らの事件をめぐり、日米両政府が1953年に「重要案件以外、日本側は第1次裁判権を放棄する」と密約を交わした件で、国際問題研究者の新原昭治氏は23日、都内で会見し、密約の非公開文書(議事録)を米国立公文書館で入手したと発表した。密約の存在は米公文書などで知られていたが、文書自体が公表されるのは初めて。逮捕された米兵の身柄について、米側の優先的確保に合意していたことも新たに分かった。
 文書は、53年10月28日付の日米合同委員会裁判権分科委員会刑事部会の議事録。日本代表が「日本にとって著しく重要と考えられる事件以外、第1次裁判権を行使するつもりはない」と発言し、日米でこの見解に合意している。同22日付の議事録では、日本代表が「日本当局が米軍容疑者の身柄を確保する事例は多くないだろう」と述べ、米兵の身柄拘束は差し控えるとの認識を伝えている。
 新原氏は議事録のほか、在日米大使館と米本省との外電も入手。裁判権放棄の合意について、米側が公表を望んでいたのに対し、日本が秘密記録に入れるよう主張していたことが記されている。衆院議員会館で会見した新原氏は「沖縄など基地周辺の住民の人権と生活が痛めつけられてきたにもかかわらず、日本政府が野放しにしてきた根本が見つかった」と話した。
 密約は、日米地位協定の前身で1951年の日米安保条約に基づき締結された日米行政協定17条(刑事裁判権)改定交渉過程で交わされた。


琉球新報 2008-10-24


 つまり、「日本を守ってもらう以上、少々の犯罪には目をつぶりますぜ、旦那」ということか。あるいは、「うちの娘をレイプしてもらっても構いませんよ、兄さん」という意味か。

小田嶋隆


 1冊読了。


無資本主義商品論 金満大国の貧しきココロ小田嶋隆/いやあ面白かった。全体的なまとまりとしてはベストかも知れない。コラムとしては8冊目あたりになると思われるが、勢いがあるのは『我が心はICにあらず』と同時期に書かれたものが多いためだろう。驚いたことに、経済の本質を見抜くセンスが、その辺の新聞記者を軽く凌駕している。バブル景気とバブル崩壊の間に渡された階段のような趣がある。私が読んできたものの中では、最も批判精神が横溢している。ってことは、やっぱりオダジマンは貧乏人ってこったな(笑)。

牧太郎の下劣なコラム


 毎日新聞にこんなコラムが掲載されていた。

牧太郎の大きな声では言えないが…「ウソの礼儀?」


 諸事情があって、“深く”はないが、それなりに付き合った女性と別れようと決意した――としよう。手短に、よんどころない理由を告げ「キミのことは忘れない」とつぶやく。「手短」でないとボロが出る。
「忘れない」というのは100%ウソではない。楽しい思い出もあった。しかし、今はギクシャクしている。何よりも「次なるお相手」がいる。本音を言えばすべて忘れたい。
 女は女で「よく言うワ。新しい女ができたのに。こちらからお払い箱よ!」と達観しながら、うっすら涙ぐむ。
 男の「忘れない」も、女の涙もウソの礼儀。解決金が必要な時もある。
 しかし、同盟国アメリカの「忘れない」は礼儀知らずも甚だしい。北朝鮮に対するテロ支援国家指定を解除する。そんな時、いつもと同じように「拉致は忘れない」と言い放つ。ブッシュ大統領も、ヒル国務次官補も「ウソの礼儀」を知らないうつけ者だ。
 日本と別れる決意があるならまだしも、米国は決して別れないヒモのような存在だ。


毎日新聞 2008-10-21 東京夕刊


 牧太郎なる人物は毎日新聞の専門編集委員となっている。検索したところ、1944年生まれであることが判った。するってえと、とっくに還暦は過ぎた計算になる。


 それにしてもこの「枕」は酷い。喩えと現実が乖離(かいり)し過ぎている。しかも悪いことに、喩えの方が上手い文章になっているのだ。で、上手い文章で書かれた内容が下劣極まりないときたもんだ。


 大体だな、「“深く”はないが」って一体全体どういうことなんだ? 60歳を過ぎても尚、性行為に執着する様子が窺える。で、日米両国間で性行為は行われていないとでも言いたいのか? 冗談言っちゃいけねーよ。性行為どころか、SM、スカトロ、カニバリズム(食人)も経験済みだろうよ。ヒモだって? 呵々(笑)。神社の境内に名前を張り出してもらう目的で、寄付金の多寡を競っている町内会の有力者と変わらないよ。はっきり言って、アメリカにとっての日本はヒモ以下の存在だ。


 牧太郎は多分、精力絶倫なのだろう。恐るべし、魔鬼太郎。

学校教育はパンを求める子供に石を与えている/『問いつづけて 教育とは何だろうか』林竹二

 ・学校教育はパンを求める子供に石を与えている
 ・教育という関係性

『教育の再生をもとめて 湊川でおこったこと』林竹二
『自由の森学園 その出発』遠藤豊
『リズム遊びが脳を育む』大城清美編著、穂盛文子映像監督


 今年の頭に再読。多分、またいつの日か読むことになるだろう。


 林竹二を知らない人は、『教育の再生をもとめて 湊川でおこったこと』(筑摩書房)、『授業 人間について』を先に読んでおくべきだ。すると、本書のインパクトが倍増する。


 宮城教育大学の学長を務めた後、林竹二は全国を行脚しながら授業を行った。その多くは小学生を対象にしたものだった。時には、教育から見放されてきた人々の中にも飛び込んだ(湊川高校、南葛飾高校の定時制)。


 授業で奇蹟が起こる。生徒という生徒は老若を問わず、自分の内面と向き合わざるを得なくなる。そして、“自分の力”で何かをつかんだ瞬間、生徒の表情は劇的な変化を遂げる。


 林竹二は子供に寄り添う。常に子供の肩に手を回し、子供と同じ方向を見据えていた。

 学びたいという願いを、子どもはみな持っているんですね。しかしそれに答えるものを学校教育は与えていない。私がよく言うように、パンを求めている子どもに石を与えているのがいまの学校教育です。そこでの優等生なんかは、石でも、うまい、うまい、というような顔をして食べてみせるわけですね。ところが、「石なんか食えるか」と言ってそれをはねつける者、拒む者は切り捨てられるのです。


【『問いつづけて 教育とは何だろうか』林竹二径書房、1981年)】


 これは評論などではない。教育に生涯を懸けた林竹二の「怒り」だ。血へどを吐くような格闘の果てから生まれた言葉なのだ。


 こうした状況は、教育が行政主導で行われている以上、なくならないことだろう。所詮、「学力の世界ランキング」で順位を落とせば、授業料を増やす程度のことしか思いつかないのが文部科学省だ。本来であれば、教育権を別にして四権分立とするべきであろう。


 林竹二は死ぬまで教育を問い続けた。その姿は、修行者であり求道者であった。苦しみと喜びは相関関係にある。氏の苦労は、児童の笑顔となって胸に刻まれたことと察する。幼き者に寄せる情愛が慈悲の領域にまで達している。


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