基本的なことを発生的な方法で教える/『自由の森学園 その出発』遠藤豊

『問いつづけて 教育とは何だろうか』林竹二
『教育の再生をもとめて 湊川でおこったこと』林竹二

 ・基本的なことを発生的な方法で教える


 林竹二を読んで遠藤豊に辿り着いた。自由の森学園は、学生自治を重んじる自由な校風。その後、学校経営が上手くゆかず菅原文太を担ぎ出したこともあった。既に廃校かと思いきや、まだ存続していた。

 遠藤豊が教員に求める授業はこうだ――

 私は先生がたにいつもこういうんです。「あんまりたくさん教えるな」と。そして、より基本的なことを、より少なく、しかも、より発生的な方法で教えるように、といってます。発生的な方法で教えるというのは、知識をできあがった、きまりきったものとして子どもに解説しておぼえこませるというのではなくて、子ども自身が知識の発生過程に参加する授業をつくるということです。(中略)
 そのためには、教師はどんな内容であれ、わかりきっていると思う内容であっても、それをもう一度、自分に問いなおしてみないといけないですね。そして、その知識の根拠、それ自体を明らかにしていかないといけない。


【『自由の森学園 その出発』遠藤豊(太郎次郎社)】


 基本を徹底的に習得させ、派生的な思考法を身につけさせるという視点が素晴らしい。ただ、実際にやるとなると相当困難を極める。


 20代半ばで読んだ時はぶったまげたものだ。教員が生徒に敬意を払い、生徒は責任と自立をもってそれに応えた。「自由ってのは、まったく凄いもんだな」と私は感嘆した。


 しかし、時の流れは人間を変える。まして20年という時間があれば何度も変わっている可能性すらある。私は変わった。清らかな心は煙草のヤニで黒々と染め上げられ、不潔を憎んだ精神はたっぷりとアルコールに浸(ひた)ってしまった。社会の常識に叩かれ、取引先からの無理な条件に打ちのめされ、三度の食事の後で「煮え湯」を飲むライフスタイルが定着してしまった(一部フィクションが含まれます)。


 私は遠藤先生に言いたい。「生徒達が、社会をなめてかかるような左翼かぶれになりゃしませんかね?」と。「若いうちに厳しくやっておかないと、付け上がりませんかね?」と。


 どうやら私は老境に入ってしまったようだ。私が言いたいのは、それほど大それたことではない。「自由には危険がつきものだ」ということだ。自分の自由が拡大する時、誰かの自由を奪ってやしないか? そういったレベルの自省的思考を教えるのが先だと思う。


 私は、『真剣10代しゃべり場』を見るたびに、「俺が司会者だったら、全員ぶん殴っているところだな」とため息をつくような大人になってしまった。