「個性重視の教育」に対する異議

 確かに、文部省のお役人や大学の先生方のおっしゃる通り、論文試験は、○×式の試験に比べて、より受験者の個性を明確に反映するものなのであろう。
 しかし、だからといって、私は彼らの言う「個性重視の教育」だの、「個性ある学生を選抜する」だのと言ったお題目を、無邪気に信用する気持ちにはなれない。
 論文が書いた者の個性を反映するものなのだとしたら、それを採点するということは「個性」を採点することにほかならない。とすれば、論文試験は、むしろ個性の圧殺につながるはずだ。○×式のテストは「人間を機械的に序列化する」ということでとかく評判が悪いが、私に言わせれば「人間を機械的な方法によらず序列化」することの方がよほど不気味なのだ。
 彼らは「個性」を選抜するかもしれない。しかし、そうやって彼らが選抜する「個性」は、結局のところ「彼らにとって望ましい個性」というところに落ち着くに決まっている。
 たとえば私のような、疑ぐり深くて偏狭で口が悪い上に平気で約束を破る人間の「個性」を彼らは認めるだろうか。彼らは、教授の話を鼻先で笑うような学生を欲しいと思うだろうか。
 どうせ彼らが望んでいる個性は「明朗」とか「向学心に富む」とかいったことなのであろうし、教授さんたちが口を酸っぱくして言っている「疑問を持ち給え」というセリフにしたところで、その疑問が「大学の自治」や「学費値上げシステムの正当性」に向かうや否や、大あわてで撤回される手のものなのだ。


【『パソコンゲーマーは眠らない』小田嶋隆朝日新聞社、1992年/朝日文庫、1995年)】


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