古本屋の覚え書き

古い書評&今週の一曲

民族という概念は18世紀に発明された

 民族という概念そのものは18世紀の西欧の発明であり、これは「血と土」を意味するドイツ語のBlud und Borden(ブルート・ウント・ボーデン)およびVolk(フォルク)「民」からきている。これを明治前期に民族と造語した。現代中国語の民族(ミンズー)は、明治中期に日本から輸出された熟字である。それ以前の中国語にはなかった。昔から日本は原料加工製品輸出がうまかったのである。
 こうして幻の「日本民族」はできた。さて植民地ができると、そこに住む新日本人たちは、一体何になるのか? これにかかわり、「国体の本義」を考える人たちは悩んだ。研究者たちも迷った。喜田定吉(きた・さだきち)の著作を読むと、当時の知識人の困惑が掌にとるようだ。結局、ラ・フランス・メトロポリテーヌ(内地フランス)とラ・フランス・ドウトル・メール(外地フランス)というフランス型の植民地支配方式でごかました。ドイツ語の「血」の語源をここで落としたのであった。
単一民族」幻想は成立したのだが、実は「血」を語ると、それ以前から不都合な部分があったからである。沖縄の人たちと、北海道のアイヌなどの先住民たち、あるいは小笠原の人々の存在だった。
 フランス型植民地支配方式とは、つまり「内地日本(人)」が、「外地日本(人)」(この場合は、朝鮮半島、台湾、樺太(現サハリン))を統治指導する、という考え方である。昭和になって、ついでに中国もまとめて指導してやろうじゃないか、というのが、いわゆる「大東亜共栄圏」論、「八紘一宇」論だ。この「八紘一宇」論が、実はそのまま現在の「大東亜戦争=アジア解放戦争」論に繋がっている。
「八紘一宇」論とは、つまり、わたしの言う「日本型中華思想」である。中華が蕃(蛮)を救済し、指導してやる、と言うのである。


【『無境界の人』森巣博〈もりす・ひろし〉(小学館、1998年/集英社文庫、2002年)】


無境界の人 (集英社文庫)