順序を間違えた。読み終えたのはこちらが先。『夢をかなえる洗脳力』は、やや宗教色が強いが、こちらはビジネス色が濃い。アプローチの角度を変えて2冊の本を出すのがベッチーの錬金術だ。その商魂の逞しさまで、私には魅力的に見える。「全く商売上手ね〜」と言いながら、買い物をさせられる主婦の姿と変わりがない。
それでは、ベッチーの基本的な概念を――
優秀なリーダーかどうかは、情報空間をいかに高い視点から俯瞰できるか、にかかっているのです。
【『心の操縦術 真実のリーダーとマインドオペレーション』苫米地英人〈とまべち・ひでと〉(PHP研究所、2007年/PHP文庫、2009年)以下同】
視点を高くすると情報量は減ります。けれども、様々な状況に対処できるようになるのです。
別の言い方をすれば、リーダーは現場よりも持っている情報は少ない。現場にしかわからない情報がある。けれども、高い視点を持っていればどんな現場にも対処できる、ということです。現場の人が経験したことのない、新たな事態への対処すら、できるわけです。
視点を高くすることを、カント以降の分析哲学では、抽象度を上げる、と言います。
深く頷き過ぎたため、私の頭は股間にのめり込みそうになった(嘘)。それからというもの、私の脳内では「Google Earth」の映像がフラッシュをたいたように明滅した。
文明の発達においては、常に高さを制した者が勝利を収めてきた。旧約聖書に登場するバベルの塔も、法華経見宝塔品第十一で説かれる宝塔も巨大な様が強調されているが、高さを象徴しているとも考えられる。
なぜ、山に登るのか?――それは人間が高さに憧れるからだ。地中にもぐろうとする人は、まずいない。「地」とは束縛・不自由を表す。地獄。自由は高いところに存在する。鳥、天女、神……。そして、運命を決めているのは星だ。ウーム、高い。
視点を高める作業は、昨日までの自分を見下ろす営みでもある。つまり、自分の小ささを自覚できるかどうかに鍵がある。
哲学や宗教は羅針盤に喩えられてきた。ベッチー先生の凄いところは、羅針盤に対する依存性を否定して、視点を高めることで進路を選択するよう促している点である。ゆえに「抽象度を上げる」とは、思想のインカネーション(肉化/Incarnation)とリインカネーション(再生/reIncarnation)を往復する作業なのだ。法華経で説かれる霊山会(りょうぜんえ/現実世界)と虚空会(こくうえ/悟りの世界)の虚空会に該当すると思われる。
・外情報/『ユーザーイリュージョン 意識という幻想』トール・ノーレットランダーシュ
・視覚と脳
・視覚は高尚な感覚/『ゲーテ格言集』ゲーテ
・苫米地英人
・脳は宇宙であり、宇宙は脳である/『意識は傍観者である 脳の知られざる営み』デイヴィッド・イーグルマン
・認知革命〜虚構を語り信じる能力/『サピエンス全史 文明の構造と人類の幸福』ユヴァル・ノア・ハラリ