うつ病を運動で治す試みが注目されている。薬の効きにくい人が改善することがあるほか、再発率が低いとの研究成果も出ている。
首都圏に住む30代の男性会社員は、自宅近くを15分、週4回速歩きをしている。腕を大きく振り、ハアハアと息が弾むほどのスピードを保つ。終わるとじっとり汗をかく。2カ月後、気分が晴れてきたのを実感するようになった。
「うつうつと家に閉じこもっていたが、今は友人とお茶をしたり、人と積極的にかかわれるようになった」と男性は話す。10年以上抗うつ薬を飲んでいるが、これほど変わったのは初めて。両親と電話で話すと「声が明るくなった」と言われた。夜寝て朝起きる規則正しい生活になり、会社への復職を考え始めている。
男性が通う「青葉こころのクリニック」(東京都豊島区)の鈴木宏医師は「運動すると気分がすっきりして前向きになれる」と話す。大事なのは、一人一人に適した強度と頻度の運動を一定期間続けることだ。クリニックは患者の脈拍や最大酸素摂取量を測り、速度や運動量を指示。患者は週3〜4回、計1時間程度の速歩きをする。
歩くときは、信州大医学部が開発した計測器を腰につけ運動量を測る。「記録を確認できるので意欲が続きやすい」と鈴木医師。昨年の開院後、延べ約20人が取り組み、続けられた17人のほぼ全員に効果があったという。
運動療法は、自殺を考えるような重いうつ病患者には勧められないが、軽症から中等症のうつや、自分の好きな仕事や活動の時だけ元気になる新型うつにも効果がみられるという。
米国デューク大の調査では、薬物療法の後にうつ病を再発した人は38%だったが、運動療法をした人の再発率は8%だった。鈴木医師は「人には自然回復力がある。運動は主体的に取り組むためか、再発しづらい印象がある」と話す。
専門知識が必要なため、運動療法を行う診療所はほとんどなく、健康保険もきかない。鈴木医師は、信州大運営のNPO法人で1カ月1万2600円で指導している。
聖路加看護大の小口江美子教授(予防医学)らは08〜10年、薬が効かないうつ病患者4人に運動療法を併用したところ、うつ状態が改善し、日本精神神経学会などで発表した。休職・休学中だった4人は、4カ月〜1年6カ月にわたってウオーキングに取り組み、全員が会社や大学に戻れた。
「朝起きられず午前の活動が苦手なうつ病の人たちに、運動を日課にしてもらうのは大変だった。でも最後には笑顔も見られるようになり、歩く習慣も根付いた」と小口教授。
うつの程度を測るハミルトンうつ病評価尺度(23以上は重症、7以下は回復)を調べたところ、ある大学生は運動前に22ポイントだったのに終了後は7ポイントに下がっていた。
なぜ、運動すると気分が安定するのか。
生物学的には、脳血流や脳内の神経伝達物質が増え、ストレスホルモンが安定するとされている。共同研究した慶大医学部の渡辺衡一郎専任講師(精神神経科学)は「ひきこもりがちの患者さんに日課ができることは大きい。定期的な体力測定で体力増強がわかり、励みになって意欲が増し、うつ症状の改善につながった可能性がある」と話す。
各国では、運動の効果は認められつつある。渡辺講師によると、英国や米国テキサス州の治療ガイドラインは、軽症うつに運動を勧めている。
慶大病院では年内にも、軽症者数十人を集め12〜16週間にわたってウオーキングやジョギングの運動療法を試み、効果を確かめる研究を始める。冨田真幸助教(同)は「一人一人の体力にあった運動量をアドバイスする、テーラーメードの治療を行う。将来的には、運動でうつを予防する取り組みにつなげたい」と話している。
【毎日jp 2010-10-22】