その時、悲しみに沈んでいる僕の耳に、「さあさあ、ご覧よご覧よ」という声が聞こえた。振り返ると、そこにはのぞきからくりがあって、何十人もの子供が集まっていた。そしてのぞきからくりのめがねの前には、見物人の列ができていた。男が芝居気たっぷりに、連続する絵の説明をした。「ほらそこに勇ましい騎士がいるだろう。そして輝くばかりに美しいお姫様」。涙はすっかり乾き、僕は一心にそのからくりの箱を見つめた。手品師のこともお皿のことも、もう完全に忘れていた。僕はその魅力に抗することができずに、1キルシュ払ってめがねの前に立った。隣のめがねの前には、女の子が立っていた。目の前に、心ときめく物語の絵が次々に展開していった。元の世界に戻った時、僕は1キルシュとお皿を失(な)くしていた。手品師は影も形もなかった。僕は失くした物のことを忘れた。騎士の活躍と恋と戦いの絵が、僕を飲みこんだ。空腹も忘れ、家で僕を待っている恐怖さえ忘れていた。
【「手品師が皿を奪(と)った」ナギーブ・マハフーズ、1969年、高野晶弘訳/『集英社ギャラリー〔世界の文学〕20 中国・アジア・アフリカ』朝鮮短編集、魯迅、巴金、茅盾、クッツェー、ナーラーヤン、イドリース、マハフーズ(集英社、1991年)】