古本屋の覚え書き

古い書評&今週の一曲

正統と異端の関係は客観主義と主観主義の対立

 キリスト教においては、パウロによって、イエスの教えの実践的解釈(全面的総合的合理化)が行なわれることによって、信徒の人間的・社会的な日常生活のすべてを包括することが可能となり、キリスト教が大衆宗教として、ローマ社会に根づくことができた。そこに批判の余地をもつ個々の点が残ることは、後年のルターの場合と同じくやむをえないことである。しかし、与えられた現実にあって、イエスの教えを最大限包括的に生かそうとするものであるかぎり、この実践的解釈には一面的真理の潔癖さには求めえない客観性があるのである。これが正統と異端との関係であり、それを客観主義と主観主義の対立と言いかえることができるのである。


【『正統と異端 ヨーロッパ精神の底流』堀米庸三〈ほりごめ・ようぞう〉(中公新書、1964年)】


正統と異端 ヨーロッパ精神の底流