古本屋の覚え書き

古い書評&今週の一曲

『第1感 「最初の2秒」の「なんとなく」が正しい』マルコム・グラッドウェル/沢田博、阿部尚美訳(光文社、2006年)



第1感  「最初の2秒」の「なんとなく」が正しい (翻訳)

 副題は「『最初の2秒』の『なんとなく』が正しい」。あれやこれやと悩んだ末に下した判断が間違えていた、という経験は誰にでもあるだろう。米国のジャーナリストであり、ヒット商品や購買者心理の研究などで知られる著者は、長時間考えてたどり着いた結論よりも、最初の直感やひらめきによって、人は物事の本質を見抜いていることが多いのではないかという疑問を抱いた。調査を進めると、それを裏づける数多くの事例や学術的根拠が存在することがわかったという。


 芸術作品を一目見ただけで「贋作だ」と判断する人々がいる。そのように理屈ではなく一気に結論に達する脳の働きを「適応性無意識」と呼び、身体が持つ五感の延長線上にある「第六感」とは区別して解説する。夫婦の何気ない15分の会話を記録したビデオから、15年後の関係をほぼ予測し得るという心理学者がいる。「勘」や「経験」など曖昧な論拠ではなく、夫婦の1秒ごとの表情やしぐさを徹底的に分析した結果を示すのだという。


 それとほぼ同様の作業を、我々の脳が瞬時に行っているとしたらどうか。日常生活やビジネスなどから様々な事例を示しつつ、「数秒の中にある一生を左右する判断の力」を理解し磨く方法を指南する。

視覚は現実世界そのものを理解するために働く

 視覚は、外界に眼を向け、頭のなかの画面にその映像を映し出すことにとどまるわけではない。私たちの脳は、外界を再現するだけではなく、それを理解しなければならない。実際、脳は、居間のテレビに映し出されている映像を理解するために懸命に働く必要があるのと同じように、現実世界そのものを理解するために働く必要がある。つまり、脳のなかにテレビ画面があると仮定しても、説明したことにはならない。(私たちの頭のなかの画面をいったいだれが見ているというのだろう?)しかし、もっと根本的な問題は、私たちが視覚的に体験していることだけがいま見えているものではない、ということである。視覚のもっとも重要な働きのなかには、意識にのぼらないものもあるからだ。


【『もうひとつの視覚 〈見えない視覚〉はどのように発見されたか』メルヴィン・グッデイル、デイヴィッド・ミルナー/鈴木光太郎、工藤信雄訳(新曜社、2008年)】


もうひとつの視覚―〈見えない視覚〉はどのように発見されたか

『部分と全体 私の生涯の偉大な出会いと対話』W・ハイゼンベルク/山崎和夫訳(みすず書房、1999年)



部分と全体―私の生涯の偉大な出会いと対話

 本書は量子力学建設期の巨人、W・ハイゼンベルクによる『Der Teil und das Ganze』(1969)の邦訳である。訳はハイゼンベルクのもとで彼と共同研究を行っていた山崎和夫により、序文を湯川秀樹が寄せている。この豪華な顔ぶれが並ぶ本のページをめくってみると、まず内容のおもしろさに引き込まれる。題名からは難解な哲学書を思わせるが、本書はハイゼンベルクの自伝なのである。


 圧巻は彼とボーア、アインシュタイン、ゾンマーフェルト、パウリ、ディラックプランク等巨人たちとの対話である。そこではアインシュタインが「サイコロを振る神」の考え方を受け入れられず執拗に食い下がり同僚にいさめられたり、温厚な人柄で知られるボーアがシュレーディンガーと対決しついにシュレーディンガーが熱で倒れるも、ボーアはベッドの横にイスを持ち込んで議論を続けようとしたりと、そこからは巨人たちの姿を生身の人間として感じることができる。キリスト教の聖書は物語と対話によって神の教えがあらわされているが、本書では物語と対話によって物理学の巨人たちの教えがあらわされている。その言葉には重みがあり本書を開くたびに新たな発見がある。

リルケが生まれた日


 今日はリルケが生まれた日(1875年)。ロダンの孤独な生活と芸術観に深い影響を受けた。ことにロダンの対象への肉迫と職人的な手仕事は、リルケに浅薄な叙情を捨てさせ、「事物詩」を始めとする、対象を言葉によって内側から形作ろうとする作風に向かわせた。


リルケ詩集 (新潮文庫) 若き詩人への手紙・若き女性への手紙 (新潮文庫) マルテの手記 (新潮文庫) ドゥイノの悲歌 (岩波文庫)

トーマス・カーライルが生まれた日


 今日はトーマス・カーライルが生まれた日(1795年)。「世界の歴史は英雄によって作られる」と主張したことで知られるが、彼の言う「英雄」とは歴史に影響を与えた神、預言者、詩人、僧侶、文人、帝王などを指す。明治以来、多数日本語訳されて来たが、今日新本での購入は困難である。


衣服哲学 (岩波文庫 青 668-1) 英雄崇拝論