古本屋の覚え書き

古い書評&今週の一曲

スーザン・ソンタグ、石浦章一、西岡研介、エルンスト・フリードリッヒ、J・クリシュナムルティ


 2冊挫折、3冊読了。


 挫折33『この時代に想う テロへの眼差しスーザン・ソンタグ/木幡和枝訳(NTT出版、2002年)/「サラエヴォゴドーを待ちながら」の途中で挫ける。100ページまで辿り着けず。大江健三郎との往復書簡も収められているが興味を掻き立てられる内容ではない。


 挫折34『遺伝子が明かす脳と心のからくり 東京大学超人気講義録石浦章一(羊土社、2004年)/十数ページで挫ける。大学の講義というよりは、まるでセミナーみたいな調子だ。教育的要素が殆ど感じられない。知に溺れているような印象を受けた。


 65冊目『マングローブ テロリストに乗っ取られたJR東日本の真実西岡研介講談社、2007年)/衝撃のノンフィクション。JRの労働組合革マル派が支配しているという。トップに君臨しているのは松崎明という革マル派の最高幹部。組合費を自由勝手に使い、ハワイや沖縄に別荘を所有している。職場でのいじめ、組織的に行われる盗聴、敵対するJR幹部は鉄パイプで滅多打ちにされ、死亡した人々もいる。なぜ野放しにされてきたのかが理解に苦しむ。


 66冊目『戦争に反対する戦争』エルンスト・フリードリッヒ編/坪井主税、ピーター・バン・デン・ダンジェン訳(龍溪書舎、1988年)/第一次世界大戦の写真集。不鮮明なのがせめてもの救いだ。遺体の数々が時を超えて沈黙を伝えている。生き残った「戦争の顔」は既に顔という形をとどめていない。鼻、下あご、歯茎、舌を失った顔、また顔面の真ん中が窪んでいる男もいる。生き残った者は呻(うめ)き声を上げている。死んでも地獄、生き残っても地獄という戦争の実相が噴出している。そして、この写真集をもってしても人類に戦争をやめさせることはできなかった。つまり、写真に写っているのは私でありあなたであるのだ。


 67冊目『最後の日記』J・クリシュナムルティ/高橋重敏訳(平河出版社、1992年)/口述した録音テープから起こされた日記である。『生と覚醒のコメンタリー』と同じ形式で、冒頭に美しい風景描写が配され、過去のやり取りが綴られている。口述とは思えない完成度の高さである。1983年〜84年にかけて録音されているので、逝去する2〜3年前の時期に当たる。他のテキストに比較すると淡白な印象を受けるが、その分余韻が深い。クリシュナムルティ関連は32冊目。

『廃市・飛ぶ男』福永武彦(新潮文庫、1971年)



廃市・飛ぶ男

 誇り高い姉と、快活な妹。いま、この二人の女性の前に横たわっているのは、一人の青年の棺。美しい姉妹に愛されていながら、彼はなぜ死なねばならなかったのか……? 夏雲砕ける水郷に茜の蜻蛉の舞い立つとき、ひとの心をよぎる孤独と悔恨の影を、清冽な抒情に写した秀作「廃市」。ほかに「飛ぶ男」「樹」「風花」「退屈な少年」「影の部分」「未来都市」「夜の寂しい顔」の7編を併録。

『ザ・コーポレーション(The Corporation)』日本語字幕

 ・『ザ・コーポレーション(The Corporation)』日本語字幕

MONOPOLY - 世界は誰のもの?(日本語字幕)


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飢えと文学

 人間を人間ならざる者としてまなざす他者の視線が、人間の存在の深奥においてその人間性を蝕むのなら、飢えて死んでいくアフリカの子どもたちに文学は無力である。すなわち彼らに文学は意味をもたないと見なすこと、人間らしく生きることが奪われているからこそ彼らの魂が何にも増して文学を希求しているのだということを否定することは、彼らの人間性それ自体を否定することにほかならず、極言すればその視線のなかで、アフリカの子どもたちはすでに人間として殺されているとは言えまいか――。


【『アラブ、祈りとしての文学』岡真理(みすず書房、2008年)】


アラブ、祈りとしての文学