クリシュナムルティの『学校への手紙』(UNIO、1997年)を検索したところ、「Noosphere BLOG」を見つけ、そこから大野純一のテキストへジャンプし、コラムのトップページから「クリシュナムルティの会」があることを知った。タイミングが合えば、足を運んでみようと思っている。
「神の銀行」、巨額の資金洗浄疑惑 伊当局が本格捜査へ
【ローマ】イタリア司法当局は、ローマ法王庁(バチカン)の財政を握る宗教事業協会(IOR、通称バチカン銀行)がイタリアの民間銀行を通じて巨額の資金洗浄を行っていた疑いがあるとみて、本格的に捜査に乗り出すことを決めた。ANSA通信などが伝えた。
「神の銀行」とも呼ばれるIORは、サンピエトロ広場近くにある伊最大手ユニクレジットの支店に口座を開設。少なくとも過去3年間で6千万ユーロ(約80億円)の不透明な資金の流れが確認されているという。
検察関係者によると、口座の名義人の特定とともに、誰が口座を実質的に管理していたかなどを中心に捜査するとともに、ユニクレジット側に資料の提出を求めている。今後、バチカンにも捜査協力を要請する方針という。ただ、IORの実態はベールに包まれているうえ、市国は独立国家だけに、全容解明は困難との見方が強い。
イタリアでは82年、アンブロシアーノ銀行(当時)による13億ドルの不正融資が発覚。IORが不正に関与していた疑いが浮上し、銀行倒産後には頭取が変死するなど、戦後最大の金融スキャンダルとなった。伊司法当局はIOR総裁の逮捕状を取ったが、バチカンは引き渡しを拒否。頭取に対する殺人罪などに問われたマフィア幹部らも無罪判決となった。
知覚の無限
・戦地で活字に飢える
・近藤道生と木村久夫
・知覚の無限
・酔生夢死
吸う一息の息、吐く一息の息、喰う一匙(ひとさじ)の飯、これら一つ一つの凡(すべ)てが今の私に取っては現世への触感である。昨日は一人、今日は二人と絞首台の露と消えて行く。やがて数日の中(うち)には私へのお呼びも掛って来るであろう。それまでは何の自覚もなくやって来たこれらの事が味わえば味わうほど、このようにも痛切なる味を持っているものかと驚くばかりである。口に含んだ一匙の飯が何ともいい得ない刺戟(しげき)を舌に与え、溶けるがごとく喉から胃へと降りてゆく感触を、目を閉じてジット味わう時、この現世の千万無量の複雑なる内容が凡てこの一つの感覚の中にこめられているように感ぜられる。(木村久夫、28歳)
【『きけ わだつみのこえ 日本戦没学生の手記』日本戦没学生記念会編(東大協同組合出版部、1949年/岩波文庫、1982年)】
なぜ我々は日常生活でこのように知覚できないのか? 何が感覚や感受性を鈍らせているのだろうか? 彼と我との違いは何か?
手段と目的
・世界中の教育は失敗した
・手段と目的
・理想を否定せよ
・創造的少数者=アウトサイダー
・公教育は災いである
・日本に宗教は必要ですか?
・目的は手段の中にある
間違った手段はけっして正しい目的をもたらすことはできません。目的は手段の中にあるからです。
【『クリシュナムルティの教育・人生論 心理的アウトサイダーとしての新しい人間の可能性』大野純一著編訳(コスモス・ライブラリー、2000年)】
我々が生きる世界は「暴力を正当化」している。あるいは、嘘、偽り、インチキを咀嚼(そしゃく)もせずに飲み込むことが「大人」とされる。「酸いも甘いも」とか、「清濁併せ呑む」とか、「泥をかぶる」とか言って、訳知り顔を奨励する。クリシュナムルティの痛烈な寸言(すんげん)は、「悪しき手段」の正当化を完膚なきまでに粉砕する。