古本屋の覚え書き

古い書評&今週の一曲

アーサー・ケストラー


 1冊挫折。


 挫折14『機械の中の幽霊アーサー・ケストラー日高敏隆長野敬訳(ぺりかん社、1969年)/序文で敢えなく挫ける。手元にあるのは、ちくま学芸文庫だが行間が狭いため読みづらい。その上、難解そうな内容。5年か10年経ったら、また読んでみよう。

兵とは詭道なり/『新訂 孫子』金谷治訳注

 ・兵とは詭道なり
 ・吾れ此れを以て勝負を知る
 ・兵は拙速なるを聞くも、未だ功久なるを睹ざるなり

『中国古典名言事典』諸橋轍次
『湖底の城 呉越春秋』宮城谷昌光
『孟嘗君』宮城谷昌光


 この一言こそ、孫子孫子たる所以(ゆえん)である――

 兵とは詭道(きどう)なり。故に、能(のう)なるもこれに不能を示し、用なるもこれに不用を示し、近くともこれに遠きを示し、遠くともこれに近きを示し、利にしてこれを誘い、乱にしてこれを取り、実にしてこれに備え、強にしてこれを避け、怒にしてこれを撓(みだ)し、卑にしてこれを驕(おご)らせ、佚(いつ)にしてこれを労し、親(しん)にしてこれを離す。其の無備を攻め、其の不意に出(い)ず。此れ兵家の勢(せい)、先きには伝うべからざるなり。


【戦争とは詭道――正常なやり方に反したしわざ――である。それゆえ、強くとも敵には弱く見せかけ、勇敢でも敵にはおくびょうに見せかけ、近づいていても敵には遠く見せかけ、遠方にあっても敵には近く見せかけ、〔敵が〕利を求めているときはそれを誘い出し、〔敵が〕混乱しているときはそれを奪い取り、〔敵が〕充実しているときはそれに防備し、〔敵が〕強いときはそれを避け、〔敵が〕怒りたけっているときはそれをかき乱し、〔敵が〕謙虚なときはそれを驕りたかぶらせ、〔敵が〕安楽であるときはそれを疲労させ、〔敵が〕親しみあっているときはそれを分裂させる。〔こうして〕敵の無備を攻め、敵の不意をつくのである。これが軍学者のいう勢(せい)であって、〔敵情に応じての処置であるから〕出陣前にはあらかじめ伝えることのできないものである】


【『新訂 孫子金谷治〈かなや・おさむ〉訳注(岩波文庫、2000年)】


 戦争とは、殺し合いであり奪い合いである。トリッキーな手を駆使し、騙(だま)しに騙し合うのが戦争の本質と言ってよい。「詭道なり」と言い切るところに、孫子の冷徹と達観が窺える。


 孫武は2500年前の人。ブッダよりも少しばかり前の時代である。かのナポレオンも、宣教師に翻訳させた『孫子』を常に手放さなかったという。孫子の兵法は戦争哲学の趣がある。そして、今尚通用する将軍学でもある。


リハビリ革命/『脳のなかの身体 認知運動療法の挑戦』宮本省三

 ・リハビリ革命
 ・片麻痺患者の体性感覚


 宮本省三の最新刊である。認知運動療法入門といってよい。リハビリ・介護関係者は必読。リハビリの歴史もよく理解できる内容となっている。


 認知運動療法はイタリアのカルロ・ペルフェッティが提唱した新しいリハビリテーションだ。宮本省三はリハビリの限界を指摘する。「いくら関節を動かしても、筋をストレッチしても、運動麻痺が回復するわけではない」と。これが現実であろう。現状のリハビリは筋肉や関節を「固まらないように」努力しているだけである。これに対して認知運動療法は“脳の地図”を書き換えることを目指している。


 ペルフェッティの指針を紹介しよう――

 認知運動療法に取り組む患者に向けて、ペルフェッティは「患者さんに守ってもらいたいささやかな規則」という指針を提言している。

 身体を動かすだけでは不十分です。感じるために動くことが必要です。運動というのは、自分自身あるいは外部世界を認知するためのものです。大きな力を要する運動、すばやく大きな移動を要するような運動の練習はあまり役に立ちません。
 脳は、あなたが世界を認知しようとして運動した時にもっとも活性化します。ですから、あなたは動きを「感じる」練習をしてください。感じるために注意が必要となればなるほど、脳のかかわり方が大きくなります。自分の運動や対象物との接触に、いつも最大限の注意を払ってください。目を閉じて身体を動かしてみるのもひとつの方法です。
 そして対象物との接触では、特に重量を認識する努力をしてください。あなたの身体やその部位にも重量があります。座っている状態で、あるいは立っている状態で、自分の腕、自分の脚、自分の体幹、自分の身体全体の重量を感じる練習をしてみてください。たとえば重量が身体の左側と右側に対称に配分されているかどうか感じてみてください。
 いろいろな運動をおこなったとき(ママ)に重量が身体内でどう変化するかも感じてみてください。誰か他の人にあなたの身体を動かしてもらうのもよいかもしれません。そうして、あなたは目を閉じて、自分の身体がどう動いたか、あるいは自分の身体に触れた対象物の特性を感じるために脳を使ってください。
 運動を始める前に、自分がおこなおうとしている運動について考えてみてください。自分の身体がどうなるかを考えてみてください。身体から、あるいは対象物からどういう情報を得ることになるのかを推測してみてください。そして運動をおこなった後で、事前に自分が予測したものと実際に感じたものが合致しているかどうかを考えてみてください。そして、自分の身体が動く感じを脳の中でイメージしてみてください。
 以上の規則を守ると、最初はゆっくりとしか動けなくなりますが、それは心配には及びません。規則を守れば、自分の運動を前より上手にコントロールすることができるはずです。そのうちにもっと早く動けるようになります。


【『脳のなかの身体 認知運動療法の挑戦』宮本省三〈みやもと・しょうぞう〉(講談社現代新書、2008年)】


 脳血管障害(脳卒中)によって麻痺症状が現れると、本人の身体イメージが崩壊する。具体的には目に映る状態と、身体の内部の感覚が異なっているそうだ。例えば、足の指はあるにもかかわらず、麻痺によって欠落しているように感じてしまう。認知運動療法は身体の内部に意識を向けさせる。そこから、中枢神経がアイドリング状態となるよう働きかけるのだ。


 これは革命的な理論といってよい。そもそも身体がどうして動くのかがわかっていないのだ。行為・行動は必ず事前に予測される。あるイメージ(想像)を持っている。このイメージの喚起力を呼び覚ます運動療法と言ってもいいだろう。


 医療や介護は制度的な欠陥をたくさん抱えている。見逃せないのは、その資格内容が極端に乖離(かいり)し、段階的なステップアップが困難なことだ。例えば、ヘルパー、社会福祉士、ケアマネージャーの上となると、学校に通う必要が出てくる。PT(理学療法士)、OT(作業療法士)、ST(言語聴覚士)の待遇も決してよくない。医療においても、医師と看護師の間の資格があってもよさそうなものだ。看護師が稼ぐには夜勤を当て込むしかないのが現状だ。


 いかに素晴らしい療法が生み出されたとしても、努力が報酬として報われなければ、若い人達が目指す業界とはなり得ない。まして、介護業界に至っては関係者の「介護に対する熱い思い」で支えられている側面が非常に強いのだ。だが、食えないとなれば、皆あっさりとやめざるを得ないだろう。


 介護業界は政治力がない。だから、いつまで経っても介護保険の内容がよくならないのだ。事務書類も多過ぎる。保険者は市町村となっているが、書類仕事がケアマネやサービス提供責任者の足をどれだけ引っ張っていることか。非効率な書類の義務づけも無視できない問題となっている。