古本屋の覚え書き

古い書評&今週の一曲

介護施設、経営難や人手不足

 安佐南区医療機関「協同診療所」が併設するショートステイ施設を訪ねた。今、月額150万円ずつ赤字が膨らむ。運営には国が定めた基準以上の職員数が欠かせず、人件費が経営を圧迫する。坂本裕専務理事は「国の基準が低すぎる。利用者の生活の質を守るには、どうしても現行の人数が必要だ」と矛盾を指摘する。
 施設運営費となる国からの介護報酬のサービス単価は、利用者3人を職員1人でケアする基準を基に算出されている。定員19人の場合なら職員は7人。しかし、実際にはパートを常勤職員に換算して11.6人を雇う。
 実態とは関係なく、基準通りでしか支払われない介護報酬では人件費は賄いきれない。利用者の食事の外注化や協同診療所の収益による穴埋めなど苦しい経営努力が続く。
 2000年に導入された介護保険制度。国は当初の想定を大幅に利用者が上回ったことなどから、社会保障費の抑制を目的に事業者に支払う介護報酬を、03年度は2.3%、06年度は2.4%と連続してマイナス改定をした。


中国新聞 2008-12-27

フィリップ・プルマン


 1冊挫折。


黄金の羅針盤フィリップ・プルマン/1ページ目の文章、「長いすは客のためにあらかじめひいてあった」で戸惑う。確かに「椅子を引く」という言葉はあるが、果たして小中学生が理解できるだろうか? 例えば、「長いすはいつでも客が座れるようにテーブルから少し離されていた」とか、「長いすは客が座りやすいようにセッティングされていた」とすべきだろう。そして7ページ目の「いまはここにじっとしてるっきゃないよ」という科白を目にして本を閉じた。この大久保寛という訳者は、世界で数々の文学賞に輝き、「今世紀最後のファンタジー」とまで言われた作品を、今風の言い回しを挿入することで台無しにしてくれた。「してるっきゃないよ」なんて言葉が20年後にも通用するのだろうか? 私はそは思わない。妙な流行を取り入れると、小説はあっと言う間に古臭くなってしまうことがある。星新一の作品が今尚読み継がれているのは、一切の流行を排除しているからであろう。出版社は翻訳者の選定をもっと真剣に行うべきだ。

アメリカ軍国主義が日本を豊かにした/『メディア・コントロール 正義なき民主主義と国際社会』ノーム・チョムスキー

『9.11 アメリカに報復する資格はない!』ノーム・チョムスキー

 ・近代政府による組織的な宣伝活動
 ・アメリ軍国主義が日本を豊かにした
 ・ウォルター・リップマンの策略
 ・観客民主主義
 ・民主主義の新しい革命的な技法=合意のでっちあげ
 ・「必要な幻想」による「過度の単純化」が政治学の主流


 風が吹けば桶屋が儲かるアメリカが戦争をすれば日本が豊かになる。諺(ことわざ)の方がはるかに奥が深い。まるで、三角関数と足し算くらいの違いがある。


 巻末に収められた辺見庸のインタビューより――

チョムスキー●日本はこれまでもアメリ軍国主義に全面的に協力してきました。戦後期の経済復興は、徹頭徹尾、アジア諸国に対する戦争に加担したことによっています。朝鮮戦争までは、日本の経済は回復しませんでした。朝鮮に対するアメリカの戦争で、日本は供給国になった。それが日本経済に大いに活を入れたのです。ヴェトナム戦争もまたしかり。アメリカ兵の遺体を収容する袋から武器まで、日本はありとあらゆるものを製造して提供してきた。そしてインドシナ半島の破壊行為に加担することで国を肥やしていったのです。
 そして沖縄は相変わらず、米軍の一大軍事基地のままです。50年間、アメリカのアジア地域における戦争に、全面的に関わってきたのです。日本の経済発展の多くは、まず、その上に積み上げられたのです。
 50年前に遡ってみましょう。サンフランシスコ講和条約が調印されました。50周年を祝ったばかりですね。


辺見●昨年(※2001年)9月ですね。サンフランシスコのオペラハウスで50周年記念式典が開かれ、日本からは田中真紀子外相(当時)が出席しました。これには、戦争責任を回避しているというアジアからの非難の声もありました。


チョムスキー●その条約にどこの国が参加して、どこがしなかったか、ご存じですか? アジアの国は軒並み出ませんでした。コリアは出なかった。中国も出なかった。インドも出なかった。フィリピンも出なかった。出席したのはフランスの植民地と、当時イギリスの植民地だったセイロンとパキスタンだけでした。植民地だけが出席した。なぜか? それは講和条約が、日本がアジアで犯した犯罪の責任をとるようにつくられていなかったからです。日本がすることになった賠償は、アジアに物品を送ること。日本にとっては万々歳です。資金は結局アメリカが賄ってくれるからです。


【『メディア・コントロール 正義なき民主主義と国際社会』ノーム・チョムスキー鈴木主税〈すずき・ちから〉訳(集英社新書、2003年)】


 戦後の日本が復興を遂げた最大の理由は朝鮮特需であった。そして、高度経済成長の原動力となったのはベトナム戦争であった。バブル経済においては湾岸戦争、で、いざなぎ景気イラク戦争ってな具合だ。こうして振り返って見ると、アメリカは有色人国家としか戦争をしないことが理解できる。


 戦争は短期間でありとあらゆるものを消費する。武器、弾薬、備品、医薬品、そして人の命まで。アメリカの軍事戦略は経済政策の一貫として練られている。つまり、金儲けのために人殺しをするという話になる。


 全くもって酷い話ではあるが、その酷い話に乗っかって我々はこの世の春を謳歌している。朝鮮戦争三種の神器に、ベトナム戦争がダッコちゃん人形とフラフープに、湾岸戦争がディスコの電飾に、イラク戦争液晶テレビとレクサスに化けたのかも知れない。


 あなたの財布にあるお金は、汚れてはいないか? 無辜(むこ)の民の飛散した血しぶきが付着していないか? 死の臭いを発してはいないか? 親を殺された少女の涙の痕(あと)はないか?


 もう先進国という立場を捨ててもいいのではないか? 政治・経済の本質ってさ、意外と簡単で、「人殺しと貧困のどちらを選びますか?」って話に落ち着くわけよ。まともな人間なら、当然貧困を選ぶわな。ところがどっこい、世界は人殺しを選択する政治家が牛耳っているわけだ。もはや、真の平等は貧困の中にしか存在しない。本気でそう思う。さて、貧乏になる準備でもしておくか。私は無一物を目指す。


生産性の追及が小さな犠牲を生む/『知的好奇心』波多野誼余夫稲垣佳世子
ノーム・チョムスキー
フェミニズムへのしなやかな眼差し/『フランス版 愛の公開状 妻に捧げる十九章』ジョルジュ・ヴォランスキー
自由競争は帝国主義の論理/『アメリカの日本改造計画 マスコミが書けない「日米論」』関岡英之+イーストプレス特別取材班編
瀬島龍三はソ連のスパイ/『インテリジェンスのない国家は亡びる 国家中央情報局を設置せよ!』佐々淳行


胸打たずにはおかない人生模様の数々/『日日平安』山本周五郎

『一人ならじ』山本周五郎

 ・胸打たずにはおかない人生模様の数々
 ・あやまちのない人生は味気ない
 ・つつましい落魄

『松風の門』山本周五郎


 本のタイトルは「にちにちへいあん」と読む。11篇が収められた短篇集。武家もの、人情もの、滑稽もの、推理ものなど、実にバラエティに富んだ内容。四十半ばを過ぎて、しみじみと心に感ずる世界がここにはある。人生の辛酸を舐めた分しか、周五郎の作品は味わえないのかも知れぬ。

城中の霜


 橋本左内の最期を描く。橋本左内に信頼を寄せた牢役人の嘘と、事実を知った左内の仲間が抱く疑惑が見事なコントラストを描いている。亡き左内を想う香苗の言葉が謎を解く。

水戸梅譜


 父子二代にわたる壮烈なまでの忠義。「仕(つか)える」ことは一切を投げ捨て、主君に全てを捧げる人生を意味した。私心を消し去った向こう側に、確固たる生涯の目標がそびえ立つ。


 木村久邇典(きむら・くにのり)の「解説」によると、「『少なくとも戦前の作品は、大部分は破棄してしまいたい』という作者が、『日本婦道記』とともに、これは例外的に残しておいてもよい、とする自信作」とのこと。

嘘アつかねえ


 擦れ違うような出会いを通して、人生の哀感を浮かび上がらせる。貧しくとも、必死で生きる庶民の逞しき姿。屋台の爺さんが見事なアクセントとなっている。

日日平安


 冒頭のやり取りに腹を抱えて笑う。切腹という差し迫った場面が尚のこと笑いを誘う。調子のよい浪人だが、どこか憎めないところがある。

しじみ河岸


 推理もの。貧しい下町の荒(すさ)んだ雰囲気を子供の科白で見事に表している。それでいて笑わせるのだから凄い。「あたしはもう、疲れました。しんそこ疲れきってました」というお絹の言葉が律之輔の胸に突き刺さる。

ほたる放生(ほうじょう)


 ミステリ色の濃い作品。情夫と手を切れない遊女。漂流する男女関係。遊女に言い寄る客。一つの伏線が明らかになるや否や、事態は急変する。

末っ子


 法廷ミステリーのような出だし。主人公に対する一族の評価が証言の如く並んでいる。これがまた一々面白いのだ。特に父親の評価には大笑い。立場によっても評価がまるで異なっている。そして、主人公・平五のあたふたする様子が実に小気味よく、姉の口出しの仕方も絶品。親兄弟と上手くゆかない末っ子が胸に秘めてきた思いが鮮やか。甘酸っぱい恋の話も絡めて、最後はめでたしめでたし。

屏風はたたまれた


 ファンタジーの部類である。それにしても周五郎の多彩な技に圧倒される。

橋の下


 実はこの作品を読むのが目的だった。あらすじはわかっていたのだが、それでも心を打たれる。偶然の出会い。乞食同然の暮らしをしている老人は、淡々と落魄(らくはく)の理由を語った。老人は恋に勝って人生に敗れた。老人は自分を責め、妻もまた己を責めた。「だって、友達だもの」――老人はその友達を裏切った。だが、深き悔恨が人生の何たるかを悟らせた。老人は若侍を救った。傑作である。

若き日の摂津守


 これまたミステリー。スパイものと言ってよし。劇的なラストシーンにカタルシスを覚える。

失蝶記


 陰謀もの。プラス手紙小説。謀略の犯人は「佐幕」という思想であった。


 以上、寸評となってしまったが、物語を堪能したい人は、迷うことなく本書を求めるべきである、と断言しておこう。


山本周五郎
人類の戦争本能/『とうに夜半を過ぎて』レイ・ブラッドベリ


怨霊の祟り/『霊はあるか 科学の視点から』安斎育郎

 科学の視点から霊の存在を検証している。まず冒頭で、霊視詐欺商法や心霊手術に騙された人々の被害状況が述べられている。霊の存在を信じる人達は、金がかかってしようがないね。まったくご苦労なこって。


 一番興味深かったのは『医事新報』に掲載されたという医師の体験談。往診を依頼された医師が、愛車のダッジで見通しのよい直線道路を走っていた。途中、急に霧が立ち込め、10メートル先しか見えない状態となった。速度を落として目的地へ向かった。翌日、医師のもとへ刑事が訪れた。ひき逃げ死亡事故があったという。車を確認したところ、何と車体は大きく凹んでおり、生々しい血痕が付着していた。


 医師が調べてみると、このダッジ、実は前の所有者も日光街道で同様のひき逃げ死亡事故を起こしていた。更に、最初の持ち主だったアメリカ人も米国内で死亡事故を起こしていた。


 ダッジは怨霊に祟(たた)られていた。霊は運転手から意識を奪い、記憶を消し去ったのだった。


 真相はこうだ――

 まことに気分のいい早朝。広い道路、見渡しのいい澄んだ空気。体はまだ「睡眠」のリズムから「覚醒」のリズムに完全に切り替わっていない。運転席はふかふかで、ゆったりとリラックスできる。真っすぐな道は、ハンドル操作もほとんどない状態だ。だんだん意識水準が低下し、感覚遮断現象に陥って、いわゆる「二度寝入り」を起こし易い状況だ。上まぶたと下まぶたが仲良くなって視界が狭まってくるのだが、それを本人は「霧が出た」と感じる。K先生の場合も、霧が出たと言っているのは本人だけで、田の草取りをしていたお百姓たちは、揃いも揃って霧なんて全くありませんでしたと証言している。
 こうした高速道路催眠現象は、高速道路の国とも言うべきアメリカで気付かれた現象だ。


【『霊はあるか 科学の視点から』安斎育郎〈あんざい・いくろう〉(講談社ブルーバックス、2002年)】


「高速道路催眠現象」というのは初耳だ。人間というのは、単調な情報にさらされると確かに眠くなる傾向がある。一定のスピード、変わらぬ風景、同じ姿勢といった要素が絡み合って、何らかのサブリミナル効果となることは十分考えられる。


 大体、霊がいるとすれば大変な事態となる。人類200万年の歴史において亡くなった人々の数を想像してみるがいい。もうね、「霊の満員電車」状態がそこここに現出するはずだ。また、昆虫の霊や植物の霊がいないのもおかしな話だ。


 霊がいるとすれば、それは霊を恐れる人の心に存在するのだ。