古本屋の覚え書き

古い書評&今週の一曲

非暴力の欺瞞/『気づきの探究 クリシュナムルティとともに考える』ススナガ・ウェーラペルマ

 ・あらゆる信念には精神を曇らせる効果がある
 ・非暴力の欺瞞
 ・真実在=リアリティ


 クリシュナムルティガンディーとも親交があった。しかし徹底してガンディーの非暴力を批判した。「非暴力を説く前に、暴力という現実を見つめるべきだ」というのがクリシュナムルティの主張であった。


 この思想をススナガ・ウェーラペルマが咀嚼(そしゃく)している――

 もし人が内面的に暴力から自由でなければ、外面的(すなわち政治的、社会的)な非暴力を説いて何になるだろう?
 正真正銘平和的な人は、けっして非暴力になるべく努力する必要はない。なぜなら彼はすでにあの祝福の状態に生きているからである。そのような人にとって非暴力の理想は、人生にはまったく無関係の、無意味な抽象である。非暴力の理想は、暴力的な精神によってでっちあげられたのだ。その理想はたんに偽りであるだけでなく、不純でもある。なぜならそれは、暴力という不純な土壌で芽生えたからである。憎悪に満ちた精神は、真に非暴力的な状態の最高の顕現である慈悲心を知ることはできない。暴力的な精神は、「想像された」非暴力の状態を憶測し、理論づけることができる。それゆえ、暴力的な精神によって発明された理想は、表向きはいかに気高く見えようと、必然的に架空のものである。そのうえ、怒った人が非暴力の理想に固執するとき、彼の怒りは本当に消えるのだろうか、あるいは衰えることなく持続するのだろうか? 起こることはむしろ、「理想」が彼の怒りという事実を隠蔽するのを助けてしまうということである。ある場合には、怒りは聖人のような装いのもとに隠蔽される。もし暴力が私の真の本性なら、そのときにはそれが「あるがままの状態」であり、だからそれに充分に直面するほうがはるかに賢明なのではないだろうか? 非暴力という「あるべき」状態の概念は、すでに説明したように事実無根である。なぜならそれは、精神によって投影されたものだからである。もし私が、この特定の理想だけではなく、理想という理想をすべて追求することのまったくの虚偽と不毛を見抜くことができさえすれば、そのときには突然、私は全注意を傾けて「あるがままの状態」を観察することができるようになる。精神が理想を脱ぎ捨て、気を散らさなくなるとき、それはついに内なる暴力を正直に知覚する。精神がもはや逃避せず、暴力の存在を認め、そしてその状態を完全に理解するとき、暴力はひとりでに消え去ってゆくのではないだろうか?


【『気づきの探究 クリシュナムルティとともに考える』ススナガ・ウェーラペルマ/大野純一訳(めるくまーる、1993年)】


 クリシュナムルティはある雑誌のインタビューで、ガンディーの非暴力運動が「実際には一種の暴力」であるとまで言い切っている。なぜなら、非暴力運動は暴力に依存しているからだ。ここに非暴力と暴力を取り巻く関係性の本質があるのだ。そしてそのまま「理想」と「現実」にも敷衍(ふえん)される。クリシュナムルティが「理想」をも否定する理由がここにある。


理想を否定せよ/『クリシュナムルティの教育・人生論 心理的アウトサイダーとしての新しい人間の可能性』大野純一
努力と理想の否定/『自由とは何か』J・クリシュナムルティ


 運動という運動がバラバラになった力を集めるものである以上、おのずと暴力性をはらんでいる。力というものは何らかの圧力を与えるものだ。「バランス・オブ・パワー」という言葉が暴力を正当化し、世界基準に格上げしたのである。


 ガンディーによって大英帝国から独立を果たしたインドは、1974年5月18日に核実験を行った。実験のコードネームは「微笑むブッダ」であった。これが、非暴力の成れの果てだ。


本当のスピードは見えない/『「勝負強い人間」になる52ヶ条 20年間勝ち続けた雀鬼がつかんだ、勝つための哲学』桜井章一

 桜井章一は感性の人だ。ただし並みの感性ではない。麻雀の世界で20年間という長きに渡って敗れたことのない感性なのだ。これだけの期間において桜井の感性は磨き続けられてきたはずだ。そして、「勝つことに飽きた」桜井は第一線を退いた。


 真理というものが存在するなら、どんな世界にだってそれはあるに違いない。真理と真実とは異なる。真理は「理」であるがゆえに普遍性がある。何らかの勝負を迫られる世界であれば尚更だ。


 雀鬼・桜井は麻雀のプレイにおいてスピードを追求する。「躊躇(ちゅうちょ)するな、逡巡するな、考えるな、感じろ」と門下生に説く。「考えると迷いが生じる」というのだ。

 本当の「ゆっくり」というのは、スピードを出してスピードが消えた状態のことだ。ただノロノロしているのとは違う。
 スピードを出して、そのスピードが見えているうちはまだダメだ。本当のスピードとは、見えないものなのだ。たとえば、光は1秒間に地球を7周り半するというが、光のスピードは見えない。光というのは、まるで止まっているか、ゆっくりしているように見える。
 これが本当のスピードだ。


【『「勝負強い人間」になる52ヶ条 20年間勝ち続けた雀鬼がつかんだ、勝つための哲学』桜井章一〈さくらい・しょういち〉(三笠書房、2004年『20年間無敗の雀鬼が明かす「勝負哲学」』改題/知的生きかた文庫、2006年)】


 川上哲治はその絶頂期に「ボールが止まって見えた」と語った。「止まっていたら、ベースにまで来ねーだろーよ」なんて屁理屈を言ってはいけない。神は細部に宿り、永遠は瞬間に凝縮されているのだ。


 確かに空を飛んでいる飛行機はスピードを感じさせない。もっとわかりやすいのはコマだ。フル回転をしているにも関わらず整然と直立しているようにしか見えない。


 アインシュタイン相対性理論によれば、光のスピードで走る乗り物に乗っている人は止まって見えるという。その上、彼の周囲にある物は小さくなっている。スピードは時空を変質させる。ただし、これは例えであって実際は見えないことだろう。だって、光の速度で動いている以上、観測者が色や形を判別することは不可能だろう。視覚情報はその全てが「光の反射」なのだ。

 光は年をとらない。「新しい光」はあっても、「古い光」は存在しないのだ。我々が光を心地よく感じる理由もこのあたりにあるのかもしれない。


 天台智ギは観念観法(瞑想)を「止観」(しかん)と説いた。心を静め、精神の深層を探り、意識が漂う様を「止」と表現したように思う。「一」に「止(とど)まる」と書いて「正」と言うが如し。


 長生きすることが永遠に近づくわけではない。たとえ短くとも、光のスピードで生きたかどうかが問われるのだ。真の永遠は万、億、兆……の彼方にあるものではなく、1と0の間に存在するのだろう。



2009年11月のアクセスランキング


 あまり代わり栄えしないので20位まで紹介する。


順位 記事タイトル
1位 日本は「最悪の借金を持つ国」であり、「世界で一番の大金持ちの国」/『国債を刷れ! 「国の借金は税金で返せ」のウソ』廣宮孝信
2位 アインシュタインを超える天才ラマヌジャン/『無限の天才 夭逝の数学者・ラマヌジャン』ロバート・カニーゲル
3位 ジニ係数から見えてくる日本社会の格差/『貧乏人のデイトレ 金持ちのインベストメント ノーベル賞学者とスイス人富豪に学ぶ智恵』北村慶
4位 エレクトーン奏者maruさん情報
5位 山崎豊子の盗作疑惑
6位 その男、本村洋/『裁判官が見た光市母子殺害事件 天網恢恢 疎にして逃さず』井上薫
7位 少年兵は流れ作業のように手足を切り落とした/『ダイヤモンドより平和がほしい 子ども兵士・ムリアの告白』後藤健二
8位 ルワンダ大虐殺 世界で一番悲しい光景を見た青年の手記レヴェリアン・ルラングァ
9位 そして謎は残った 伝説の登山家マロリー発見記』ウィリアム・ノースダーフ
10位 経頭蓋磁気刺激法(TMS)/『脳から見たリハビリ治療 脳卒中の麻痺を治す新しいリハビリの考え方』久保田競、宮井一郎編著
11位 巧みな介護の技/『古武術介護入門 古の身体技法をヒントに新しい身体介助法を提案する』岡田慎一郎
12位 キティ・ジェノヴェーゼ事件〜傍観者効果/『服従実験とは何だったのか スタンレー・ミルグラムの生涯と遺産』トーマス・ブラス
13位 獄中の極意/『アメリカ重犯罪刑務所 麻薬王になった日本人の獄中記』丸山隆三
14位 昭和の脱獄王・白鳥由栄/『破獄』吉村昭
15位 自覚のない障害者差別/『怒りの川田さん 全盲だから見えた日本のリアル』川田隆一
16位 クリシュナムルティとの出会いは衝撃というよりも事故そのもの/『私は何も信じない クリシュナムルティ対談集』J.クリシュナムルティ
17位 童神(わらびがみ)古謝美佐子
18位 輪廻転生からの解脱/『100万回生きたねこ佐野洋子
19位 寿命は違っても心臓の鼓動数は同じ/『ゾウの時間ネズミの時間 サイズの生物学』本川達雄
20位 精神障害者による犯罪の実態/『偽善系II 正義の味方に御用心!』日垣隆