古本屋の覚え書き

古い書評&今週の一曲

ソマティック・マーカー仮説/『デカルトの誤り 情動、理性、人間の脳』(『生存する脳 心と脳と身体の神秘』改題)アントニオ・R・ダマシオ

 ・ソマティック・マーカー仮説

『進化の意外な順序』アントニオ・ダマシオ
『隠れた脳 好み、道徳、市場、集団を操る無意識の科学』シャンカール・ヴェダンタム
『意識は傍観者である 脳の知られざる営み』デイヴィッド・イーグルマン
『予想どおりに不合理 行動経済学が明かす「あなたがそれを選ぶわけ」』ダン・アリエリー
『本当にあった嘘のような話 「偶然の一致」のミステリーを探る』マーティン・プリマー、ブライアン・キング
『たまたま 日常に潜む「偶然」を科学する』レナード・ムロディナウ
『感性の限界 不合理性・不自由性・不条理性』高橋昌一郎
『しらずしらず あなたの9割を支配する「無意識」を科学する』レナード・ムロディナウ


 デカルトの「我思う、ゆえに我あり」に対し、脳科学の立場から異議を申し立てている。テンプル・グランディン著『動物感覚 アニマル・マインドを読み解く』で紹介されていた一冊。


 多分翻訳がよくない。専門性が高いことと読みにくいこととは別問題である。序盤は軽快に進むのだが、途中からトーンダウンする。この手の本は一気に読まなければ挫けてしまう。


 デカルト以降、理性と感情の問題は理性が勝利を収めてきた。400年間にわたる話だ。まだ中世の頃だから、神の存在を理解できることが理性を意味していたのだろう。そんなヨーロッパ人からすれば、異国に住む人々(=有色人種ね)は野蛮人でしかなかった。

 時々刻々と更新されていく身体の構造と状態を直接見晴らせる窓からわれわれが目にするもの、それが私の考えている感情の本質である。この窓から見る風景をイメージするなら、身体の「構造」は空間内の物体の形状に、そして身体の「状態」はその空間における物体の光と影、動きと音に似ている。この風景において、物体は内蔵(心臓、肺、腸、筋肉)であり、光と影、動きと音は、ある瞬間における、それらの期間の作用範囲内の一点を表象している。
 おおむね感情とは、そういう身体風景の一部の瞬間的な「眺望」である。そこには身体状態という具体的な内容がある。そしてそれは、特定の神経システム──身体の構造と調節とに関係している信号を統合している末梢神経と脳領域──によって支えられている。


【『デカルトの誤り 情動、理性、人間の脳』アントニオ・R・ダマシオ/田中三彦訳(ちくま学芸文庫、2010年/『生存する脳 心と脳と身体の神秘』改題、講談社、2000年)以下同】


 ウーム、わかったようなわからないような文章だ。要するに皮膚感覚と感情とが密接な関係にあると言いたいのだろう。ダマシオは皮膚を「最大の内蔵」とまで表現している。


 これは理解できる。例えば何かショックを受けた時、私の目には何も映らない。目の焦点は興味のある物しか捉えないからだ。夜道を一人で歩く女性が何かの気配を感じて後ろを振り向くのも、皮膚感覚の為せる業(わざ)である。


 そう考えると五感は身体の膜という薄い部分で形成されていることが実感される。粘膜なんかは世界に向かって溶けているようにすら思える。


 感覚器官から受容された情報を統合する場所が脳であるわけだが、何と脳には中枢がないという。

 今日確信をもって言えることは、視覚に対しても言語に対しても、また、理性や社会的行動に対しても、単一の「中枢」はないということ。あるのは、いくつかの相互に関連したユニットで構成される「システム」である。機能的にではなく解剖学的にいえば、そういった各ユニットこそ、骨相学に影響を受けた理論でいう古めかしい「中枢」である。またこれらのシステムは、精神的機能の基盤を構成する比較的独立性の高い作用に向けられている。個々のユニットは、それらがシステムの中のどこに置かれているかでそのシステムの作用に異なった貢献をするので、相互交換がきかない。これはひじょうに重要なことである。システムの作用に対する特定のユニットの貢献内容は、そのユニットの構造だけでなく、システムにおける「位置」にも依存している。


 つまり「私」は脳の真ん中にいるわけではないってことだな。脳は連合軍であった。やはり民主主義は正しいのだろう。


 このあたりが重要な伏線となっている。情動を司っているのは大脳辺縁系である。意欲や記憶、自律神経も関連している。


 ダマシオは脳にダメージを受けた患者がどのような機能を失ったかに注目する。単行本の表紙になっているのはフィネアス・ゲージの頭蓋骨である。ゲージは爆発事故で直径3cm長さ1mの鉄棒が、左頬から頭頂部に向けて貫通した。



 フィネアス・ゲージによって初めて前頭葉の働きが判明した。脳科学が難しいのは実験ができないためだ。それゆえ損傷から機能を知るしかない。ゲージの命は助かった。だが失ったものはあまりにも大きかった。社会的行動ができなくなり、意志決定もままならなかった。ゲージは別人になってしまった。

 要するに、人間の脳にはわれわれが「推論」と呼んでいる目的志向の思考プロセスと、「意思決定」と呼んでいる反応選択の双方に向けられた、それもとくに個人的、社会的領域が強調されたシステムの集まりがある。この同じシステムの集まりが情動や感情にも関わっており、また部分的には身体信号の処理にも向けられている。


 病徴不覚症という病気を自覚できない症状があるそうだ。つまり脳の感情機能が冒されている可能性がある。彼らはいかなる麻痺が身体にあろうとも「気分がいい」と答える。


 ここから心の統合問題に切り込み、身体の相互作用に触れて、「背景的感情」(background feelings)という概念を提唱する。で、いよいよソマティック・マーカー仮説が説かれる。

〈ソマティック・マーカー〉は何をするのか。ソマティック・マーカーは、特定の行動がもたらすかもしれないネガティブな結果にわれわれの注意を向けさせ、いわばつぎのように言い、自動化された危険信号として機能する。
「この先にある危険に注意せよ。もしこのオプションを選択すればこういう結果になる」
 この信号は、われわれがネガティブな行動を即刻はねつけ、ほかの選択肢から選択するように仕向ける。この自動化された信号により、われわれは将来のごたごたを回避することができるだけでなく、少数の選択肢から選択することができるようになる。


 確かに整合性はある。唯識論の阿頼耶識(あらやしき)に近いような気もする。直観的な閃きは思考よりも感情に由来しているようにも思える。


 だが人間は合理的な存在ではない。判断を誤ることも多い。健康できちんと脳が機能しているからといって、正しい人生を歩めるものでもない。


 私はかなり情動的な人間だが、昔から心掛けていることは「違和感を言葉にする」作業である。人や場所、あるいは言葉や態度から違和感を覚えることが多い。その理由を突き詰めると隠れた事実が浮かび上がってくる。


 ただし現代社会における感情は、役割的な要素が強く、演技的な側面を否定することができない。


・『共感覚者の驚くべき日常 形を味わう人、色を聴く人』リチャード・E・シトーウィック
脳は宇宙であり、宇宙は脳である/『意識は傍観者である 脳の知られざる営み』デイヴィッド・イーグルマン
デカルト劇場と認知科学/『神はなぜいるのか?』パスカル・ボイヤー
人間は世界を幻のように見る/『歴史的意識について』竹山道雄
自律型兵器の特徴は知能ではなく自由であること/『無人の兵団 AI、ロボット、自律型兵器と未来の戦争』ポール・シャーレ


この国では「不法占拠」という言葉を使えないのか?


 3月4日に行われた参議院予算委員会山本一太自民党参議院議員の質問。1時間39分50秒から。

参院予算委:自民・山本氏、「竹島」答弁求め審議が10回中断


 4日の参院予算委員会で、自民党山本一太氏が、韓国が占拠中の島根県竹島について前原誠司外相らに「不法占拠」かどうかを執拗(しつよう)に聞き、約20分間で審議が10回以上中断した。
「イエスかノーで(答えて)」とただす山本氏に対し、前原氏と枝野幸男官房長官が「法的根拠のない形で支配されている」と答弁。同じ答弁が計15回繰り返され、山本氏は「自民党政権は不法占拠と言っていた」と非難した。
 政府は日韓関係への配慮から、首相や閣僚級の発言では「不法占拠」を明言していない。国会の会議録検索ウェブサイトによると、小泉政権以降の首相、外相で竹島を「不法占拠」と明言したのは07年6月の麻生太郎外相(当時)だけだった。


毎日jp 2011-03-05




『あきらめたから、生きられた 太平洋37日間漂流船長はなぜ生還できたのか』武智三繁(小学館、2001年)



あきらめたから、生きられた―太平洋37日間漂流船長はなぜ生還できたのか (BE‐PAL Books)

 2001年夏、繁栄丸船長・武智三繁はたった1人太平洋で遭難、37日間漂流し、救助された。武智は50歳、独身の出稼ぎ兼業の漁師である。彼はいかに肉体・精神の衰弱と孤独に耐え、生還したのか。本書は感動のドキュメンタリーにして、人間存在の限界状況から発した「清澄なる詩(うた)」の記録。「1人で強くしなやかに生き、死ぬ」ための、慰めと励ましに満ちた、現代人必読の書である。
 エンジンが故障し船は漂流、程なく携帯電話に「圏外」の表示が出る。それは同時に、彼が人間世界の「外」に出で、自己の「内的世界」へと出発したことをも意味していた。
 水、次いで食料が底を尽いても武智は焦らず腐らず、「できることは、とりあえずやる」という鉄則を貫く。体力も衰えるなかで、キーホルダーで作ったルアーで魚を釣り、海水をやかんで蒸留して水滴をなめ、果ては小便まで飲む。これ以上ないほど深刻な状況なのだが、彼の言葉には突き抜けた明るさがある。
「……小便をちょっと。舐めているだけなのに。まだ死なない。人間って、案外死なないもんだ。いやまったく。今日も元気だ、小便が旨い。いや、旨くないか。元気でもない。ちっとも、元気なんかじゃない。でも生きてる。生きてる。俺はまだ生きているんだぞ」。たとえるならば「無人島マンガ」のようなユーモア。それは孤独と欠乏とを基調にしながらも、人間存在への素朴で深い思索を喚起する。
「……あきらめが早いって? だけど俺はあきらめたから生きられたんだ」。諦めることは明らめることでもある。ネガティブも極まると、ポジティブに反転する。
 諦念と諧謔(かいぎゃく)、そして常ならぬ平常心。静かな勇気・矜持(きょうじ)を持って生きることの、また大らかな諦観の持つ「壮大な力」を見せつけられる。

悲惨な世界


 この悲惨な世界が運命であるならば私は神を憎もう。宿命であるならば私は過去世を恨もう。しかし私が世界の一部を構成しているならば、私自身に革命を起こすしかない。

魅力的でない選択肢を加えると本来なら選ばれない選択肢に誘導することができる

ソラノートは悪くないという人の意見

 @kotono8こと松永英明氏にはガックリ。「絵文録ことのは」を以前よく読んでいただけに。私は以下の記事に賛同する。

 この連中は、節度を欠いた軽薄さをも宣伝の武器にしているようなところが窺える。


 尚、既にまとめページもできていた。

ガブリエル・ガルシア=マルケスが生まれた日


 今日はガブリエル・ガルシア=マルケスが生まれた日(1928年)。コロンビアの作家・小説家。架空の都市マコンドを舞台にした作品を中心に魔術的リアリズムの旗手として数々の作家に多大な影響を与える。1982年にノーベル文学賞受賞。97年、メキシコに移住。


百年の孤独 (Obra de Garc〓a M〓rquez (1967)) 予告された殺人の記録 (新潮文庫) エレンディラ (ちくま文庫) コレラの時代の愛 (Obra de Garc〓a M〓rquez (1985))

ミケランジェロが生まれた日


 今日はミケランジェロが生まれた日(1475年)。イタリアルネサンス期の彫刻家、画家、建築家、詩人。西洋で最も巨大な絵画の一つとも言われるバチカンシスティーナ礼拝堂の天井フレスコ画や『最後の審判』、パオリーナ礼拝堂にある『聖ペテロの磔刑』、『パウロの改宗』でよく知られている。


システィーナのミケランジェロ (ショトル・ミュージアム) ミケランジェロの暗号―システィーナ礼拝堂に隠された禁断のメッセージ システィーナ礼拝堂―甦るミケランジェロ ミケランジェロ全作品集