古本屋の覚え書き

古い書評&今週の一曲

『あきらめたから、生きられた 太平洋37日間漂流船長はなぜ生還できたのか』武智三繁(小学館、2001年)



あきらめたから、生きられた―太平洋37日間漂流船長はなぜ生還できたのか (BE‐PAL Books)

 2001年夏、繁栄丸船長・武智三繁はたった1人太平洋で遭難、37日間漂流し、救助された。武智は50歳、独身の出稼ぎ兼業の漁師である。彼はいかに肉体・精神の衰弱と孤独に耐え、生還したのか。本書は感動のドキュメンタリーにして、人間存在の限界状況から発した「清澄なる詩(うた)」の記録。「1人で強くしなやかに生き、死ぬ」ための、慰めと励ましに満ちた、現代人必読の書である。
 エンジンが故障し船は漂流、程なく携帯電話に「圏外」の表示が出る。それは同時に、彼が人間世界の「外」に出で、自己の「内的世界」へと出発したことをも意味していた。
 水、次いで食料が底を尽いても武智は焦らず腐らず、「できることは、とりあえずやる」という鉄則を貫く。体力も衰えるなかで、キーホルダーで作ったルアーで魚を釣り、海水をやかんで蒸留して水滴をなめ、果ては小便まで飲む。これ以上ないほど深刻な状況なのだが、彼の言葉には突き抜けた明るさがある。
「……小便をちょっと。舐めているだけなのに。まだ死なない。人間って、案外死なないもんだ。いやまったく。今日も元気だ、小便が旨い。いや、旨くないか。元気でもない。ちっとも、元気なんかじゃない。でも生きてる。生きてる。俺はまだ生きているんだぞ」。たとえるならば「無人島マンガ」のようなユーモア。それは孤独と欠乏とを基調にしながらも、人間存在への素朴で深い思索を喚起する。
「……あきらめが早いって? だけど俺はあきらめたから生きられたんだ」。諦めることは明らめることでもある。ネガティブも極まると、ポジティブに反転する。
 諦念と諧謔(かいぎゃく)、そして常ならぬ平常心。静かな勇気・矜持(きょうじ)を持って生きることの、また大らかな諦観の持つ「壮大な力」を見せつけられる。