1冊読了。
『ブッダは歩むブッダは語る ほんとうの釈尊の姿そして宗教のあり方を問う』友岡雅弥/驚愕の一書。友岡雅弥恐るべし。生き生きと実在したであろう釈尊の姿が立ち現われてくる。私は釈尊を「恐れなき人」「人の心をつかむ天才」と思っていたのだが、見事なまでにその姿が綴られている。各章の冒頭には宝石のような言葉が散りばめられ、哲学・人権問題などを広くカバーしている。ブッダとは「目覚めた人」の意であるが、文字通り蒙を啓(ひら)かれる思いがする。今年読んだ仏教書では断トツ。
・世界史は中国世界と地中海世界から誕生した
・歴史とは何か
・歴史文化に不可欠なものは暦と文字
・インドに歴史文化がない理由
・『歴史とは何か』E・H・カー
・『歴史とはなにか』岡田英弘
・『世界システム論講義 ヨーロッパと近代世界』川北稔
これまた、8月に読み終えていた。血沸き肉踊る学術書。学問は昂奮だ。「歴史を編む」という営みが人為的であることがよく理解できる。歴史とはパラダイムそのものだ。山村修の『〈狐〉が選んだ入門書』は名文ではあるものの、「選び抜かれた」とは言い難いラインナップだった。しかし、本書に関しては山村修の言う通りだった。
必要なのは、筋道の通った世界史を新たに創り出すことである。
そのためにはまず、歴史が最初から普遍的な性質のものではなく、東洋史を産み出した中国世界と、西洋史を産み出した地中海世界において、それぞれの地域に特有な文化であることを、はっきり認識しなければならない。この認識さえ受け入れれば、中央ユーラシアの草原から東と西へ押し出して来る力が、中国世界と地中海世界をともに創り出し、変形した結果、現在の世界が我々の見るような形を取るに至ったのであると考えて、この考えの筋道に沿って、単一の世界史を記述することも可能になる。
歴史が捏造されている事実は、ノーマン・G・フィンケルスタイン著『ホロコースト産業 同胞の苦しみを「売り物」にするユダヤ人エリートたち』を読むまでもなく理解できよう。歴史は、いつの時代も勝者によって書き換えられてきた。つまり、第二次世界大戦以降の書き手はアメリカってわけだな。
それにしても、この本は凄い。世界という概念と歴史という時間間隔が人類の中でどのように形成されてきたかを見事に俯瞰している。高校の教科書として採用するべきだ、と本気で思う。「世界史はチンギス・ハーンから始まった」というのが岡田英弘の鋭い持論だ。
・満洲という「国」はあった!:宮脇淳子
・歴史の本質と国民国家/『歴史とはなにか』岡田英弘
・読書の昂奮極まれり/『歴史とは何か』E・H・カー
・物語の本質〜青木勇気『「物語」とは何であるか』への応答
・「異民族は皆殺しにせよ」と神は命じた/『日本人のための宗教原論 あなたを宗教はどう助けてくれるのか』小室直樹
・古代イスラエル人の宗教が論理学を育てた/『数学嫌いな人のための数学 数学原論』小室直樹
・18世紀のフランスは悪臭にまみれていた
・反社会性人格障害の見事な描写
・めくるめく匂いの世界
・グルヌイユの特異な能力
・彼の鋭敏な鼻は太い匂いの束を、いちいち糸にときほぐした
8月に読み終えたのだが、書くのを忘れていた。物語の織り成すアラベスクとしては、ほぼ完璧。『モンテ・クリスト伯』『スカラムーシュ』に匹敵するといってよし。池内紀の翻訳が絶品。めくるめく文章を堪能するがいい。
不遇な少年時代を過ごした主人公グルヌイユは、人間離れした嗅覚の持ち主だった。今風に言えば、「共感覚者」となろう。悪臭紛々たる18世紀のフランスで、グルヌイユは香水の調合師となり、世の中を席巻してゆく。彼は明らかな人格障害者でもあった。鼻という武器一つで、権力を手中に収めてゆく人生模様。人々を魅了し、罠を仕掛け、操る悪意。
18世紀のフランスはこうだった――
これから物語る時代には、町はどこも、現代の私たちにはおよそ想像もつかないほどの悪臭にみちていた。通りはゴミだらけ、中庭には小便の臭いがした。階段部屋は木が腐りかけ、鼠の糞がうずたかくつもっていた。台所では腐った野菜と羊の油の臭いがした。風通しの悪い部屋は埃っぽく、カビくさかった。寝室のシーツは汗にまみれ、ベッドはしめっていた。室内便器から鼻を刺す甘ずっぱい臭いが立ちのぼっていた。暖炉は硫黄の臭いがした。皮なめし場から強烈な灰汁(あく)の臭いが漂ってきた。屠殺場一帯には血の臭いがたちこめていた。人々は汗と不潔な衣服に包まれ、口をあけると口臭がにおい立ち、ゲップとともに玉ねぎの臭いがこみあげてきた。若さを失った身体は、古チーズと饐(す)えたミルクと腐爛した腫れ物の臭いがした。川はくさかった。広場はくさかった。教会はくさかった。宮殿もまた橋の下と同様に悪臭を放っていた。百姓とひとしく神父もくさい。親方の妻も徒弟に劣らずにおっていた。貴族は誰といわずくさかった。王もまたくさかった。悪臭の点では王と盗人と、さして区別はつかなかった。王妃もまた垢まみれの老女に劣らずくさかった。冬も夏も臭気はさして変わらなかった。18世紀においては、バクテリアの発酵に限りがなかった。建てるのであれ壊すのであれ、のびざかりであれ、人生の下り坂であれ、人間のかかわるところ臭いなしにすむことなど一つとしてないのだった。
【『香水 ある人殺しの物語』パトリック・ジュースキント:池内紀〈いけうち・おさむ〉訳(文藝春秋、1988年/文春文庫、2003年)】
これほど鼻がムズムズする文章を読んだことがない。人は悪臭に慣れる。誰かが使用した後のトイレに入った時のように。鼻は麻痺しやすい本能だった。
以前、テレビでやっていたのだが、異性の好ましい体臭というのは最も違うタイプのDNAを選別しているとのこと。二人の間に生まれる子供は、両親の平均値となるため、異質なタイプと掛け合わせることで強い子孫をつくろうとしているのだ。実験で使用されたのは男性が長時間にわたって着用していた下着の匂い。これを、「新しく発売する香水の試供品」と偽って女性に嗅いでもらう。すると、殆どの女性が「ウッ、臭い」と言うにもかかわらず、必ず何人かは「いい匂い」と感じる。若いお嬢さんが父親の体臭を嫌悪するのは、自分とDNAが近いせいで、長ずるにつれ嫌悪感は薄まるそうだ。
何とはなしに、私はそういうことを直観していた。そう、匂いに敏感なのだよ。鼻が利くのさ。だから、本書で「匂いの奴隷」と化す人々の気持ちはよくわかる。もしも、私がその場にいれば多分先頭に立っていたことだろう。
まだまだ、人生の奥深さを知らない若者に断言しておこう。異性を選ぶ基準は家柄・学歴・経済力、はたまた顔形や性格ではなく、匂いである。