古本屋の覚え書き

古い書評&今週の一曲

懲役10年の満期前日に男はなぜ脱獄したのか?/『生か、死か』マイケル・ロボサム


『ボーン・コレクター』ジェフリー・ディーヴァー
『初秋』ロバート・B・パーカー
『狂気のモザイク』ロバート・ラドラム
『鷲は舞い降りた』ジャック・ヒギンズ
『女王陛下のユリシーズ号』アリステア・マクリーン

 ・懲役10年の満期前日に男はなぜ脱獄したのか?

『ぼくと1ルピーの神様』ヴィカス・スワラップ

必読書リスト その一

「なぜあなたちは親しかったの?」
 興味深い問いであり、モスがいままで本気で考えたことがない問題だ。人はなぜだれかと親しくなるのか。共通の趣味。似た経歴。相性。自分でオーディの場合、どれもあてはまらない。服役中ということ以外に共通点はなかった。特別捜査官は返事を待っている。
「あいつは落ちなかった」
「どういうこと?」
「こういう場所で腐っていくやつもいる。歳を食って根性が曲がり、悪いのは世の中で、こうなったのは子供のころさんざんな目に遭ったからとか、環境に恵まれなかったからとか、そんなふうに自分を納得させる。神を罵(ののし)ったり追い求めたりして時間を過ごすやつもいる。絵を描いたり詩を作ったり古典文学を研究したりってやつもいる。ほかには、バーベルを持ちあげたり、ハンドボールをしたり、自分が人生を投げ出す前に愛してくれた女に手紙を書いたり。オーディはそんなことをひとつもしなかった」
「じゃあ何をしたの?」
「耐えつづけた」

【『生か、死か』マイケル・ロボサム:越前敏弥〈えちぜん・としや〉訳(ハヤカワ・ポケット・ミステリ、2016年/ハヤカワ文庫、2018年)以下同】


 よもや、これほどのミステリと遭遇するとは予想だにしなかった。やはり長生きはするものだ。10年間服役した男が出所予定日の前日に脱獄をする。その理由は最後まで判らない。

 主人公のオーディ・パーマーは現金輸送車強奪事件の共犯者とされた。700万ドルの行方は杳(よう)として知れなかった。服役囚はパーマーに群がり、脅し、痛めつけた。その上、刺客まで送り込まれた。

 モス・ジェレマイア・ウェブスターは黒人の中年でたった一人の友人だった。モスの話は続く。

「聖書を盾に2000年も屁理屈をこねてると、爆弾を落として人を殺しまくって、それを正しいと言い張るようになる。隣人を愛し、打たれたら別の頬を向けろと書いてあるのに」


 願わくは「2発の原爆」としてもらいたかったところだ。

「ここにいるたいがいの連中は自分が強いと思いこんでるが、そうじゃないことも毎日思い知らされてる。オーディは10年間耐え抜いた。週に一度は看守が房へ来て、赤毛の継子(ままこ)いじめみたいに殴ってあんたと同じようなことをあれこれ尋ねた。そのうえ、昼間はメキシコのマフィアだの、テキサスのシンジケートだの、アーリアン・ブラザーフッドだの、その他もろもろのちんけな与太者(よたもの)までが喧嘩を売ってきた。
 欲や権力と関係のない、特殊な思いをかかえたやつらもここにはいる。たぶん、オーディにはそういう連中がぶち壊したくなるものが具わっているんだろう――悠然(ゆうぜん)たる態度とか、心の平安とか。そういう屑(くず)どもは人を傷つけるだけでなく、むさぼりつくさないと気がすまない。相手の胸を切り開いて心臓を食らい、顔から血がしたたって歯が赤く染まるまでな。
 事情はどうあれ、オーディは入所初日から殺しの請け負いの対象で、1か月前にはそれがいっそう過激になった。刺され、首を絞められ、殴られ、ガラスで切りつけられ、火傷(やけど)を負わされた。それなのに、あいつは憎しみも後悔も弱気も見せなかった」


 オーディは刑務所にあって超然としていた。映画『ショーシャンクの空に』が監獄モノに与えた影響は大きい。周囲の環境に染まらず、流されることのない生き方がどこか出家の覚悟を思わせる。

 オーディにはある目的があった。彼は生き延びなければならなかった。たった一つの約束を守るために。

「溺れかけていたのを、ミゲルが助けてくれた」


 この一言を目にした時、涙が溢れ出た。山本周五郎宮城谷昌光にも通じる世界だ。

「ひとりの人間がこれほどの不運とこれほどの幸運を経験できるものなのね」


 FBI女性捜査官デジレー・ファーネスの言葉が本書の内容を見事に言い当てている。

 

誰も信じられない世界で人を信じることは可能なのか?/『狂気のモザイク』ロバート・ラドラム


『暗殺者』ロバート・ラドラム

 ・誰も信じられない世界で人を信じることは可能なのか?

『メービウスの環』ロバート・ラドラム

ミステリ&SF
必読書リスト その一

 強烈な光線が闇を切り裂いた。その中に、必死に逃げまどう女の姿が浮かび上がる。次の瞬間、銃声が鳴り響いた――テロリストがテロリストに向けて放った銃弾。1発目が背骨の低部に命中したのだろう。女は大きくのけぞり、金髪が滝のようにはじけて流れ落ちた。つづいて3発、狙撃手(そげきしゅ)の自信のほどを示すように間を置いて発射され、襟首(えりくび)と頭部に命中した。女は泥と砂の小山のほうへ吹っ飛び、その指が地面をかきむしる。血に染まった顔はしかし、地面に突っ伏しているためによく見えない。やがて断末魔の痙攣(けいれん)が女の全身を走り抜け、と同時に、すべての動きが停止した。
 彼の恋人は死んだ。彼は自分がやらねばならないことをやったのだ。ちょうど、彼女が自分のしなければならないことをしたように。彼らはお互いに正しく、お互いに間違っていた。

【『狂気のモザイク』ロバート・ラドラム:山本光伸訳(新潮文庫、1985年)】


「必読書リスト」は折に触れて変更している。コレクションは常に取捨が問われる。精査し厳選することで磨きが掛かるのだ(『子供より古書が大事と思いたい鹿島茂)。中にはどうしても好きになれない人物もいるが――左翼の三木清高橋源一郎、親左翼だった松下竜一誤解した仏教観を西洋世界に広めたショウペンハウエルなど――そこは読み手の判断に委(ゆだ)ねよう。

 ロバート・ラドラムの作品はほぼ全部読んできた。映画「ボーン・シリーズ」の原作『暗殺者』はもちろん傑作なのだが、シリーズ全体となるとやや評価は落ちる。読み物としては本書の方が優れていると判断し「必読書」に入れた。

 エスピオナージュや国際謀略ものは基本的に「不信が渦巻く世界」である。上司が工作員を騙すのも朝飯前だ。そして極秘のスタンプが捺(お)された任務を遂行する中で極秘をいいことに腐敗や行き過ぎが生まれる。世界最大のテロ組織はCIAである。かつて大英帝国がそうだったように覇権国家は必ず他国を侵略する。覇権とは侵略を正当化するキーワードなのだ。

 マイケル・ハブロックは愛するジェンナ・カラスを殺害した。それが任務だった。ジェンナは敵国のソ連と通じていたのだ。裏切り者は敵よりも憎しみの対象となり下される罰は厳しさを増す。ところが全てが嘘だった。

 誰も信じられない世界で人を信じることは可能なのか? そして彼女はまだ死んでいなかった。既に四読しているが多分また読み直すことが何度かあるだろう。

 尚、具体的な経済侵略については『エコノミック・ヒットマン 途上国を食い物にするアメリカ』ジョン・パーキンスが実体験を綴っている。『アメリカの国家犯罪全書』ウィリアム・ブルムも参考書として挙げておく。

 

ヴァレリー艦長の威厳/『女王陛下のユリシーズ号』アリステア・マクリーン


『ボーン・コレクター』ジェフリー・ディーヴァー
『レイチェル・ウォレスを捜せ』ロバート・B・パーカー
『鷲は舞い降りた』ジャック・ヒギンズ

 ・ヴァレリー艦長の威厳

必読書リスト その一

 また長い咳き込みがあり、長い間があり、ふたたび口をひらいたとき、声の調子はまったく変わっていた。それはあまりにしずかな声だった。
「私は諸君になにをたのんでいるか、よくわかっている。諸君のだれもが、いかに疲れ、いかにみじめな、苦しい思いをしているか、私にはわかる。私は知っている――だれよりも知っている――諸君がどんな目に会(ママ)ってきたか、いま諸君にとって、なにがいかに必要か、諸君が休養を得るにふさわしいか。休養はあたえられる。18日ポーツマスに入港、さらにアレキサンドリアで艦修復の予定だが、その間、乗組員全員に10日間の休暇が許される」自分にはなんの意味も持たないかのような、無造作な言葉だった。「だが、その前に――残酷な、人道を無視したことにきこえるだろうが――いや、きこえないはずはない――いまいちど諸君に、それも諸君がかつて味わったことのないほどのものに耐えてくれと、たのまねばならない。だが、私にはいかんともしがたい――だれにもしがたいのだ」ひとことごとに、ながい沈黙がつづいた。艦長の声はひくく、そして遠く、言葉をききわけるのがむずかしかった。
「だれにも、諸君にそれをやってくれという権利はない。だれよりも私にはない……この私には。だが、諸君がかならずやってくれることを、私は知っている。私は信じている。諸君が私を見すてないことを、諸君がユリシーズを送りとどけてくれることを。幸運を祈る。幸運と神のご加護を。そして、いい夜(グッド・ナイト)を」

 拡声器の音は消えた。だが、静寂はつづいた。だれもしゃべらず、だれもうごかない。目さえうごかない。拡声器をみつめていた者は、なおも呆然とみつめている。両手に目をおとしている者、疲れた目にひりひりとしみる煙も忘れて、禁じられたたばこの赤い火をじっと見ている者。それはまるで、だれもが自分ひとりになって、自分の心をのぞき、自分ひとりの考えをすすめようとしているみたいだった。ほかの者と目が会(ママ)えば、もう自分ひとりにはなれないと思っているかのようだった。それは異様な、一種幻妙な静寂、人間がおよそまれにしか味わうことのないあの無言の悟入であった。ヴェールがあがって、ふたたびおりる。人はなにかをかいま見たのか思いだすことはできないが、なにかを見たことを、二度とおなじものはあらわれないことを知っている。それはめったに、ほんと(ママ)にめったにあるものではない。それは絶妙なたぐいない日没の一瞬、偉大なシンフォニーの一断片、大闘牛士の剣があやまたず突き刺されたとき、マドリードバルセロナの巨大なリングをつつむ恐ろしい静寂。スペイン人は、それをたくみによぶ――〈真実の瞬間〉と。

【『女王陛下のユリシーズ号アリステア・マクリーン村上博基〈むらかみ・ひろき〉訳(ハヤカワ・ノヴェルズ、1967年)/ハヤカワ文庫、1972年/原書は1955年】


「ジャック・ヒギンズを知らない? 死んで欲しいと思う」と内藤陳〈ないとう・ちん〉が見出しに書いたのは1983年であった(『読まずに死ねるか!』)。私がヒギンズを読んだのは丁度同じ頃で、それ以降ミステリや冒険小説にハマった。『鷲は舞い降りた』(ジャック・ヒギンズ:菊池光訳、早川書房、1976年/完全版、1992年)、『初秋』(ロバート・B・パーカー:菊池光訳、早川書房、1982年)、そして本書の3冊は金字塔といってよい。


 再読は一度挫けている。文章が硬質なため一定の覚悟を持たなければ読むのが困難だ。上記テキストは100ページの手前だが、ここに辿り着けば後は一気読みである。

 ヴァレリー艦長の威厳と影の濃い群像がユリシーズ号そのものであった。戦争の悲惨・矛盾を記しながらも決して子供じみた平和論に堕していない。

 フィクションということもあろうが、ここには旧日本海軍のようなビンタやリンチがない。私は日本文化をこよなく愛する者だが、日本に特有のいじめや村八分といった気風を嫌悪する。

 男の曲がった背中を正す物語として本書は永く読まれることとなるだろう。

「ならば、変えなければならない」/『果断 隠蔽捜査2』今野敏


『隠蔽捜査』今野敏

・「ならば、変えなければならない」

『疑心 隠蔽捜査3』今野敏
『初陣 隠蔽捜査3.5』今野敏
『転迷 隠蔽捜査4』今野敏
『宰領 隠蔽捜査5』今野敏
『自覚 隠蔽捜査5.5』今野敏
・『去就 隠蔽捜査6今野敏
・『棲月 隠蔽捜査7今野敏
・『空席 隠蔽捜査シリーズ/Kindle版今野敏
・『清明 隠蔽捜査8今野敏
・『選択 隠蔽捜査外伝/Kindle版今野敏
・『探花 隠蔽捜査9今野敏

ミステリ&SF
必読書リスト その一

 世間のことを知らなければ的確な指示が出せないという警察官僚もいるが、竜崎にいわせれば、その程度の者は警察官僚になるべきではない。一生現場にいればいいのだ。
 国家公務員がすべきことは、現状に自分の判断を合わせることではない。現状を理想に近づけることだ。そのために、確固たる判断力が必要なのだ。竜崎はそう信じている。世俗の垢にまみれる必要などない。指揮官に求められるのは、合理的な判断なのだ。

【『果断 隠蔽捜査2』今野敏〈こんの・びん〉(新潮社、2007年新潮文庫、2010年)以下同】


 家族の不祥事で左遷の憂き目に遭った竜崎は警察署長となった。主人公が現場の最前線で指揮を執ると、やはりストーリーの精彩が上がる。立場が変わっても竜崎の信念が揺らぐことはなかった。彼は警察の仕事に心から誇りを抱いていた。

 前巻では父子の対話であったが、本巻ではPTAとの会話がエリートと大衆の落差を象徴している。発想が違うのだ。竜崎の発言にPTAはさることながら、教師や同行した警察幹部までが唖然とする。

 竜崎は、手を止めて貝沼を見つめた。貝沼の表情は読めない。真意がまったくわからなかった。
「じゃあ、方面本部が死ねと言えば、君は死ぬのか?」
「時と場合によありますが、そういうこともあるという覚悟はしております」
「警察の指揮系統と言ったが、それは幹部がまともな命令を下すという前提で重視されるべきものだ。そうじゃないか? 理不尽な命令に盲従する必要などない」
「ですが、それが警察というものです」
「ならば、変えなければならない」
 貝沼副署長が無表情のまま見返してきた。斎藤警務課長も、無言のまま立ち尽くしている。
「なんだ?」
 竜崎は、二人に尋ねた。「私は何か、おかしなことを言ったか?」
「いえ」
 貝沼副署長が言った。「本当に、野間崎管理官のことはよろしいのですか」
「いい」
「では、お任せします」
 ようやく二人は出て行った。
 竜崎にだって、二人が何を恐れているかくらいはわかる。警察というのは、古い体質が残っている。それは、ひょっとしたら明治に警察庁ができて以来変わらないのではないかとすら思えてしまう。冗談のようだが、いまだに薩長閥が幅をきかせている。


「ならば、変えなければならない」との一言に竜崎の真骨頂がある。清濁併せ呑んで物分かりがよくなることが大人なのではない。大人とはある責任を引き受けた上で若者の手本となる人物をいうのだ。幾度となく煮え湯を呑まされている内に精神が澱(よど)み、濁ってゆく男がそこここにいる。彼らが上司に逆らったり、組織を改革することはないだろう。せいぜい酒場で他人の悪口を言うのが関の山だ。

 官僚組織の複雑さを初めて知った。野間崎は役職が竜崎よりも上だがノンキャリアだ。キャリア組も同様で役職よりも入庁年度がものを言うらしい。

 もちろん竜崎一人が頑張ったところで警察組織が変わるはずもない。だが署内は確実に変わってゆく。

 捜査が差し迫ってゆく中で竜崎の妻が倒れる。ラストシーンでやり取りされる夫婦の会話が短篇小説のように味わい深く、静かな余韻を響かせる。

真のエリートとは/『隠蔽捜査』今野敏


『半沢直樹1 オレたちバブル入行組』池井戸潤

 ・真のエリートとは

『果断 隠蔽捜査2』今野敏
『疑心 隠蔽捜査3』今野敏
『初陣 隠蔽捜査3.5』今野敏
『転迷 隠蔽捜査4』今野敏
『宰領 隠蔽捜査5』今野敏
『自覚 隠蔽捜査5.5』今野敏
・『去就 隠蔽捜査6今野敏
・『棲月 隠蔽捜査7今野敏
・『空席 隠蔽捜査シリーズ/Kindle版今野敏
・『清明 隠蔽捜査8今野敏
・『選択 隠蔽捜査外伝/Kindle版今野敏
・『探花 隠蔽捜査9今野敏

ミステリ&SF
必読書リスト その一

 東大以外は大学ではない。それは実を言うと竜崎自身の考えというよりも、省庁の考え方だ。
 毎年国家公務員I種試験の合格者が省庁詣でをする。人気の高い省庁の側では、すでに対応は決まっている。どんなに試験の成績がよくても、私立大学や三流大学の卒業生は取らない。人気省庁にとって、大学というのは東大と京大しかないのだ。

【『隠蔽捜査』今野敏〈こんの・びん〉(新潮社、2005年新潮文庫、2008年)以下同】


 主人公は警視庁のキャリア官僚という毛色の変わった警察モノだ。役所と聞けば「融通が利かない」との答えが導かれる。竜崎は原理原則に忠実な堅物で節を枉(ま)げることがない。それは「決まりだから」という言いわけによるものではなく、原則が合理性に基づいているとの信念からである。時を経て信念は生き方そのものになっていた。

 彼の判断が厳しく感じるのは、我々が情に傾き理を侮っているためか。竜崎は周囲や家族に対して情け容赦がなかった。そして自分自身にも。

 それまで顧みることがなかった家庭が揺れる。大学浪人の一人息子がトラブルを起こしたのだ。

「それって何だ?」
「自分が正しいと思っていることを、家族に押しつけてんだよ」
「これ以上に正しいいことがあるか? 官僚の生活というのはこういうものだ。父さんなんてまだましなほうだ。財務省や外務省の高級官僚は、それこそ週に何日も家に帰れないんだ」
「だから、俺は嫌だったんだ」
「何がだ?」
「東大に入って、官僚になるという父さんの押しつけが、だ。俺、そんな人生、まっぴらだ」
「おまえは、何年生きた?」
「18年だ。子供の年も覚えていないのかよ」
「父さんは、46年だ。若い頃は全国を転々として見聞も広めた。おまえとは人生経験が違う。どちらの判断が正しいと思う?」
「そういう問題じゃないだろう」
「じゃ、どういう問題なんだ?」
「俺の人生は俺のものだってことだ」
 竜崎は、この陳腐な言い回しに、またしてもあきれてしまった。
「そんなことはわかりきっている。だから、若いうちに可能性を増やせと言っただけだ。官僚になるかどうかは、東大に入ってから考えればよかったんだ。別に官僚になることを強制したわけじゃない。いいか。東大には日本の最高の英知と技術が集中している。東大に入るだけで、できることが格段に増えるんだ。それを利用しない手はない」
「利用だって……?」
「そうだ。おまえの人生はおまえのものだと言った。ならば、その人生のためにあらゆるものを利用しないと損じゃないか。利用するなら、最高のものを利用したほうがいい。東大はそのための一つの条件に過ぎない。だが、その条件すらクリアできないで、人生、好きに生きたいなどと言っているのは、所詮、負け惜しみに過ぎないじゃないか」
 邦彦は、ぽかんとした顔で竜崎を見ている。何も言い返せない様子だ。


 これは大衆とエリートとの対話だ。竜崎の言葉は常に単純なため時に誤解を生む。ところが彼の言い分には明確な目的意識があった。

 省庁が「東大以外は大学ではない」と考えるのも一つの見識なのだろう。そんな彼らが仕える政治家の多くが東大出身ではない。ネット上で元官僚の人物が安倍首相の学歴を嘲るのを見たことがある。で、その元官僚はといえば、全く売れない本を上梓しながら糊口(ここう)を凌(しの)いでいるのだ。学歴至上主義は知性を野蛮な性質に変える。しかも、よくよく見つめればそれは知性というよりも記憶力中心の学力に過ぎない。極論を述べれば、「東大生だけで、いざ戦争となった場合に勝てるかどうか?」まで考える必要があろう。

 偏屈な官僚が少しずつ魅力的な人間に変わってゆく。このシリーズで今野敏も化けたに違いない。思わず一気に全作を読破した。

 ここに描かれている真のエリート像を通して、日本型ピラミッド組織の脆弱さを思わずにはいられなかった。それを面白がって読む自分にも問題がある。竜崎は官僚の域を脱しておらず、武士道にまで至っていない。次の戦争の弱点が露(あら)わになっているような気がしてならない。

 かつて「近藤史恵は男が描けていない」と書いた(『サクリファイス近藤史恵)。本書を読めばたちどころにその意味がわかるだろう。

曖昧な死刑制度/『13階段』高野和明


 ・曖昧な死刑制度

『グレイヴディッガー』高野和明
『幽霊人命救助隊』高野和明
『ジェノサイド』高野和明

必読書リスト その一

「それで」と南郷は続けた。「他人を殺せば死刑になることくらい、小学生だって知ってるよな?」
「ええ」
「重要なのはそれなんだ。罪の内容とそれに対する罰は、あらかじめみんなに伝えられてる。ところが死刑になる奴ってのはな、捕まれば死刑になると分かっていながら、敢えてやった連中なのさ。分かるか、この意味が? つまりあいつらは、誰かを殺した段階で、自分自身を死刑台に追い込んでるんだ。捕まってから泣き叫んだって、もう遅い」南郷は、苛立った口調になった。頬のあたりの筋肉が、心の奥底の憎悪を押し殺そうとするかのように硬く緊張している。「どうしてあんな馬鹿どもが、次から次に出てくるんだろうな? あんな奴らがいなくなれば、制度があろうがなかろうが、死刑は行なわれなくなるんだ。死刑制度を維持しているのは、国民でも国家でもなく、他人を殺しまくる犯罪者自身なんだ」

【『13階段高野和明講談社、2001年講談社文庫、2004年/文春文庫、2012年)】


 傑作といってよい。少し迷ったが「必読書」に入れた。迷ったのは他の作品が左翼史観にまみれているためだ。高い知性が正しい判断を導くとは限らない。欧米では神と悪魔を信じる科学者もいまだ多い。人の判断は情緒や情動に基づいているのだろう。

 私は死刑制度はあって然るべきだと考える。若い頃は反対の立場だった。死刑制度そのものが人の命を奪うことを正当化する矛盾を孕(はら)んでいる。生命が尊厳であるならばそれを踏みにじることは誰にも許されない。たとえどんな理由があったとしても。

 私の考えが変わったきっかけは二つあった。一つは「女子高生コンクリート詰め殺人事件」(1989年)である。4人の犯人は少年法で守られた。バブル崩壊(1991年)もさることながら、この事件は日本のモラルが崩壊する方向へと扉を開いた。本来であれば速やかに少年法を改正して厳罰に処すべきだった。法律のテクニカルなことはわからぬが勾留中に法改正をしていれば何とかなったのではないか。彼らは死をもって罪を償うのが当然だ。犯行現場が共産党員宅であったことが報道の熱を下げた節も窺える。息子のC少年が去る8月に殺人未遂事件を起こした湊伸治〈みなと・しんじ〉である。

 チンパンジーの世界で群れを危険に陥れる行動をした者はその場で撲殺されることを知った。確かドゥ・ヴァールの本だったと記憶する(『あなたのなかのサル 霊長類学者が明かす「人間らしさ」の起源』)。瞬時に死刑の意味を悟った。コミュニティを崩壊させる異分子を排除する目的で死刑は行われるのだ。死刑にはその血を絶やす意味もあったことだろう。

 左翼は死刑制度反対をイデオロギーの道具として活用する。彼らの活動は破壊に目的があり、国家の現体制に混乱を招くことができれば何でも利用するのだ。犯罪者の人権を声高に主張するのも仲間の多くが犯罪者のためだろう。

 定年間近の刑務官が仮釈放中の若者に仕事の声を掛ける。死刑囚の冤罪を晴らすための調査を依頼されたというのだ。しかも報酬は破格だった。若者の罪状は傷害致死。人を殺す意味が重層的に示され、曖昧な死刑制度にも踏み込んでいる。

祭り上げられた聖者/『通りすぎた奴』眉村卓


 ・祭り上げられた聖者

必読書リスト その一

 水の上へ右足を一歩踏み出す。その足が沈む前に左足を前に出す。更に、左足が沈まない内に右足を繰り出す。こうすれば水の上も歩けるだろう。観念論を嗤(わら)う喩(たと)えとしてよく用いられる話である。

 そう考えると人生とは、何を目指したかよりも、何を成し遂げたかに価値があるのかも知れない。だが、寝転がってお菓子を食べながら痩せる本を読んでいる、そんな生き方が実際には多くはないだろうか。願望は人一倍ありながら、はたまた、そのための知識を蓄えながらも全く進歩がない。そんな人をよく見かけはしないだろうか。あっ、いたいた、今、ディスプレイに向かってキーボードを叩いてるお前さんだよ。そう! 何を隠そうこの私がそうなんです。幼少の頃から、「歩く有言不実行」と母から罵られながらも今日(こんにち)までスクスクと育ったのでした。小学校高学年になると「ほら吹き童子」と言われ、中学になると「大風呂敷」と豊富な語彙(ごい)を巧みに使い回して、母は私をいたぶったのでした。その甲斐あってこんなに打たれ強い強靭な精神が涵養(かんよう)されるに至ったわけです(話を面白くするため、一部フィクションが含まれております。お願いだから信じちゃイヤよ!)。

『通りすぎた奴』と題した眉村卓の短篇がある。タイトルになっている作品は30ページあまりの掌編だが、実に味わい深いSFに仕上がっている。

 未来社会の都市、それは超高層の巨大な建物の内部に存在した。ここでの主要な乗り物はエレベーターで、現代の鉄道と変わりはない。全階停止の無料エレベーターや有料特別シート、特急などがある。

 この都市を登りつめようとする「旅人」が現れる。最頂部は25130階。その男はゆっくりと自分のペースで、金がなくなると賃仕事をしては、また登る。疲れると階段でスケッチを描き、悠々と登り続ける。建物の中で生きる都市の人々は何の疑問も持たず、外部への憧憬を抱くこともなく平々凡々と暮らしていた。「旅人」は明らかに異質な存在だった。数年を経て「旅人」は最頂階に辿り着く。そこでは「旅人」は「聖者」と呼ばれていた。

「みんなが“聖者”と呼ぶ人を拝んで、おかしいかな? たしかにあの人は“聖者”じゃよ。歩いて最頂部へ行くなんて、ふつうの人間にはとてもできん。それとも何かね? あんた、できるかね?」
「いいや。しかし、その気になれば誰だって最頂部へ登るくらい──」
「無責任なことをいっちゃいけないよ。考えついたり真似ごとをしたるするのと、ほんとうにやり通すのとは全然違う。あの人はそれをやったのじゃ。あんたはやっとらん。わしもしとらん。そこがだいじじゃ」

【『通りすぎた奴』眉村卓〈まゆむら・たく〉(立風書房、1977年角川文庫、1981年日下三蔵編、出版芸術社、2009年『日本SF全集 1 1957~1971』筒井康隆編、ちくま文庫、2015年『70年代日本SFベスト集成 3 1973年度版』)】


 エレ弁(エレベーター弁当)売りのオヤジと主人公のこんなやりとりがある。若き心に鮮明に焼きつけられたシーンだ。

 物語は都市に住む無知な民衆の狂気によって、恐るべき展開を遂げる。最頂部で彼を待ち受けていた暗い深淵に読者は戦慄を憶えるだろう。

大阪のドヤ街を駆け抜ける乙女/『地下足袋の詩(うた) 歩く生活相談室18年』入佐明美


『裸でも生きる 25歳女性起業家の号泣戦記』山口絵理子

 ・大阪のドヤ街を駆け抜ける乙女

『職業は武装解除』瀬谷ルミ子

キリスト教を知るための書籍
必読書リスト

 入佐明美は中学2年の時、岩村昇医師の存在を知った。岩村は日本キリスト教海外医療協力会からネパールへ派遣された医師で、結核治療・伝染病予防を推進した人物だ。看護学校を卒業した入佐は、直接岩村と会いネパール行きの希望を告げ、快く承諾された。直後に岩村から連絡があり、「ネパールへ行く前に釜ヶ崎結核と戦ってほしい」と頼まれた。釜ヶ崎といえば、あいりん地区である。東京の山谷(さんや)と並んで日本の二大ドヤ街といわれる地域だ。入佐はネパール行きの夢を胸に、結局本書が刊行されるまでの18年間にわたって釜ヶ崎結核ケースワーカーを務めた。

「おまえは誰や?」
「ここは、女の子がブラブラするところちがうで」
「家出してきたとちがうか? はよ帰ってあげ。親御さんが心配してはるで」
ケースワーカー? あんたみたいな小娘にわしらの苦労がわかってたまるか!」
「おまえは大学生やろ? レポート書きに来たとちがうんか。おれらは研究材料とちがうで」
「他人の世話もええけどな、はよ嫁にいけ!」
キリスト教? ほんまに神さんがおるんなら、なんでおれらはこんな目にあわんとあかんのや」

【『地下足袋の詩(うた) 歩く生活相談室18年』入佐明美〈いりさ・あけみ〉(東方出版、1997年)】


 25歳の乙女に向けられた言葉は刺々(とげとげ)しかった。まだセクハラなんて言葉がなかった頃である。それでもドヤ街を歩き続け、労働者に声を掛け続けているうちに少しずつ反応が返ってくるようになった。そして彼らの優しい一面を知る。ある日の帰りのこと。駅に向かう彼女が両手に抱えていた荷物を一人の男性が持ってくれた。

 自分自身の存在がおびやかされているのになぜ他者にやさしくできるのだろう? 自分のお腹はペコペコなのになぜ他者の労をねぎらえるのだろう?
 私は自分自身と比較してみました。私だったら自分のことで精いっぱいでやつ当たりするのが関の山です。この時ほど他者に対してやさしくなりたいと願ったことはありません。
 ――これからはこの人たちから学んで、私自身、変わっていきたい。
 心底そう思いました。
 ――今までは高いところにいて労働者に変わることを求め続けてきたんだなあ。
 と反省しました。


 彼女は釜ヶ崎で苦しむ人々を目(ま)の当たりにしてから、食が喉を通らず、夜、眠りに就くことができなくなっていた。その症状がピタリと収まった。心が変わった瞬間に体も治っていた。

 入佐はとにかく心根がよい。クリスチャンに特有の妙な宣教意識もない。厳しい現実を柔らかな感受性で受け止め、彼女は学び続ける。

 ある男性から「一生の願いを聴いてほしい」と言われる。

「実は、あなたのお仕事のことです。すみません。入院した時、とても寂しい思いでした。友だちも少なく、家族もない。面会に来てくれる人もいない。もう自分はどうでもええわと思っていました。そんな時、遠いところから、あなたが面会に来てくれた。あんなうれしかったことはありませんでした。“よし、がんばろう”と思いました。あなたはそんな仕事をされているんですよ。ぼくのように寂しい思いをし、苦しんでいる者がこの釜ヶ崎にはいっぱいいます。ぼくもできればあなたのような仕事がしたいと思いますが、ぼくにはできません。ぼくの分までこの仕事をあなたのできる範囲でしてください。お願いします」


 この言葉で入佐の肚が決まった。彼女の決意を知った日本キリスト教医科連盟の医師が動き、「釜ヶ崎・入佐会」が立ち上げられ、300人の人々による献金で活動は続けられた。彼女はドヤ街を吹き抜ける風と化した。

 路上で寒さとひもじさをこらえながら、息をひきとる人もあります。年間、約300人の人たちが路上で死んでいくと聞いた時、どうしてそのような現状があるのか、皆目わかりませんでしたが、活動していくうちに、日雇い労働者のおかれている立場が少しずつわかってき、こんな現状を許してはならないと、怒りが強く湧いてきました。存在をかけて働いてきた人が人生を全うする時、誰からもみとられないで、コンクリートの上で言いたいことも言えないで死んでいくことはあまりにも悲しいことです。


 本書は福祉と労働問題が太いテーマとなっているが、そこだけには収まらない広がりがある。彼女は釜ヶ崎で【生きた】。その証が人々とのコミュニケーションとなって花開く。だが悲しいことにそれでも尚、釜ヶ崎の苛酷な現実は変わらなかった。

 私の知人も釜ヶ崎で炊き出しを行っている。フェイスブックの写真を見て驚いたのだが彼の顔つきは一変していた。まるで武者修行をしてきた男の風貌であった。福祉やボランティアは余力をもって援助する行為ではないのだろう。それは文字通り「戦い」なのだ。

 行政が行き届かないところで困窮者のために黙々と汗を流す人々がいる。だからきっと変わってゆく。

 奈路道程〈なろ・みちのり〉のイラストも実に素晴らしい。

捨てる覚悟/『将棋の子』大崎善生


『真剣師 小池重明 “新宿の殺し屋"と呼ばれた将棋ギャンブラーの生涯』団鬼六
『聖(さとし)の青春』大崎善生
「女性は男性より将棋が弱い」

 ・捨てる覚悟

『泣き虫しょったんの奇跡 サラリーマンから将棋のプロへ』瀬川晶司
『傑作将棋アンソロジー 棋士という人生』大崎善生編
『決断力』羽生善治
『フフフの歩』先崎学
『先崎学の浮いたり沈んだり』先崎学
『まわり将棋は技術だ 先崎学の浮いたり沈んだり2』先崎学
・『赦す人大崎善生

必読書リスト その一

 心の片隅に貼りついてしまったシールのように、剥がそうとしてもなかなか剥がすことのできない一枚の写真がある。
 平成8年3月13日に発行された「週刊将棋」の13面という、あまり目立たない場所にひっそりとそのモノクロ写真は掲載された。
 ダイレクトに胸を衝く、衝撃的な写真だった。それを見た瞬間に私は確かに何かが、たとえば鋭利な硝子(ガラス)の破片が胸に突き刺さったような痛みを覚えた。
 一人のセーター姿の青年ががっくりと首を落として座りこんでいる。場所は東京将棋会館4階の廊下の片隅である。
 青年は膝を抱え腕の中に顔を埋めるようにして、へたりこんでいる。精も根も尽き果て、まるで魂を何ものかに奪われてしまったかのようにうなだれている。その日一日で、まるで大波に弄ばれる小船のようにくるくると変わっていった自分の運命への驚きを隠そうともせず、受け入れることも嚥下(えんか)することもできず、また涙さえ流すこともできずにただ茫然と座りこんでいる。
 その姿をカメラは冷静にとらえていた。
 写真は3月7日に行われた第18回奨励会三段リーグ最終日に写されたもので、被写体は中座真(ちゅうざまこと/現五段)である。

【『将棋の子』大崎善生〈おおさき・よしお〉(講談社、2001年講談社文庫、2003年)以下同】


『聖の青春』は一度挫折している。もう一度読まねばなるまい(講談社文庫版角川文庫版がある)。

 読みやすく流れるような文章、人と人との出会い、そしてどうしようもない運命。更に講談社文庫という共通点で毛利恒之著『月光の夏』と重なった。もしも「読書が苦手」という若者がいれば、この2冊を読んで感動にのた打ち回れと言っておく。

 ミステリアスな書き出しが巧い。冒頭から惹(ひ)き込まれる。種明かしをするようで恐縮だが画像を見つけたので紹介しよう。


 中座は稚内生まれだという。そして主役ともいうべき成田英二は夕張生まれだ。大崎は中学生の時に札幌の北海道将棋会館で次々と大人たちを打ち負かす小学5年生の天才少年を目撃した。それが成田であった。

 10年間にわたり将棋世界編集長を務め、そして私は退職の決心を固めた。
 どうしても書かなければならないことがあったからである。
 それは、将棋棋士を夢見てそして志半ばで去っていった奨励会退会者たちの物語である。栄光のなかにある多くの棋士たちを見てきたのと同時に、それと正反対の立場でただの一度も注目を浴びることなく将棋界を去っていった大勢の若者たちも見てきた。
 桜が散り、やがて花びらが歩道を埋め尽くし、いつの間にかその花びらさえもどこかに消えていってしまうように、彼らはもう将棋界にはいない。
 彼らの夢はどうしたのだろうか。挫折した夢とうまく折り合って、いきいきと生きているのだろうか。
 私の胸には彼らの残した夢の破片が突き刺さっている。それは時としてちくちくとした痛みとともに、私の心に鮮明に蘇ってくる。あるいは自分自身も彼らの残していった無数の夢の破片とともに生きているのかもしれない。
 その痛みが胸に蘇るたびに私は抑えることのできない衝動に駆られた。
 どうしても、彼らのことを書かなければならない。歩道の上に散り、いつの間にか跡形もなく消えてしまった一枚一枚の花びらたちのことを。
 いや、もっと正直に言おう。
 どうしても書いてみたいのだ。


 捨てる覚悟が傑作を生んだ。それ自体が一つのドラマである。しかも敗れ去って行った者たちの鎮魂歌にとどまっていない。将棋という物差しで測れば彼らは敗北者だが、人としての勝ち負けはまた別なのだ。奨励会の門をくぐった者たちは一切を犠牲にしてただ将棋に打ち込む。そこに掛けたものが大きければ大きいほど去ってゆく時の傷もまた大きくなる。だが将棋だけが人生の全てではない。手負いの虎たちは新たな道を歩み始める。

 私は『聖(さとし)の青春』というタイトルが好きになれなかった。そして『将棋の子』にも同様の思いを抱いた。安直な印象を拭えなかった。ところが330ページ(講談社文庫版)でその意味がわかった時、活字が涙で歪んだ。札幌は私の故郷(ふるさと)である。成田と大崎の交情が望郷の念を掻き立てた。

 それは零落の奇跡でもなければ落魄の人生でもない。若き日に将棋で灯(とも)した松明(たいまつ)の火を決して心で消さなかった者たちの勇気のドラマだ。近頃、才能否定の研究(『究極の鍛錬』ジョフ・コルヴァンなど)が賑々(にぎにぎ)しいが、選ばれし者たちの厳しい世界を知ると、ほんの一握りの人しか登れない高みが確かにあると思わざるを得ない。



先崎学八段(当時)の書評『将棋の子』 - 将棋ペンクラブログ

人生の逆境を跳ね返し、泣きながら全力疾走する乙女/『裸でも生きる 25歳女性起業家の号泣戦記』山口絵理子


 ・人生の逆境を跳ね返し、泣きながら全力疾走する乙女
 ・バングラデシュでは、みんな、生きるために、生きていた

真っ黒な顔の微笑み
・『裸でも生きる2 Keep Walking 私は歩き続ける』山口絵理子
・『輝ける場所を探して 裸でも生きる3 ダッカからジョグジャ、そしてコロンボへ』山口絵理子
・『Third Way(サードウェイ) 第3の道のつくり方』山口絵理子
・『自分思考』山口絵理子
『地下足袋の詩(うた) 歩く生活相談室18年』入佐明美
『七帝柔道記』増田俊也

必読書リスト その一

 山口絵理子は「マザー・ハウス」というバッグメーカーの社長である。バングラデシュのジュート(麻)を使用したバッグは、すべて現地工場で製造されている。

 小学校に上がって直ぐいじめに遭う。中学では非行少女に。そして高校時代は柔道選手として埼玉県で優勝。一念発起をして偏差値40の工業高校から慶應大学に進学。在学中に米州開発銀行で働く機会を得て念願の夢がかなった。だがそこは、貧しい国の現場からあまりにも懸け離れていた。ある日のこと、山口はインターネットで検索した。「アジア 最貧国」と。出てきたのは「バングラデシュ」という国名だった。1週間後、山口はバングラデシュ行きの航空券を手配した。

 山口絵理子は逆境に膝を屈することがない。だが、山口はよく泣く。そして泣きながら全力疾走するのだ。

 彼女の生きざまは高校時代の柔道によく現れている。埼玉県内の強豪である埼玉栄高校を打倒するために、男子の強豪である工業高校へ山口は入学する。女子柔道部がないにもかかわらずだ。監督はバルセロナ五輪の代表を古賀稔彦(としひこ)と争ったこともある元全日本チャンピオンだ――

 そんな不安を振り切るために練習量を多くしていった。
 私は、高校の朝練の前に自宅の前にある公園で一人練習をはじめた。
 そして朝と午後の部活が終わってからは学校の1階から5階までを逆立ちで上がるというトレーニングを5往復毎日実践した。
 それから電車で30分かけて町の道場に直行し、また2時間練習をし、それからまた家に帰り一人打ち込み、筋トレをする、三食の前にはいつもプロテインという、今思えばゾッとするような日々を365日、休みなく続けた。
 私の部屋は、そこら中「目指せ、日本一!」「打倒 埼玉栄!」などと書かれた汚い壁紙でいっぱいだった。
 そして、毎日つけている柔道日記は、悔し涙でどのページもはっきりと見えなくなっていた。それでも、勝つことはできなかった。
 夏の合宿があった。猛暑の中、私はいつものとおり稽古をした。
 監督が久しぶりに柔道着になって私の名前を呼んだ。
「やるぞ!」
 私はこの監督との稽古で、通算10回も絞め落とされたのだった。「絞め落とされる」とは、簡単に言えば頚動脈を絞められて、意識を失う状態が10回もあったということである。
 私はその稽古中、唇は真っ青になり、青あざのある顔面は鼻水と涙でぐちゃぐちゃになり、どうしようもなくこの場にいるのが怖く耐えられなくなり、脱走を試みた。
 自分でもどういった精神状態だったかは正確に覚えていないが、私は柔道着のまま全力で走った。
「もうやだ!」
 走る、走る。
「家に帰るんだ! もう柔道なんてやりたくない!」
 後ろから、巨漢の先輩が追いかけてくる。
 担ぎあげられた。監督の前に連れて行かれ、「てめぇ! 逃げ出す奴がいるか!」
 と思いっきり殴られた。
 私はプッチンと切れ、思いっきり監督の腹をパンチした。監督は思いっきり私をまた殴った。私は全力で殴り返した。
 そんな死闘の末、合宿は終わり、私はもう「やめたい」と本気で思った。人の何倍も練習しているのに、全然勝てない。
 練習でこんな目にあって、そして周りからは白い目で見られ、心も体もボロボロだった。
 私は泣きながら、部屋に飾ってある「目指せ、日本一!」の壁紙を破り捨て、柔道着を段ボール箱にしまい、柔道をやめる決心をした。

【『裸でも生きる 25歳女性起業家の号泣戦記』山口絵理子(講談社、2007年講談社+α文庫、2015年)以下同】


 私も運動部だったので、彼女の練習量がどれほど凄まじいかがよく理解できる。吐くゲロすら残っていない状況だ。育ち盛りとはいえ、これほどの練習をしてしまえば、今尚深刻なダメージが残っていることだろう。監督を「殴り返した」ことから、ぎりぎりまで追い詰められた彼女の様子が見てとれる。

 高校生の山口は泣き明かし、泣き通す――

 1週間くらい部屋に閉じこもったままで、ずっと泣いていた。
 7冊以上たまった柔道日記を見た。そこには、
「絶対にあきらめない。絶対にあきらめない。あきらめたらそこで何かも終わってしまうから」
 と書かれていた。
 袖がちぎれて半そで状態になっているボロボロのミズノの柔道着を、段ボール箱から出してみた。
 柔道着の裏には、秘密で私がマジックで書いた「必勝」という汚い字が見える。その柔道着を見て、今までの辛い猛練習が頭いっぱいに広がった。
 雑巾みたいに、毎日投げられ続けた日々。それでも私は、いつも立ち上がって向かっていった。
 投げられても、投げられても、「来い!」って言って私は巨漢に立ち向かっていったはず。
 次の日、朝練に向かった。
 また地獄のような練習がはじまった。
 ずっと練習に参加していなかった私を白い目で見る先輩たち。
 練習ではいじめられた。壁にわざとたたきつけられ、引きずり回され、また絞め落とされ、私は吐いた。耳はつぶれてしまったが、それでも頭にぐるぐるテーピングを巻きつけ練習を続けた。
 ある日、膝の靭帯(じんたい)を3本も切断し歩けなくなった。
 病院に行ったらお医者さんが言った。
「手術をしないと30歳になったとき、確実に歩けなくなる」


 勝てなかった山口だったが、3年生の時に埼玉県で優勝。全国大会で7位に輝いた。もう少し手を伸ばせばオリンピックが見える位置まで上り詰めていた。しかし、柔道をやり切った彼女は別の道を選ぶ。

 そんじょそこいらの成功物語を自慢気に語るビジネス書ではない。心清らかな乙女の見事な半生記だ。10代、20代の女性は必読のこと。30過ぎの男どもは、本書を読んで己の姿を恥じよ。



マザーハウス 山口絵理子代表 −志をかたちに−
株式会社マザーハウス 山口絵理子氏 代表兼デザイナー - 経営者・起業家インタビュー第74回 | Goodfind
第81回 株式会社マザーハウス 山口絵理子 | 起業・会社設立ならドリームゲート